6Peace 「生き物」

 死人に死相が出ているぞなんて可笑しなことを考えながら、俺は女のあばら骨をどつく。強く。

 女は俺の首を離れ短い悲鳴で再び壁に激突する。

「どうして? 吸血鬼にとって吸血されることは存在を喪う苦痛なのに!」

「相手による」

 途端に雰囲気が変わる。少女の表情が無表情で固定される。

「そう」

 少女は短い言葉のあとに姿を変える。

「エレナ」繰り返し、濁音の混じる短い祈りが後ろに聞こえる、女はそれほどまでに少女に骨質している。それは作られた記憶だとも知らず、全生命を少女に捧げている人間だったものの末路だ。

「さすがは錯像さくぞうの吸血種族」

 その頃にはもう少女は姿をかえ、また品を変え、成人の姿へ変わっていた。

「最初から分かっていて手加減してくれていたのね」

 少女の若く高い声は大人の、淫靡な空気を纏った声へ変わっていた。その声を無視すると俺は錯像の吸血鬼を観察する、決して目を合わさずに動きを捉えられるように姿の全体を見つめていた。

「そんな熱烈な視線で見つめられると興奮しちゃうかもしれないわ」

「話してくれないのね、寂しいわ、代わりの男を探そうかしら」「フフフ……」

 なにがおかしいのか、怒りから俺は眉間を僅かにピクリと動かした。

「あらやっぱり寡黙なのね」

 耳元から聞こえてくる。錯像の吸血鬼は正面から姿を消し背後から囁いたのだ。

「憎たらしいnice guy.壊してしまおうと思っていたのに」

「私の手口に乗ってくれたのはなぜ?」

 錯像の吸血鬼は後ろから俺の両胸に手を回した、女体の柔らかさが背中を包む。

「つまらないことしないで、かまってくれないの?」

「くたばれ」

 そう言いたいところを堪えている。なぜならコレに1ミリでも同情を示した時から精神を支配されてしまうからだ。既に視界は支配されていると考えていいだろう。

「ひょっとして大事な人がいるの?」

「だとしたら、ツラいわね」

 背中から回した手は俺の全体の胸を包んでいた。

「良い胸板しているのに、かどわかされてくれないの?」

 言いながら成人女性の姿で長髪をまとった頭は横首に乗せられる。

「かぷっ!」

「……フフフ!」

 錯像の吸血鬼は首元で鎖骨に甘噛みをしながら無邪気に笑う。首は問題ないはずだ。この種の吸血鬼は腕力やいろいろなものが欠如しているはずだ。牙も、刺さることはない。

 後ろでは俺の影を吸った女が泡を吹いている。その泡はどこから出ているのか、ミイラ同然の吸血鬼に、なぜ生体反応があるのか、不思議だった。

「そこのお姉ちゃん、あんなふうに動けなくなっても私のことも思ってくれてるんだ……嬉しい」

 錯像の吸血鬼は淫靡に囁いた。

「邪魔!!」

 錯像の吸血鬼は次の瞬間に女を蹴り飛ばしていた。

「お前、お前お前! 彼を傷つけたよな?!」

 激情しながら錯像の吸血鬼は蹴り続ける。

「泡吹いて重症ですってぶってんじゃねぇよ!」

 だせぇよ、最後までだせぇなゴミが。俺はその様子すら観察していた。どうやら死んで間もない吸血鬼だったからまだ水分や細胞の働きが生きていたということなのだろう。

「……ケッ。ハハ……カカ!」

 大胆に高らかに笑い、奇妙に。そして「あ〜〜あ」と呆れ顔で重たく浅いため息を垂れる。

 その様を「見ていられない」と思った。要するにこの吸血鬼は通りすがりの人間を洞窟に招き幻覚を使って罠にはめ吸血鬼にしてから洗脳していたのだ。それでいて今もいたぶっている。

 俺は女に向け手をかざす。根詰まりを起こしたその牙から、影の個体化流動化を促す。

「悲鳴はいらない」そう心で願う。

 そして女の頭蓋は弾け飛んだ。首元までも間もなく散れぢれになる。一瞬のことだ。けれど、そうだ。

「あーあ、お兄ちゃんひどいことするんだ」

「ますます好みかも」

 次の瞬間には俺の背中を触っていた。妖艶な手草で背骨をなぞる。

「もういいよ」

 俺は振り返り同時に手刀を横に切った。

「あらこわい」

「これはもう……錯像の吸血鬼は悪質だな」

 俺は眉を潜めた。錯像の吸血鬼を切り伏せようとしても、霧のように消えてしまったそれでいて声は聞こえるのだ。全てが実体をともなった幻覚の類いだったのだと実感した。

「……っ」

 驚いた。錯像の吸血鬼は武器すら生み出せるのか。錯像の吸血鬼は俺の首にナイフを突き立てていた、今にも喉仏をくり抜かんとするようにナイフは、洞窟の奥からの灯りが制止したまま鋭さを示していた。

 途端に灯りが消え、真っ暗になる。幻覚だろうか。

「嬉しいな〜」「私に向き合ってくれて」

 鼻歌の混じった優美な声が洞窟に響く。今俺がいるのは洞窟なのだろうか、こうされてしまえば何もかもが手中にあると思えてくる。

 その時足首に激痛が走る。

 しかしすぐに再生される。

「あら、困ったわね」

 錯像の吸血鬼は俺の吸血鬼的な特質を観察しているようだ、そして殺す方法を探しているのだ。そうするべきだろうなと思った、それは慎重な吸血鬼は強いからだ。

 しかし俺には相棒に仕込まれた技術と経験があることを、この吸血鬼は知らないのだ。

「……っ」いい加減慣れてきた。

 今度は両の膝裏を同時に切られた。それも再生する。

「この再生速度は生き物として異常かもね」「……生き物じゃないんだったけね」

 錯像の吸血鬼は俺が返事をしないと知っていながら1人ごとを言い続ける。

「なら……」その声が聞こえて途端に景色が切り替わる。十字架があった。奥には蒼く妖しげに輝くステンドグラスの立派な壁が待っていて、十字架には貼り付けの男の裸体の彫刻。その両脇には天使がいた。

「キリスト……」そう心でつぶやいた。

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