ブルゴーニュに生まれて

時流話説

第1話 一口目


 女がワインわたしを手に持つ―――グラスに注いだ。

 半身がもぎ取られるような心地になる。

 生じる痛みも感触すらも一切なかったが、グラスの中に一部が置き去りになって、離れていった。

 それはワインわたしから巣立っていったのかも、しれなかった。


 グラスを傾けた女は、舌を、吐き出すように伸ばす。

 堪らず出してしまった声は、テレビから聞こえる男の声にかき消された。


「まあ、でもマシな方か……」


 それが、わたしを飲んだ感想らしい。

 グラスは、普段は水を飲むことに使っているものだ―――女はわたしのためのグラスを持っていなかった。

 そこで不快感もありはした。

 ただ、それと同時に気になりもした。


 彼女は、酒を飲んだことが無いのだろうか?

 そう思案して見たくなるほどには、幼く見える―――わたしの故郷で見かけた人間よりは、小柄でもあった。

 途端に、愉快な気分になってくるわたしであった。


 女の思考は巡り、わたしにもそれは巡る―――わたしがヒトに取り込まれている時のみ、成せる業だった。

 それによると、どうやら酒を飲める歳なのは確からしい―――。


 酒に弱いのではないかとわたしは思った———予想は当たっていたらしい。

 否———すこし異なる。

 女が苦手なものは、もっと多人数の、いわゆる飲み会―――。



 飲み会が敵で、空間が敵であった。

 タイム・スリップして飲み会を発明した人間に会えるのならば、「それが苦手なヒトもいるんだよ」と説教したいのである。



 職場の人間と会う場所、飲み会だった。

 女は職場の人間との集まりに慣れていなかった。

 そんな集まりを避けるべきという、そのころの世間の風潮があったそうだ。


 慣れていなかった女は、それでも心の準備をしたらしい。

 普段なかなか見ることのできなかったドラマを、それも職場系のストーリーをふたつほど、なかば我慢する心境で見つつ、少なからず使えそうなムーブを模倣した。


 しかし、それは結局飲み会であった。飲み会では酒を飲まねばならぬもので―――いざ自らも酒を飲んでしまえば、多少の努力など機能するはずもない。


 一度、盛大にやらかしたらしく、女はひどく落ち込んだ。同席した者にとっては、単なる笑い話として楽しめる程度の事件モノだったらしいが、性根が真面目なこの女は、以来アルコールを拒んだ。


 というよりも、予習ドラマで全くなかったシーンを女自身が生み出し、台詞を生み出し、女自身が結構その夜のことを覚えているというのがつまり、応えた。


 あの飲み会で周囲に悪意を持った人間がいなかったことが、むしろ女が事態を重く考え直すこととなる―――完全に自分のせいであると考えた。

 いっそのこと何かしらの悪人だとかがいれば、いいとすら、考えた。誰かと関わりたいのではない、誰かの所為にしたい―――言わないけれど。


 戦場よりも恐ろしい場所、飲み会———と、記憶に刻んだ女は、酒を飲むのならばひとり、自分の家でだけにしようと決めた。


 その際にわたしを選んだ―――と、いうのが、つまりわたしが今ここにいる―――理由というか顛末ということになる。飲み会で酒は出るが、わたしを出されたことはないらしい。


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