第14話
周辺の様子を再確認する。死神の姿はどこにもない。トラップに巻き込まれなかったのか、そもそも死神にはトラップの効果は作用しないのか。どちらにしても、俺たちが死神に殺されることはなくなった。
トラップが発動したおかげで延命できたが、俺にとってこの状況は好ましくない。視線を落として、左腕に刻まれた歯形を見る。前よりも体にまとわりつく倦怠感が増していた。
「参ったな、こりゃ」
ダンジョンのなかにいれば、もしかしたら『回復の泉』にたどり着けていたかもしれない。だけどもう、ダンジョンではない別のどこかに来てしまった。
いずれアンデッドになる運命は、変えられそうにない。
それから俺とマリスの他にも、ここに飛ばされてきた人物がいる。
少し離れたところには、仰向けに寝そべっている人影があった。
ディナも【転移の魔術】のトラップに巻き込まれたみたいだ。
「…………」
長い黒髪を翼のようにひろげて倒れているディナは、瞳の光が消えていて、生気が感じられない。
その姿を注視する。
……どうする? せっかくの機会だ。試してみるか?
「あっ、うっ、えぇぇぇぇぇ! ザ、ザインさん!」
杖をガリガリとかじっていたマリスが、声を震わせて呼びかけてくる。
俺も衝撃を受けて、背筋がゾワリとした。
「どうなってんだ?」
ディナは死んでいた。生命としての活動を終えていた。それは絶対だ。
だというのに、死体の腹部にあいた穴がふさがっていく。失われた肉や皮膚が再生していき、穴が小さな点になっていく。赤い霧がどこからともなく生じると、それが体内に流れ込んでいった。もしかして失った血液が補充されているのか。
やがて腹部にあいた穴は完全になくなってしまった。
ピクッとダガーを握る指先がかすかに動く。
「ひ、ひぃぃぃぃ! ア、アンデッド!」
マリスは物凄いスピードで後ずさってディナから離れる。そんなふうに疑ってしまうのも無理はない。
死んでいたディナの肉体が生命の息吹を取り戻すように、何度か大きく痙攣を起こして手足が跳ねた。そして……。
「かっはっ!」
口から咳を吹き出すと、ディナは勢いよく上半身を起こした。ハァハァと熱っぽい吐息をつきながら、鋭い眼差しを周辺に向けてくる。
周りの景色を視認すると、ディナは目を丸くしていた。
忌々しげに唇を噛み、ダガーを握っている右手の拳で自分の額を思いっきり殴りつける。
「クソッ! もうここに戻ってくるつもりはなかったってのに!」
ディナは憤慨していた。死神に殺されたことよりも、この場所にいることに感情を高ぶらせている。
「えっと、確認しておくが、アンデッドじゃないんだよな?」
ニヘラァと笑いながら質問する。返答次第では、離れたところでおびえているマリスは、修復不可能になるくらい精神が壊れてしまうかもしれない。
ディナは額に当てていた拳を下げると、ムッとしながら上目づかいで睨んでくる。
「あんたの目には、わたしが正気を失った死体に見えてるのかい?」
「いいや、見えないな」
「なら、そういうこった」
長い髪をなびかせてそっぽを向くと、フンと鼻を鳴らしてくる。
それからディナは深いため息をついて沈黙する。目の前にひろがる草原や人々や魔物といった、奇妙な景色を眺める。まるでこの世界を瞳に焼きつけるかのように見続けていた。
その横顔には怒りや悲しみだけじゃなくて、もっと別の何かがあって、数え切れないほどの想いが混在している。
「……ここだとわたしは死ねないんだよ。ザインと違って、アンデッドになるわけじゃないけどね」
こちらを見ることはせずに、ディナは声を落としながら言ってくる。
「その口振りだと、ここがどこなのか知っているみたいだな?」
返事はない。ディナは何も言わずに、まぶたを落として顔を伏せる。
座り込んだまま鼻から息をもらすと、名残惜しさを捨て去るように見つめていた景色からディナは目を離した。そして今度はおびえているマリスのほうに視線を向ける。
「ひぃぃぃ!」
報復を恐れてマリスは泣き声をもらす。
死神の出現で休戦していたが、もともとは殺し合いに発展しかけていた二人だ。手放しで再会を喜びあえる仲ではない。
ディナの実力ならば、今ここでマリスの息の根を止めることは造作もないはずだ。
しかしディナは白けた表情でマリスを見るだけで何もしなかった。ダンジョンでのいざこざには興味を失っている。
両手に握ったダガーを腰の鞘に収めると、その場で跳躍するようにスタッと立ちあがった。
猫みたいに目を細めると、ぽっかりと穴があいた黒革の軽装鎧を見下ろす。肉体は再生したが、壊れた防具までは元には戻らないみたいだ。
ちょっとだけ唇をとがらせると、白い肌が露出したお腹を左手でさする。もしかして、その黒革の鎧はお気に入りだったのだろうか?
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