ミクティカ

黒木 夜羽

殺戮前夜

 カーテンの隙間から、怒りとともに地面を見下ろすと、電柱の脇に一人に少年が立っている。影のように、あるいは、黒い翼をもつ堕天使のように。

 少年は、こちらを見ているのか。その、ナイフのように鋭い眼差しで。彼もまた、怒りと憎悪に焦がれるように、身を焦がしているのだろうか。


 心臓に、突き刺さるような痛みを感じ、彼女は、ベッドに倒れ込んだ。この苦しみは、一生消えることなく、身体に刻み込まれ、やがて、彼女を滅ぼすのだろうか。

 もう、死のう、と彼女は心に決めた。穢された体は、もう戻ることもない。もう、死のう。彼女は、そう、決めたのだった。

 それが、二週間前のことだった。だが、怖かった。このまま生き続ける苦しみに比べれば、死ぬことなど、怖くないと思っていたのだ。

 あの、廃墟の、わずかな月光の射す暗がりの中、一晩中寒さに耐えしのぎ、地面を這いずり回っていた女は、果たして、どうやって助かったのだろうか?

 怒り、屈辱、絶望、すべての暗黒なる感情が渦を巻いて、心を荒らしていた。痛みは、鋼の刃となり、彼女の体を刺すようだった。

 絶望と、痛みの苦しみに、彼女は吠えた。慟哭の叫びを、

 憎悪の声を、解き放ち、

 あああああああああああーーーーーーーー

 目の前の美しく揺れている水鏡を見た。満月が、朧に揺れて、泳いでいた。黒い真珠のような鏡面に、はっきりと映し出された彼女の顔は憔悴と苦痛で歪んでいた。輝きをなくし、美は欠落していた。まるで、自分の顔とは思われない、その顔が。

 生きろ、と彼女に向かって言った。

 生きて――。


 少年は、電柱の影から、歩み出た。黒いマントに身を包み、寒さに凍えるように身を震わせると、そのまま消えるように走り去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る