第5話「日本と共通の食文化があることへの安心感」

「……ありがとうございます」

「俺の気持ち、素直に受け取ってほしんだけどな」

「っ、あ、でも……私は絵を描くことしかできてなくて……」


 絵を描くことは、私の唯一の誇り。

 でも、生きていくために絵を描くことは必須ではない。

 生きていくために必要なのは、よく言われているけど衣食住。

 私よりも、ディナさんの方が何十倍も何百倍も凄いと思ってしまう。


「俺、絵心皆無」

「…………」

「俺にできないことができるミリは、凄いってこと」


 さすがに付き合っているわけでもない男女が手を繋ぎ合うのは違和感があったらしくて、もうはぐれることのない私の手は解かれる。

 ディナさんから手を解かれた私は、完全に孤立。ディナさんは一人で、街の出入り口へと向かって行ってしまう。


「え、ちょっ、待っ!」


 褒められるという行為とは無縁だった前世。

 むしろ、褒められるためだけに、自分の承認欲求を満たすためだけに絵を描いていたのに、その絵を評価してくれる人はほとんどいなかった。

 それなのに、異世界では私の絵を褒めてくれる人と出会うことができた。


「本当……もう……やっと……追いつきました……」


 先を行くディナさんに追いつくために軽く息を切らしてしまった私だけど、ディナさんは私を置いていくわけがないっていう頼もしい瞳で私を迎えてくれる。


「明日は時間的に無理って言われたから、明後日の店で出すメニューを決める」


 お店に戻った私たちは夕飯作りと、お店で出す新メニューの開発に取り組む。

 開発といっても、私はディナさんのお手伝い。

 ディナさんの頭の中には、もう既に完成品が頭にあるとは思うけど。


「大葉とネギ……薬味の用意はできるな?」

「えーっと……多分」

「大葉は千切り。ネギは適当」

「……その適当が、素人には難しいんですよ」


 料理を作るプロであるディナさんは、ドンナヴィで購入してきた魚の下ごしらえに勤しむ。

 私は手を震わせながら、薬味の準備をしていく。


「そのお魚、モンスターですか?」

「いや、あじ


 あじ?


「え、鯵?」

「これからが旬だからな。先駆けて、新メニューで試してみようかなと」

「え、鯵ですか?」

「どこからどう見ても、鯵だろ」


 いえ、料理ど素人からしたら、魚の外見なんてみんな同じです。

 そんなマンガ家志望らしからぬ発言を心で呟いてみるけど、それらの返答はディナさんに向けずに口の中へとしまい込む。


(なんで豚がいなくて、鯵がいるんだろう……)


 トンホッグと呼ばれる豚肉代わりのモンスターはいるのに、鯵の代わりになるモンスターが存在しないことに驚かされる。

 どういう事情なのかと神様や女神様に問いただしたいけれど、未だに異世界転生の担当者は私の目の前に現れてくれない。


「そっちの干物は……」

「こっちも鯵」


 ディナさんの口から出てくる言葉は、やっぱり魚の鯵と発音が同じ。

 アジという名前のモンスターを食すのかなって妄想を広げてみるけど、ディナさんが捌いている魚はどう見えても前世で慣れ親しんだ外見をしている。


「梅干し、叩けるか?」

「梅干し!?」


 前世と食文化がほぼ同じなのはありがたいことではあるけど、ここで漬物の類が出てくると思っていなかった。


「もしかして、ディナさんのお手製ですか?」

「あー……」


 何を思い出したかは分からないけど、鯵を扱うディナさんの声のトーンが下がった。


「挑戦したことはあるんだよ……一応は……」


 こんなに声が低いディナさんを見るのは、出会ったとき以来かもしれない。


「でも、壊滅的に向いてなくて、梅を腐らせるんだよ」

「魔法の力で調節ってわけにはいかないんですね……」

「だから、ばーちゃんに止められた。もう関わるなって」

「そこは、私の技術を伝授しよう! みたいな流れにはならなかったんですね……」

「普通は、できるまで教えてくれるよな」


 できるまで教えるということを諦めたディナさんのおばあ様のことを考えると、ディナさんは漬物作りに相当向いていないのだと察する。


「でも、手作りにこだわってみたい……」


 ディナさんの言葉を受けて、ディナさんもディナさんなりに苦労してきたことが分かる。


「頑張りたかった……ですよね」

「でも、食材を駄目にする自分も嫌だったんだよな」

「……おばあ様は、ディナさんが食を嫌わないように配慮してくれたのかもしれませんね」

「そこまで考えてたかな」


 ディナさんのおばあ様がご存命かは分からないけど、私の言葉を聞き入れてくれたアルカさんの表情はとても晴れやかに見えた。


「いつか、お漬物教室とか参加してみます?」

「そんな講座、あるのか分からないけどな」


 ディナさんが食を捨てなかったからこそ、私はディナさんの味と巡り合うことができた。

 ディナさんが食を諦めることを選択しなかったからこそ、私はディナさんの味に恋をすることができた。


「お漬物を仕入れなくて良くなると、料理のバリエーションも増えるかもしれませんよ」

「すげー料理街道を満喫していくことになりそうだな」

「ディナさん、こだわりが強そうですから。きっと楽しいものになると思います」


 ディナさんと考えていたことは似たり寄ったりだったらしく、私たちは顔を見合わせて笑った。

 ディナさんのすべてを理解することは無理だと分かっているけれど、今だけはディナさんと気持ちを通わせることができたような気がする。


「お互い、美味いものが好き同士だからな」

「美味しい食は、生活を豊かにするものだと学びました」

「大袈裟な表現の気もするけど、そう言ってくれると作り甲斐があるよ」


 声の調子が元に戻ってくるのを確認すると、私はここでようやく抱き続けた疑問を解決するタイミングを見つける。


「市場で、コレットちゃんいう女の子と出会ったんです」

「コレット?」

「迷子になっていて……」

「ありがとな」


 私の手元から薬味を取っていく様子からして、ディナさんはコレットにまるで関心がないように思えてくる。

 同姓同名の赤の他人ってこともあるかもしれないけど、アルカさんとコレットが残していってくれた言葉の数々を信じたい。


「あ、そういえば、梅干しは平気か? 苦手なら省いても……」

「いえ! 大丈夫です! なんでも食べれます!」


 コレットの話がしたかったのに、思いっきり話題を逸らされた。

 でも、なんでも食べられるという言葉が嬉しかったのか、ディナさんは楽しそうに作業を進めていく。

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