第3話 鬼哭 後編
『…次のテーマです。ワオ警備保障のヨモギ・アサカ社長の殺人事件について、犯罪心理学の専門家と元MPD凶悪犯罪課刑事のお二人をゲストに、事件の分析をしていきましょう』
『まだ確定はしていませんが、仮に社長が何者かに殺されたのであれば、それはおそらくニギタマ製薬内の権力闘争によるものではないでしょうか。ワオ警備自体は事業規模も小さく、目立った企業ではないですが、ニギタマ製薬と専属契約を結んでおり同社の警備部門の四割を占めています。ワオ警備を追い落とし新規参入しようとするものがいても不思議じゃない』
青空を泳ぐクジラのような飛行船の腹に装備されたディスプレイ、そこからワイドショーの生放送映像が垂れ流される。コメンテーターたちが台本に沿って当たり障りなく舌戦を繰り広げ、メディアは民衆の不安を煽り、人々は話題作りの材料の一つとして番組から得られる情報を摂取していた。
遠くの空を往く飛行船を眺めながら、クイーンは二リットルボトルの水を飲んだ。全身から健康的なサラリとした汗を流した後には、水分補給が大切だ。
「おまたせ。続けよう」
動きやすい服装で髪もまとめた状態のクイーンは、ジャックに向き直り、補助脳にインストールしたヘビ・ケンの構えをとった。
ジャックが無言でうなずく。
クイーンが地を蹴った。蛇の顎に見立てた拳を繰り出す。ジャックが両腕をクロスに組んで防御。右こぶしの素早い下フック。クイーンが上体を反らして回避。さらに身体ひねって両腕で地面を押した。その勢いを載せて両足を揃えた強力キックが炸裂した。ジャックは防御するが衝撃を抑えきれず、わずかにバランスを崩す。クイーンは相棒の隙を見逃さなかった。さらに追い打ち。飛び横蹴りをジャックの脇腹に食らわせた。たまらずにジャックは吹き飛んで地面に転がった。
「はあ、はあ、はあ、ハーッ、やった! 九敗一勝、ようやく一点とれた!」
クイーンは嬉しそうにガッツポーズを作った。
クイーンとジャックの兄弟はクリニックの裏庭でトレーニングをしていた。主にクイーンがインストールした格闘ソフトウェアの習熟が目的だ。サイバネティクスが普及して知識技能が簡単に取得できるようになってきているとはいえ、それらを十全に扱えるようになるにはまだまだ練習が必要だった。
「強ク、ナッタ」
兄弟からの賛辞にクイーンは照れ臭そうに鼻をこすった。
「それじゃあ着替えてくる。準備出来たら情報屋のおばあさんの所に行こう」
そう言って彼女は兄弟に手を伸ばす。
ジャックも手を伸ばし、うなずき立ち上がる。
二人はそろって室内に戻った。
遠くの空から雨雲が近づいてきていた。風も強さを増していく。
濡れタオルで体を拭くと、クイーンは事前に部屋からおろした紅いスーツに袖を通した。ジャケットの下は黒のチューブトップだ。準備は万全。いざ出撃の時だ。
「ヒメコ、今大丈夫か?」
ホワイト医師に話しかけられたクイーンは、ため息を吐いて背後を振り返った。
「もうすぐ出るけど、ええ大丈夫よ。どうしたの、先生」
クイーンは腕組みをしてホワイト医師の目を見た。
「さっきテレビで流れていたんだが、警備会社の社長が死んだニュース、あれは……」
ホワイト医師はその先を口にすべきか迷い、言葉を探すように視線が宙を泳ぐ。
「ご明察。そう、あたしたちがあいつを殺してやった。夜中に、電車でね」
「なんてことを……、自分が何をしたか分かっているのか! いくら子会社といえ、企業の幹部を殺すなんて、企業に戦争を仕掛けているのと同じことなんだぞ⁉」
「ならどうしたらよかったわけ? あのクソ野郎を仕留めるにはあの時しかなかった。企業幹部が一人になるタイミングなんて、次がいつあるかも分からないのよ! チャンスは逃さずに行動しろ。あたしはそう教わった」
「その行動がどんな結果をもたらすかまで考えてから動くべきだとも教えたはずだ。冷静になれ、時間をかけて慎重に行動するんだ」
「あたしたちは十分に待った。むしろ遅すぎたくらいよ。もう一日だってあいつらをのさばらせておくなんてできない! 今なのよ。明日でも昨日でもない、今やるしかないの!」
強風が窓を揺らした。
「……なんでそんなに連中にこだわる。忘れて普通に生きることだってできるのに、なぜなんだ」
ホワイト医師はクイーンに疑問をぶつける。彼は幼いクイーンたちを連れ出してから、人並みの生活が送れるように可能な限りの教育を施してきた。小中は学校に行き、高校は本人の希望で通信制だった。そして自分の身を守る護身術。彼が与えられる知識はすべて教え、根気強く世界の広さを説いてきた。それなのに、なぜ……
「あたしだって普通になろうとした。小学校は楽しかった。中学では好きな男の子だっていた。それでも! それでもダメだった。奴らがどこかで見ている、どこかから狙われている、追い出そうとしてもいつも頭の中に浮かんでくる!」
「……! そんなに、そんなにつらかったのか……」
ホワイト医師は己の至らなさが情けなく思った。クイーンが過去を払拭できていないことは知っていた。できるだけそれを改善しようとしてきた。だが、それもムダだったようだ。もしかすると、今までの事はすべて逆効果だったのではないか。クイーンとジャックのために行ってきたこと、今までの事すべてが、彼女たちを苦しめていたのではないか。自身への疑念に、ホワイト医師は足元が揺らぎ崩壊していくような錯覚を覚えた。
「先生があたしたちにしてくれた事は感謝している。それでも、それとこれとは別なの」
クイーンは会話を打ち切ると、逃げるようにホワイト医師の横をすり抜けていった。
自分ひとりになったホワイト医師は、食卓の椅子に腰を下ろし、静まり返ったダイニングでクイーンの言葉を何度も反芻した。まだまだ子供だと思っていた相手からのキツイ一撃に、彼は自分が思うよりもはるかに深くショックを受けていた。覆い隠していた不当な罪悪感が這い寄ってきて、彼の記憶を、幼かった子供たちとの過去を呼び起こす。
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