2章 可愛いは加速する

 会社に退職届を出してから2ヶ月がたった。

 退職理由は適当に誤魔化したが、なんとかなった。佐藤さんはすごく悲しんでくれて、退職するまでの2ヶ月はほぼ毎日一緒にお昼を食べた。「やっと仲良くなれたのに!」とか「嫌な事があったなら教えて。私が何とかするから!」とか言ってくれたが私の意思は固い。


「なんでそんなに私の事気にかけてくれるの?」

 退職してしまう前に私はずっと気になってたことを佐藤さんに聞いてみた。

「最初は、せっかくの同僚なんだから仲良くしたいと思ってたんだ。でも、私がどんな話をしても乃愛ちゃん全然笑ってくれないし楽しそうじゃなくて、なんだか、悔しかったの。それで何かある度話しかけてた。いつか絶対笑わせてやる!って」

「それでさ、お昼に初めて一緒に喫茶店でケーキを食べた日あったでしょ?あの日からさ、乃愛ちゃん別人になったみたいに笑うようになったよね。私の話も真剣に聞いてくれて、おすすめしたケーキも食べてくれて……嬉しかったなぁ」

「だから、あの日からは悔しくて話しかけるんじゃなくて、単純に乃愛ちゃんと仲良くなりたくて話しかけてただけだよ」

「仕事辞めたあとも元気でね。そういえば彼氏と同棲始めたんだっけ。いいね〜幸せだね〜!今度話聞かせてね。絶対連絡するから」


 そう、私は今の職場を辞めるのをきっかけに蓮と同棲を始めた。そんなに広い部屋では無いけど、ベランダがあって部屋も2つある。1つは私の部屋で、もう1つは蓮の部屋。でも寝る時は必ず蓮の部屋で寝る。ダブルベッドを買ったけどずっと抱きしめられながら寝てるからシングルでも良かったかもしれない。

 蓮は前までもだけど、最近は特に私にずっとべったりくっついて離れようとしない。

 私がちょっと帰るのが遅くなったり、どこかに出かけて家に居なかったりすると、すぐ連絡がきたり迎えに来てくれるようになった。心配してくれるのは嬉しいし、私も蓮と一緒にいたいからなるべく休日は家に居るようになった。元々少ない友達と遊ぶこともほとんど無かったし、買い物もネットで済ませたり、蓮と一緒に行けばいい話だから特に困った事は何も無い。

 ……でも、蓮は何がそんなに心配なんだろう。私はどこにも行かないのに。


「今日はビーフシチューだよ」

「やった!俺、乃愛の作るビーフシチュー大好き。いや、乃愛の作るご飯なら何でも好き!」

「ふふ。ありがとう」

 蓮がお皿やスプーンを準備してくれて、私がそこに盛り付けていく。我ながらいい出来だ。

「美味しそう!ほんとに乃愛はなんでも出来て凄いなぁ」

「はいはい、わかったから!せっかくの出来たてなんだし早く食べよ?」

「そうだね!いただきます」

「いただきます」

 蓮が目をキラキラさせながらビーフシチューを食べる。こういう時の蓮は少し子供っぽくて可愛い。

 余程お腹がすいてたのか蓮は直ぐに食べ終わってしまった。

「ごちそうさま!愛情たっぷりですごく美味しかったよ」

「それは良かった。……私まだ食べ終わらないし、先に休んでていいよ?」

 蓮は食べ終わってもなお食卓の椅子に座ったままこちらを眺めていた。

「俺にとっては乃愛と一緒にいる時間が最高の癒しだから。こうやって眺めてるだけですごく疲れが取れるよ」

「……恥ずかしいからそんなに見つめないで」

「やだ。可愛すぎて、一瞬でも目逸らしたくない」

 ……今度絶対仕返ししてやる。



 余談だけど、バレンタインデーの次の日は蓮が言った通り私が蓮にマカロンを食べさせてあげた。私の手にあるマカロンを美味しそうに頬張る姿は、小動物のようで可愛かった。

 ホワイトデーはいつも通り蓮からマロングラッセを貰った。蓮は結構食べ物の意味とかを気にする人だった。

 けど今年はバレンタインにマカロンを食べさせてくれたお礼だと言い、今度は全部蓮が食べさせてくれた。いちいち蓮は「あーん」と言いながら口へ運んできた。付き合い始めの浮かれたバカップルみたいで、二人きりなのに少し恥ずかしかった。


 そんなこんなで私は毎日が幸せだった。だから、もっと可愛くならなければいけなかった。

 仕事を辞めたのも、今の職場じゃダメだと思ったからだ。ここは可愛くない。もっと可愛くなるには環境から変えなければ。


 退職するまでの2ヶ月の間にいくつか私が思う可愛いお店をピックアップした。そこに片っ端から面接に行くことにした。でも、本当は一番働きたいお店は決まっていた。他のはそこに落ちた時の保険だ。



 そして、私は見事第一希望のお店、そう、蓮があのリップグロスを買ってくれたブランド、『eternal dream』で働けることになった。私の今まで使ってこなかった運が今全部回ってきてるような気がしてならなかった。だってあまりにも全部が上手くいきすぎてる。最早怖いぐらいに。


 蓮にもすぐ報告した。蓮は「凄いね!流石乃愛!」と言って頭を撫でてくれた。

 その時私はどこか違和感を感じた。蓮の表情が、手の動きが、どこか、ぎこちなかった。私はあまり人の変化に敏感じゃないけど、蓮とは長年の付き合いがあるからわかる。

 でも、私は言わなかった。

 気のせいだって事にした。そう、思いたかった。



「夢野乃愛です。よろしくお願いします」

 よろしくね、という声とやさしい拍手が鳴り響く。社員の人達はほぼ女性だった。そして、みんな可愛さを持っていた。


 私に基本的な事を教えてくれたのは永野さんという人だった。永野さんは物腰が柔らかく、とても話しやすかった。


「そう、自分磨きの為に転職したんだ」

「はい、そんな感じです」

 eternal dreamで働き始めて早1週間。

 私は休憩時間も永野さんと話していた。

 自分磨きと言えばそうだけど、そんなに素敵なものでは無い。わざわざ訂正する事でもないからそのまま話を進める。

「いいね。大事な事だと思うよ、自分磨き。人生まだまだ長いんだからやりたい事やらなきゃ損だよね」

「はい!私もそう思います」

「だよねー。私も自分磨きしようかな」

「永野さんはそのままでも十分素敵ですよ」

「本当?ありがとう。嬉しい。でも私の中ではまだまだ課題が沢山あるんだよね。もっと人からかっこいいって思われる女性になりたくてさ」

 驚いた。永野さんはかっこいいというより、可愛い……いや、綺麗という言葉が似合う人に見える。

「そうなんですか。ちょっと意外です」

「でしょ?よく言われる」

 永野さんが笑う。

「だから、夢野さんの自分の意思をしっかり持ってる所、本当にかっこよくて尊敬するよ」

「かっこいい?」

 私が?

「うん。見た目は可愛い感じなのに芯はすごく強い。私も夢野さんみたいになれたらいいんだけどね」

 わかってる。

 かっこいいと言うのは永野さんの言う通り見た目の話ではなく、私の可愛いに対する姿勢についてだ。でも、私は全部を可愛くしたいのに。

「あっ、そろそろ休憩時間終わりだね。午後も頑張ろっか」

「はい」

 午後からの接客は全然上手くいかなかった。


 私は蓮の部屋のベッドで横になって考え事をしていた。もちろん、お昼に考えた事についてだ。

 私の全部を可愛くしたい。だから、私にかっこいいは要らない。他の言葉は、要らない。

 どうしてこんな風に思うのかわからなかった。まるで子供みたいだなと自分でも思う。だってそんなのほぼ不可能に近いし、全部完璧に可愛いで統一された人間なんて逆に人間味が無くて怖いだろう。そう思うのに、私の心は納得してくれない。脳と心が連動してくれない。心が邪魔をして上手く頭が働かない。

 これは考えるべきじゃなかった。昔から考えたってろくな答えが出ない事は考えないようにしてるのに今日はつい考えてしまった。というか、可愛いに拘るようになってから前より考えることが増えた。


「ただいま〜」

 蓮が帰ってきた。私が迎えに行く前に蓮が部屋に入ってくる。

「やっぱりここに居た。お仕事お疲れ様。先に寝ててもいいよ?」

「蓮こそ、お疲れ様。眠いけど……蓮と一緒に寝たいからまだ寝ない」

「そっか〜ふふ、可愛いね」

 蓮が私の顔にたくさんのキスを落とす。

「じゃあ一緒にお風呂に入ろう」

「私もう入ったよ?」

「湯船に浸かるだけでいいからさ、ね?」

 そんなに可愛い顔で強請られたら断る事なんて出来ない。



 二人で狭い湯船に浸かる。私は蓮に後ろから抱きしめられていた。

 首筋にたくさんのキスが落とされる。

「乃愛は将来俺とどんな家住みたい?」

「今だって一緒に住んでるじゃん」

「そうだけど、そうじゃなくてさ。ほら、家を建てるとしたらどんな家がいい?」

「うーん。そうだなぁ、白くて大きくてお城みたいな家かな」

「……そっかぁ。なるほどね」

「蓮は?」

「俺?俺は乃愛と一緒に居られるならどんな家でもいいよ。でも、乃愛の望みはできる限り全部叶えてあげたいからもっとお金稼がないとね」

「無理しないでね。……別に私も蓮と一緒に居られるならお城みたいな家じゃなくていいよ」

「……はぁ、ずるいなぁ。乃愛は」

 ぺろ、とずっとキスされていた所を舐められる。びっくりして少し声が出てしまった。

「ふふ。ほんと、可愛いね」

 蓮は口癖のように私に可愛いと言ってくれる。その言葉で私は救われる。

「ねぇ、蓮」

「なぁに?」

「もし……もし、私が可愛くなくなったら、私の事嫌いになる?」

 聞いてしまった。心臓がどくどくと嫌な動きをする。

 蓮は何も言わない。

「ごめん、やっぱり今の」

「好きだよ」

 無し、って言おうとしたのに。蓮が先に答えてしまった。

「乃愛が可愛くなくたって、好きだよ。乃愛が、乃愛である限り俺はずっと大好きだよ」

 そうか。そうだったんだ。

「あぁ、でも俺の事を大好きでいてくれる乃愛は世界で一番可愛いよ」

「うん」

 じゃあ、ここからは蓮の為、なんて言い訳は出来ない。

「私もそう思う」

 蓮が私に可愛さを求めていなくても、私はもう止まれない所まで来ていた。

 全部を可愛くしたい。可愛いだけ見て生きていたい。蓮に可愛い私を見て欲しい。私が、私の為だけに可愛くなる。本当はその方蓮だって嬉しいはず。大丈夫、蓮の瞳には私が映ってる。だからなにも心配はいらない。

「私、もっと可愛くなるよ」

 私だけを見ててね、蓮。


 それから私は常に誰かに見られてると思って生活するようにした。1秒も気を抜かないように、ずっと可愛くいられるように。

 その成果もあってか、接客についてお店でもよく褒められるようになったし、永野さんも前よりももっと可愛くなったと言ってくれた。

 それから食事にも気を使うようになった。というか食べる量を減らした。

 蓮にバレたら多分心配されちゃうからなるべく一人の時は何も食べずに、誰かといる時だけ食べるようにした。

 睡眠時間も削ってメイクの研究をしたり、自分を着飾る為の可愛いを探し続けた。

 ただ、その分疲労がすごい。

 蓮の前では完璧に可愛くいたいのに、最近は疲れで動けない事が多くなってきた。

 でも止められなかった。

 私はきっと、可愛いに囚われてしまったんだ。


 そんな日々を過ごしていると、久しぶりに学生時代の友達から連絡がきた。どうやら当時付き合ってた彼氏と結婚するらしい。長いこと会ってなかったし、結婚式の前にランチでも行かない?との事だった。

 正直疲れが溜まりすぎて体は悲鳴を上げていたし、せっかくの休日は蓮と過ごしたかった。

 でも私は行くことにした。長らく会ってなかったと言っても、結婚式によんでくれる様な友達だ。式の前に私も彼女と話しがしたかった。


「久しぶり〜!!元気だった?」

「うん。佳奈も元気そうで良かった」

 久しぶりに会った友人は以前と変わらず弾けんばかりの笑顔で笑っていた。

 佳奈は小学校からの数少ない友人だ。明るく、元気でみんなから好かれていた。

「ていうか乃愛めっちゃ可愛くなったね!!」

「えへへ、ありがとう」

「いや本当に!前から美人だったけどさ、結構そういうの無頓着だったじゃん。いっつも勿体ないな〜って思ってたんだよね」

「そんなことないよ。でも今は自分が可愛くなっていくのが嬉しくて頑張ってるの」

 可愛いって言って貰えるのは嬉しい。自分の進んでる道は間違ってないって思える。

「……乃愛、変わったね。すごく。見た目だけじゃなくてさ、中身も」

「そうかな?」

「そうだよ!高校まではさ、なんというかさっぱりしてた感じ。それに、明るい顔してることなんかほとんど無かったし」

 そうだっただろうか。正直昔の自分の事はあんまり覚えてない。興味がなかったから。

「でも今はすごく楽しそう。良かったよ。あ、そういえば一条とは最近どうなの?」

「蓮?今は同棲してるよ」

「おおー!じゃあ今は幸せ絶好調だね。特に一条は」

 佳奈がまるで自分の事のように喜ぶ。

「一条ほんと乃愛一筋だったからね〜。ずっと好きアピールしてるのに全然乃愛は気づいて無さそうだったし。ほんと、2人が上手くいってるみたいで良かったよ」

 ……そうだっただろうか。

「……佳奈の方こそどんな感じなの?もうすぐ結婚式なんだし、そっちの方が幸せ絶好調なんじゃない?」

 私は話題を変えた。これ以上この話をしたくなかった。

「私か〜。もちろん幸せだよ」

 佳奈は言葉とは裏腹に全然幸せそうな顔では無かった。

「何かあったの?」

「乃愛はいつも直球で聞いてくるよね。そこが好きなんだけどさ……私の気のせいかもしれないけどさ、彼、真也さ。私じゃない、別の好きな子がいるんじゃないかなって」

「浮気してるって事?結婚前なのに酷すぎる……そんなの」

「ごめん違うの。浮気してるとかじゃないんだ」

 別の好きな人がいるかもなのに浮気じゃないって一体どういうことなのか、私はよくわからなかった。

「乃愛さ、幼稚園の頃の記憶ってある?」

「幼稚園の頃?」

「うん。真也、乃愛と同じ幼稚園だったんだよ」

 知らなかった。

「ごめん。田中くんが同じ幼稚園だった事も覚えてないし、そもそも小学校の記憶もあやふやで幼稚園の頃なんて全く覚えてないや……」

「いいよ全然!気にしないで!私だって覚えてないし。ただ、真也ね、ずっとその頃のアルバムを持ってるんだ。たまに見返すとかじゃなくて、結構な頻度で見ててさ。やっちゃいけないことだってわかってたんだけど、私その中身見ちゃったの。でも見た後本当に後悔した」








「中身、全部同じ子の写真だったの。真っ白のフリフリのワンピースを着た、゛可愛い゛お人形みたいな子。他の写真は全部抜かれてたし、他の子が写りこんでる所も塗りつぶされてた。きっと、真也はその子の事がまだ好きなんだと思う。……私よりも」









「乃愛」

「……なに?」

「病院に行こう」

 蓮が何を言ってるのかわからない。病院?どうして?

「私は別にどこも悪くないよ」

「そんな顔色でよく言うね」

 顔色?顔はファンデーションを厚めに塗っているからそんなのわからないはず。

「わかるよ」

 私は何も言ってないのに蓮は私の心を読んだかのように言う。

「どれだけ一緒にいると思ってるの。最近全然寝てないし、ご飯を食べる量だって減ってる」

「……」

 自覚はあった。

「毎日ふらふらでいつ倒れるかわかったもんじゃないよ。……乃愛が心配なんだ」

「心配かけてごめんね。でも大丈夫だから」

 病院に連れてかれる訳にはいかない。やっと最近体重が理想に近づいててきたし、仕事も上手くいってる。今休む訳にはいかない。

 それに、数日後には佳奈の結婚式がある。

 そこには絶対に行かなければいけない。絶対に。

「なにが?ねぇ、乃愛。なにが大丈夫なの?」

 蓮が怒ってる。蓮が私に怒る姿を見るのは多分2度目だ。あれ、一度目はいつだったっけ。

「また考え事?最近は考え事が多いね。それって今話してる事より大事な事?」

「蓮のこと考えてたんだよ」

「そっか。じゃあその乃愛の大好きな蓮くんのお願い聞いてくれる?」

「病院は嫌だ」

「わかった。じゃあ、ちゃんと寝て、ちゃんと食べて。約束できる?」

 今約束しないと蓮はどんな方法を取ってでも私を病院に連れていきそうだった。

「うん、約束する」

「絶対だよ。……俺も乃愛を病院に連れていきたい訳じゃないからね」

 蓮が私を優しく抱きしめる。

 ……私は今日もあのリップをぬっていた。

 でも、蓮はキスをしてくれなかった。



 今日は佳奈の結婚式だ。

 私は蓮と一緒に式場に来ていた。正直今日だけは蓮と一緒に来たくなかった。

 蓮はあれからいつも通りを装っているけど全然そんな事ない。私がちゃんとご飯を食べてるか、寝てるかよく見てくれるし、寝る時だって抱きしめてくれる。でも、やっぱりキスはしてくれなかった。


「乃愛!一条も。来てくれてありがとう」

「おお、一条と夢野か。わざわざありがとう」

「佳奈、そのドレスすごい似合ってる。素敵」

「ほんと?ありがとう!!乃愛のお墨付きだ!」

「うん。二人ともよく似合ってるよ。この度は、結婚おめでとう」

 披露宴が始まって私達は二人に挨拶しに行った。

 佳奈は本心はわからないけど、幸せそうな顔をしていた。良かった。

 しばらく雑談して私達は席に戻る。その時、田中くんが式場から出ていくのが見えた。恐らくお手洗いだろう。

「蓮、私お手洗い行ってくるね」

「そう?じゃあ俺も行こうかな」

 蓮が私の手を掴む。

「蓮はさっき行ってたでしょ?すぐ戻ってくるから、ちょっとだけ待ってて」

「…………わかった」

 蓮はゆっくり掴んだ手を離した。

 まるで、今生の別れのように。

 本当は心配なら一緒に行こうと、手を引きたかった。でも、だめだ。このチャンスを逃す訳にはいかない。





 私は走って田中くんを追いかけた。

「待って!田中くん」

 彼は私に気づいたようで、すぐそこで立ち止まってくれた。

「夢野?どうしたんだこんなとこで」

「……単刀直入に聞くね。幼稚園の頃、よく白いフリフリのワンピースを着てたお人形みたいな女の子、覚えてる?」


 田中くんが息を飲む。

「その反応は、覚えてるよね?」

「……あぁ」

「私さ、思い出そうとしたんだけど全然思い出せなくて。私にとって……すごく、大事な人だったはずなの。でも、名前すら覚えてない」

「多分、お前は記憶に蓋をしたんだな」

「どういうこと?」

「あの子との思い出を忘れることで、お前は自分自身を守ってたんだよ。きっと、その方がいい」

「田中くんの言ってること、よくわからない。ねぇ、せめて名前だけでもっ」




「何してるの?」




 私のすぐ後ろに蓮がいた。

 私はびっくりして声が出なかった。どうして。待っててって言ったのに。

「ごめん、田中。乃愛が引き止めちゃったみたいだね。俺は乃愛と式場に戻るよ」

 待って、まだ、聞けてない

「蓮、まだ私」

「じゃあ俺行くな。またな夢野、一条」

 私の思いも虚しく、田中くんはさっさと行ってしまった。

「じゃあ俺達も戻ろうか」

 何でもなかった風にして蓮は私の手を握って歩き出す。手を掴む力が強くて、多分赤くなってるだろう。

 名前、聞けなかった。

 私は蓮に引っ張られながら顔も名前も思い出せないあの子に思いをはせた。


 その後私と蓮の間に流れる空気は最悪だった。

 私も口を開かなかったし、蓮も何も言わなかった。

 私達は元々二次会にも参加する予定だったけど、蓮が帰ろうと言うので仕方なく佳奈に挨拶だけして帰る事にした。さっきの事があった手前、蓮の言う事に逆らう気になれなかった。


 帰る途中も私達は無言だった。でも蓮は絶対に私の手を離さない。

 家に着いて玄関の中に入った途端、蓮は私を抱えた。

「蓮!?急に何」

「うるさい」

 すごく低い声だった。蓮がここまで怒ってるのは初めてだ。ちょっと、怖い。

 蓮は私をベッドまで連れてくとそこに私を押し倒した。

「ねぇ、乃愛。さっきは田中となに話してたの?」

 直接その事について聞かれるとは思ってなくて私は言葉につまる。

「俺に言えないこと?」

「そうじゃないけど……」

「じゃあ何?」

 別に蓮に隠しておく必要は無いはず。なのに、何故か私は絶対に蓮にあの子の事は聞いてはいけないという予感がしていた。

「蓮、怖いよ」

「乃愛が悪いんでしょ。俺に隠し事するから。……なに?もしかして田中と浮気してたとか?」

「違う!」

「じゃあ、言って。言わないならそういう事でしょ」

 この後に及んでも私は蓮にあの子の話は出来なかった。

「そっか。乃愛の気持ちはよくわかった。もういいよ、どうでも」

「ごめん、違うの、れん」

「だからもういいって。俺に好きって言ったのも何もかもやっぱり嘘だったんだ」

「嘘じゃない!!蓮、聞いて」

「聞かない」

 蓮が私の服を乱暴に脱がせていく。

「やだ、やめて」

「乃愛。俺は、乃愛が嘘つきでも、浮気しててもずっとお前の事が好きだよ」

 それがどういう意味なのか、わからない。

 そして蓮は私にキスをした。

 何度も何度も。せっかくぬったあのリップも多分とれてしまった。

 私はずっとそうして欲しかったはずなのに全然嬉しくなかった。こんなものが欲しかった訳じゃない。

「でも、蓮、だって……れん、だって」

 私は涙があふれて前が見えなかった。だから、蓮がどんな顔をしてるのかも、見えなかった。

 言いたかった言葉も蓮に口を塞がれて言えなかった。

「ふふっ」

 蓮が笑う。

「今の乃愛、ぜんっぜん可愛くないね。……それでも俺はお前の事を愛してるよ」




 あんなに酷く蓮に抱かれたのは初めてだった。

 優しさも、甘さも感じない行為。なのにたくさんキスをされて私はもう本当に何もわからなかった。

 私の目が覚めた時、蓮は居なくなってるかと思ったが、いつもと同じように蓮は私を抱きしめていた。







「おはよう」

 隣から甘ったるい声がする。

 まるで昨日とは別人だ。

「今日は絶好のデート日和だね」

 確かに外は晴れていた。

「寝てる時間が勿体ないし早く起きようか」

 蓮はそう言いながら私を揺さぶり、頬にキスをした。

 私は何も感じなかった。

「……デートするの?」

「嫌?」




「…………嫌」



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