33Peace 「春の訪れ」

 俺はすっかり二足のわらじに慣れてしまった。給金はローラからの一定額しか貰っていないのだが、ただこうして忙しい毎日を送っていることに満足していることが事実だ。


 投げナイフの師事者と探偵。前者は特に人に教えるということを学ぶことができる貴重な経験だ。しかし後者は精神的な負担が大きかったと思う。

 ただ、どちらも同時に経験することでより早くこの土地に浸透することができたと、ここは充実感をもって言える。

 この数週間で、眠りコケていた数十年を取り返せたのではないかと錯覚を起こすほど密度のある経験をしたと思う。

 

 ……投げナイフの師事、これはつまり軍事施設での訓練教官を任されているということだが、あまり順調すぎて恐ろしい。昔の人間時代に農業をしていた時、最も恐ろしかったのは厄災で次に恐ろしいのは仲間同士のイジメと決まっていた。それをリスクに感じてその回避の為には知識をもつ人が偉く、その指図には従順でなくてはならない。という点が似ていると感じた。

 この恐ろしいのは、組織という構造の成り立ちだった。先に語ったことは正にという感じだし、おそらく教官という立場が理由でそれもあるが、もっとも恐ろしく感じたのはローラの権威というものだ。

 今、兵士たちが俺に向けている目の色にはこういう感情があるだろう。

「ローラ様に認められた戦士に教われる」

「だから辛くても頑張ろう、信じれば強くなれるから」

 これを俺はあまり好ましく思わなかった。この文脈から予想されるだろうような俺自身を見て欲しいといのも違う。ただ、権威に従いその活動に迎合するばかりではなく、自分で考えて学んで欲しいという、それひとつの願いが、この師事の仕事にはあった。


 探偵の仕事では、俺の未熟な精神を特に消耗させられたと感じる。ディミトリに最初あたり教会でみせた格好もまだ下手だったと実感することが何度もあった。

 人は吸血鬼よりも、傷つき移ろい消耗しやすい生き物だと教えられたように感じた。とくに町民らには。

 このご時世、元・難民だったという境遇の人が多いことは最初から予測できた。しかし実態が、それぞれにこれまでいびつだったと感じる。それは探偵として聞き込みをするなかで語らずして知らしめられる。特に目の光が違うんだ。

 安全なこの街に移り住んでも、PTSD(トラウマ)が癒されなくなることはない。不幸に見舞われた経験が魔の手をもって、幸福になろうとする人を引き戻そうとする。

 そういう風土がわずかに、健全な生活をする町民の心に根付いている。

 その実感に、かつて町を亡ぼす側として人を殺していた俺は消耗を感じていた。


 俺はそんな回想をして、お礼を言ってから喫茶 La Seineを出る。ここの支払いはローラの計らいで、ツケによる勘定を行うことができる。

「おい旦那!」

 そう呼びかけるのは金物屋の店主だった。

「そんなに疲れた顔はするもんじゃないぜ」

 それを聞いて、俺はわざとらしく鼻で笑う。

「そんなこと言っちまうなよご主人。それに俺は吸血鬼だぜ? 疲労なんてするもんかよ、吸血鬼を高々人間の尺度で計っちゃいけないぜ?」

 俺はその否定から始めて間髪入れずにジョークを飛ばす。

「そんなこと言ってもよ、旦那いまの旦那のツラ見てるとせっかくの美形が台無しだぜ? 金物屋じゃねぇけど目の上に金槌を叩き下ろしたかってくらい台無しな目をしてるよ」「まったく開いてねぇ」

 そう言って励ましてくれているのか、身振り手振りをして必死に笑顔で語ってくれる。なんて良い人なのか。

「そうかぁ? そうなのか?」

 自分じゃまったく気づかなかった。と考えて髪をイジる。今の俺はそいう状態なのかと心で呟く。

「お気遣いありがとう」「実はそうやって気にかけてくれる人が居ることも幸せに感じるべきことなんだって、最近気づいたところなんだよ」

 俺はそういうと店主に手を振って。一瞬考えてからクシャリと笑ってみせた。こういうときは愛嬌を見せて安心してもらうのが手だろうと考えての笑い方だった。

 少し歩いてもうひとつ呟く。

「またこれから仕事だ」

 そうしてディミトリとの合流に向かおうとする時、後ろから近づいてくる足音が聞こえた。

 振り向くと金物屋の店主だ。

「おっ、と」 

 店主は駆けてきた時の予想より早く俺が振り向いたことで止まり所を見失ってよろめいてしまった。

 結果として俺の胸で受け止めることになってしまった。

「すまねぇ」

 店主は謝ったが気にすることではなかった。

「いやいい」

「旦那、反応といいこの身体の逞しさといいホントに戦士何だな」

 俺は首をかしげていった。

「戦士には当たり前のことだ」

「あ、いやそんなことを言いたかったんじゃない」

 店主は崩れた姿勢を立て直して改めて言った。

「旦那はいい男だ」

 言われて俺はその予想外のセリフぎょっとするような驚きを感じた。

「それに、優しい目をしている」

 それを聞いて安心するような感覚を憶えた。

「そんなに疲れてちゃ、男が台なしだぜ」

 店主はガッツポーズをしながら言った。

「だから休める時に休むんだ。聞いたぜ探偵をやってるんだってな、そりゃ疲れるだろうよ」

「たまには人のことばかりじゃなくて自分のことも考えてやらねぇと」

 それだけ言いたかったんだ。と店主は言った、要件はそれが最後のようだった。

「店主、名前を聞いてもいいか?」

 気づけば俺は聞いていた。

「おれは誇りあるドワーフの末裔まつえいギビンだ」

「俺の名前はティネス・ジーク・ドレーク。ただ異邦の吸血鬼さ」

 俺はギビンという響に、故郷の師であるギャビンを重ねる。

「良い語感だ」

 そう言って、今度は自然と俺は笑えた。


 さり際、俺にギビンはこう叫んでくれた。

「じゃあな! もう春だが、旦那の心にも春が来ると良いな!」

 そのセリフ自体がとても心地よい、春風に感じられた。



 

「ガシャンッ!!!」

 私の目の前で、走り込んできた車が勢いをつけて横転し、木製の竜骨キールが損壊する音と破片が跳ねがる勢いが、組み付けた金具を激しく痛めつけて、言い知れてコワイ音が鳴った。

 見るからに重量のある荷物が地面に衝突してこちらに向かって跳ねる。

 その瞬間まで隣りに手を繋いでいたオレクサンデラは、無垢な顔をしていた。その時、私の手のひらから大切なものがすり抜けていく感触があった。

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