第17話 文化祭一日目②

 執事服を脱ぎ、平凡な一般高校生へ。でも隣には聖良がいる。「囲む会」が終わり、僕も聖良を見送る立場なのかと思っていたら、彼女は少し不満そうな顔をして、

「はい、私の今日の三つ目のお願い。文化祭一緒に回ってね」

 僕の制服の袖を軽く掴んだ。それを見ていた優作が「浩介は鈍感だから、ちゃんとリードしてあげてよ、小柴さん」と豪快に笑った。聖良は「了解しました」と言って優作に敬礼をしてみせる。

「聖良はどこか行きたいところある?」

「そうだね、とりあえず学校を回ってみようよ」

 僕たちは一階から見て回ることにした。並んで歩いている間、聖良が密着してくるから、できるだけ近づきすぎないように距離を取った。それを知ってか聖良はだんだんと寄ってくる。あまり学校内で密着するのはよろしくない。腕章をつけていない覆面風紀委員がいるとの噂だし、先生たちの目も光っている。何より雛乃に見つかると家に帰ってから小一時間お説教タイムが始まってしまう。

「あ、見て。占い館だって。行ってみない?」

 並んでいるのはほとんどが女子と、仲が良さげなカップルたち。ここに並ぶのは勇気がいる。だが聖良はぐいぐいと僕を引っ張ってゆく。こういう時の女子パワーはどこから出てくるのだろう。

 十分ほど待って、僕たちの番が回ってきた。紫色のカーテンをくぐり中に入ると、いかにも占い師といった格好の女性が机の前に座っている。演出用のキャンドルが一本と、大きな水晶が机の上にどんと置かれ、雰囲気はなかなかのものだ。

「先輩、こんにちは。今日は彼女とご一緒ですか」

 聞き覚えのある声だった。でも誰だか思い出せない。

「忘れないでくださいよ、この前会ったばかりじゃないですか。織部奏子ですよ」

 顔がすっぽり隠れるヴェールを被っているし、この部屋独特の雰囲気もあるから、まさか奏子とは思わなかった。

「まあ、前も言いましたが私恋する人のオーラが見えるので。そういう占いです。ていうかお隣の人はどなたですか」

 聖良は、簡単な自己紹介をした。すると奏子は「ふぅん」とヴェールの中で何かを納得したような声を出した。

「私は人生相談とかはできません。ただオーラを見るだけです。それでいいですか」

 奏子の言葉に僕たちは頷く。水晶に手をかざすと、神々しく光始める。

「あ、これはただの演出です。ドンパチ・ホーテで千円で買ってきました」

 緊張感がなさすぎる奏子の言葉に少し興覚めするが、まあこんなものだろう。奏子は僕たちをじっと見つめ、その長い沈黙が終わると静かにこう言った。

「先輩はピンク色のオーラが見えます。うん、人に対して優しいんですね。でも優柔不断。衝動的な行動はマイナスですから気を付けてください。今の恋愛オーラは、それほど強く出ているわけではありませんが、ずいぶんと揺れていますね、強風注意報って感じです」

 揺れていると言われ、動揺しているところを聖良に見せまいと、あえて冷静を装って占いに興味のないふりをした。一瞬聖良が僕のほうをちらりと見たけど、気づいていない鈍感男の態度でやり過ごす。摩耶と聖良のあいだで僕の心が天秤のようになっているかは、自分でもよくわからなかった。でもこうやって占いで言い当てられると、そうなのかもしれないと思えてくる。

「では続いて女性の方ですね……。ええと、小柴聖良さんのオーラは白と紫ですね。さすがライラック。癒しの力が強いですね。周りにいる人をみんな浄化していく勢いです。でも利己的な行動に走ると、一瞬で世界を破壊してしまいそうな怖さがあります。そこは気を付けてください。今の恋愛オーラは、うん、まさに恋する乙女って感じです。どなたか好きな方がいらっしゃるのか、それとももう恋愛中なのか。あとは、過去に縛られるのはよくないです。人を恨んでもいけません。未来志向で行きましょう」

 奏子の話を真剣に聞いている聖良は、何かを深く考え込んでいるようだった。それにしても聖良は彼氏がいるのだろうか。いるのに僕とこうやって歩いているのだとしたら、その人に申し訳ない気もする。

「先輩、頑張ってくださいね。私も頑張りますから」

 占い館を出た後も、聖良はしばらく奏子の言葉を反芻していた。

「占い、当たってた?」

「そうだね。結構当たってた、かも」

 聖良は下がった眉を僕に向けた。

「揺れてる、って言ってたよね。しかも強風注意報だって」

「できれば無風がいいな」

「風がなければ前に進めないんだよ」

「強すぎると火が消えるかもしれない」

「んもう、優柔不断なんだね」

 聖良は早足になり、すたすたと僕を置いて進んで行く。こうやって歩いていると、カップルに見えなくもない。聖ライラックの制服を着ている聖良はそれだけで目立つ。聖良は太陽、僕はカスミソウ。

 占い館を出た後、僕たちは焼きそばを買い二人で食べた。聖良が焼きそばを食べている姿は何だかギャップがあって面白かった。それを聖良に話すと、

「私が霞を食べて生きていると思ってるの」

 と言った。

「毎日伊勢海老を食べてそう」

「まさか。うちはそんなにお金持ちじゃないし。毎日ご飯に味噌汁です」

 そう言いながら焼きそばを美味しそうに食べる姿に親しみを覚えた。聖良が僕の唇に指を伸ばして青のりを取ろうとする。僕は驚いて自分で取れると言った。聖良は残念そうに指を引っ込める。周りに人はいないけど、でもやっぱり恥ずかしい。

「こんなことしたら彼氏に怒られるんじゃない?」

 聖良の顔が一変して阿修羅のような形相に変わった。

「浩介君? 私に彼氏なんているわけないでしょ」

「えー、聖良モテそうだし。きれいだし」

 実際彼女は清潔感があってきれいだ。野に咲く可憐なライラック。聖良は僕の言葉をかみしめるように何度も繰り返していた。

「そろそろ僕の妹がスピーチをするんだけど、見に行かない?」

 聖良を誘い、雛乃のスピーチが行われる体育館へと急ぐ。会場の一番前の席に座り、雛乃の登場を今か今かと待った。前に一度聞いたことあるスピーチだけど、何故だか今日の方が緊張する。そして拍手に迎えられ雛乃のスピーチが始まった。雛乃は壇上に上がるとすぐに僕が一番前に座っていることに気が付いたようだ。たぶん僕の隣にスピーチで優勝した聖良がいることもわかっただろう。僕が小さく「がんばれ」のガッツポーズをすると、それを見た雛乃は胸のあたりをさすり、心を落ち着けてスピーチを始めた。 

 雛乃のスピーチは前よりも精度が格段に上がっていたように思う。前回のスピーチも素晴らしかったけど、間の取り方や声の抑揚、何よりメッセージを伝えようとする気持ちが前面に出ていて、僕たちの心にストレートに響いてきた。自分の学校でのスピーチだから、

アウェー感がないのも雛乃にとってプラスになったのかもしれない。まったく、兄として誇らしい。隣で聞いている聖良もひとつひとつの言葉に頷いたりして、スピーチに引き込まれているようだった。

 雛乃がスピーチを終えると、会場は大きな拍手と歓声に包まれ、立ち上がって賞賛の言葉を投げかける生徒もいた。「良かったぞ」とか「最高!」とか多くの生徒が声を上げている。中には「ひなのー結婚してくれ」などと口走る生徒がいて、そういう危険分子は兄としては聞き捨てならないけど、みんなが雛野を褒め称えていた。


 僕たちは拍手のやまない体育館を出た。一日目の文化祭も、もう終わりだ。

「文化祭楽しかったな。今日は浩介君のおかげで最高の一日になったよ」

 軽快な洋楽がずっと流れている。校内は一日目が無事終わった安堵感と、明日への期待に溢れていた。生徒たちはみんなうきうきと掃除をしたり、今日の感想などを話している。

僕も冥土喫茶を手伝ったり、聖良と学校を回ったりして、充実していたと思う。

 聖良は校庭の鉄棒に体を預け、夕日を背にして僕にこう言った。

「そういえば私の最後のお願いがまだだったよね。放課後時間あいてるかな」

 僕は中庭で会う約束して一旦クラスに戻った。委員長がみんなを集め、今日一日の成果を発表した。冥土喫茶はかなりの売り上げが出たようだった。渋沢が僕の所に近づいてきて感謝の言葉とともに僕の肩を軽く叩いた。メグにも、「結構活躍してたらしいじゃん、おつかれー」とねぎらいの言葉をもらう。僕自身はそれほど頑張れたかどうかはわからない。でも聖良にはみんなの言葉を伝えよう。

 クラスが解散となり聖良のもとへと急ぐ。少し気温が下がって聖良は薄いカーディガンをはおっていた。彼女の名前を呼ぶと嬉しそうに手を振る。

「じゃ、行こうか」

「行くって、どこへ?」

「着いてからのお楽しみ」

 聖良の足取りは軽く、表情も柔らかだった。クラスメイトが聖良に感謝をしていたことを伝えると顔を頬にあて、はにかむ。 

 下校中の小学生の列とすれ違う。子どもたちが歌を歌いながら楽しそうに家へと帰っていく。微笑ましい光景だ。僕たちはもう十五分もこうやって歩いている。いったいどこまで行く気なのだろう。彼女のカーディガンが揺れ、秋の涼しい風が二人の間を抜けていく。

「ここだよ」

 そこは先日摩耶と来た公園だった。なぜ聖良がここに僕を連れてきたのかわからない。もしかして摩耶との関係を詰られるのかと、後ろめたい気持ちで一杯になった。

 摩耶と同じシーソーに腰掛けて、聖良が言う。

「私たち子どもの頃この公園で遊んだの覚えてないかな。おとなしかった私は、浩介君たちと遊びたかったんだけどなかなか仲間に入れてもらえなくて。すっごく悲しかった」

 子どもの頃ここで遊んだ? 雛乃が不忍池で言っていた話と似ている。でも雛乃の話だと、一緒に遊んだのは摩耶で、聖良ではないはずだ。

「でもある時急に仲良くしてくれるようになって。私たちは毎日のように遊んでいたよね。本当に楽しかったなあ。私は友だちが少なかったから、浩介君たちが遊んでくれて嬉しかった。私たちが会うのはいつも公園だったけど、ここへ来るのが待ち遠しくてしょうがなかったんだよ」

 ぼんやりと、一人の女の子が脳裏に浮かんでくる。でもそれが誰なのかはわからない。砂場で松本城を作った話を小柴にすると、彼女も「そんなことあったね」と膝を打った。おかしい。雛乃の話では、お城を壊したのは摩耶だったし、摩耶もそう言っていた。僕の頭は混乱した。

「私の家はその頃お金がなくて、きれいな洋服なんて買えなかった。いつも同じ服で恥ずかしかったな。でも浩介君は私を受け入れてくれた。そして私に甘いチョコレートをくれた。私そのことが忘れられない」

 あの時一緒に遊んでいた女の子の名前……。そうだ、確かに「せいら」だった。でも苗字は「小柴」ではなく、「中村」だった。「中村聖良」があの時の女の子だ。

「それは私の元の名前だよ。両親は駆け落ちしたんだけど、お父さんの苗字が中村なの。私たち家族は小柴家に認められず、ずっと貧乏生活をしてた。でも母の兄、つまり私の伯父だけは親切にしてくれたの。両親と小柴家を和解に導いてくれたのも伯父のおかげ。交通事故で死んじゃったけどね」

 次々と明らかになっていく事実に頭が追いつかない。聖良が僕の幼馴染だったことも驚きだし、雛乃が嘘の作り話をしていたことも、信じられなかった。

「君があの時の女の子だなんて……。でも公園で遊ばなくなったのは何で?」

 聖良は僕の言葉に体を少し震わせて、公園の向かい側にある大きな病院を指さした。

「私たちは楽しく遊んでいたの。でもあるときから雛乃ちゃんはあそこの病院によく行くようになり、公園で遊ぶ回数は減った。結局雛乃ちゃんは公園に来なくなってしまった。そうすると浩介君も自然に来なくなった。私はひとり取り残されてしまったの。毎日毎日ここで二人を待ったけど二度と現れなかった。ハチ公の気分だった……。それから私はしばらくして海外転勤。帰国したのは高校生になったとき」

 そう言って悲しそうに空を見上げた。僕はあいづちを打つことさえできずに、聖良の話を聞いていた。

「雛乃ちゃんは、病気の子を助けるんだって言ってたよ。難病の子がいるって。あの子はどうなったのかな。生きてるのか、死んじゃったのか」

「聖良、その病気の子の名前は覚えてる?」

「もちろん覚えてるよ。私悲しかったな。その子がいなければ私たちの友だち関係はずっと続いたのにって。だから私はその子のことけっこう憎んでるんだ」

 ブランコに座っていた聖良が立ち上がる。緊張した表情で僕の顔をじっと見つめ、

「でもね、私はこうして浩介君と再会できた。あの交流会で、君を一目見たときすぐわかったの。あ、浩介君だって。話してみたら君は昔と全然変わらずに優しいままだった。うちの楽器店にも来てくれた。もうそれだけで胸がいっぱいになったの。でも」

 僕の方へと一歩近づき決意したように、

「それだけでは満足できなくなっちゃった。私、浩介君のことが好き」

 橙色の世界が、聖良を美しく染め上げていた。地平線の果てに僕たちは二人だけで立っている。公園の遊具も周りのビルも全部消えて、丸い線の上にただ二人だけ。突然の告白に僕は驚きつつも、冷たい水が体の中をすーっと通っていくように、なぜか冷静で落ち着いていた。ただ純粋に嬉しかった。聖良は僕をじっと見つめて、

「明日、後夜祭でキャンプファイヤーがあるんでしょ。私浩介君と一緒に過ごしたい。だめ、かな。もしかしてもう先約がいる?」

 一瞬摩耶のことが頭に浮かんだ。それはどんな感情だったのだろう。胸の奥がざわついたのは、摩耶を想ったからだろうか。答えが見つからないまま、言葉に詰まった。でも、聖良の気持ちに真っすぐに答えないと。

「明日一緒に後夜祭を過ごそう。でも告白の答えはちょっと待ってくれない? 自分の気持ちを整理をしたい」

 そう言うと聖良はこくんと頷き僕の腕をとって歩き出した。駅まで僕たちは言葉少なだったけど、何だか満ち足りた気持ちだった。このまま聖良と恋人同士になってもいいかなと思った。衝動的な気持ちではなく、彼女の優しさや真っすぐさに触れ心が動かされたし、何より純粋に彼女のことを大事に思ったからだ。

「じゃあね、浩介君。また明日」

 遠ざかる聖良を見送り帰路についた。こうして文化祭一日目は終わったのだった。聖良に告白されて気持ちが高ぶる一方で、雛乃たちがなぜ公園で遊んだのは摩耶などと言ったのか疑問に思い、ずっとそのことが頭から離れなかった。

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