第6話 時計職人の頼み

 その朝、メリーの工房「ラ・ドゥース」は甘い香りで満たされていた。鮮やかな飴細工の花々が作業台を彩り、窓越しに差し込む光が飴に反射してきらめいている。メリーは新しいアイデアに取り組んでいたが、控えめなノックの音で顔を上げた。扉を開けると、背の高い初老の男性が立っていた。


「すみません、メリーさんですよね?」

 その声に少し緊張が混じる。男性は厚手の作業用エプロンを身に着けており、手には微かに油の香りが残る。


「はい、そうです。どうぞお入りください」

 メリーが笑顔で促すと、男性は少し遠慮がちに中へ入った。


「私はアルノーと申します。広場の時計塔の修理や調整を任されている時計職人です。でも今日は、修理の話ではなくて……」

 彼は帽子を手で弄びながら続けた。


「実は、新しいカラクリ時計を作る依頼を受けたのですが、その外観や装飾のデザインに関してどうにもアイデアが浮かばなくて。そこで、メリーさんとセシルさんのお力を借りたいのです」


「セシルさん?」

 メリーが問い返すと、アルノーは頷いた。


「ええ。あなたとセシルさんなら、きっと街の人々に愛される美しい時計を作れるだろうと、広場の委員会の方が推薦してくれたんです」


 メリーは少し驚いたが、同時に心が躍った。広場に飾られる大きなカラクリ時計――それは、街全体の象徴になる作品だ。その一部を手掛けられる機会を思うと、自然と胸が高鳴る。


「面白そうなお話ですね。詳しく聞かせてもらえますか?」


 アルノーはホッとしたように息をつき、メリーの隣に腰を下ろした。彼の顔に少しだけ緊張が解け、温かみが戻ってくる。


「この時計はただ時を刻むだけではなく、動きの中に物語を持たせるものにしたいんです。でも私はどうしても実用性にばかり目が行ってしまって……。そこで、お二人のような芸術的な感性が必要だと思ったんです」


 メリーは少し考え込んだ後、頷いた。


「そのお話、ぜひセシルさんにも伝えたほうがいいですね。あの人なら、きっと素晴らしいアイデアを出してくれるはずです」


 翌日、セシルの工房「ル・クリエール」で三人が顔を合わせた。セシルは最初、アルノーの話を聞きながら静かに頷いていたが、やがて目を輝かせた。


「街の中心に置かれる時計となれば、その装飾だけでなく、動きにも意味を持たせる必要がありますね。例えば、カラクリの動きに光と影のテーマを組み合わせるのはどうでしょう?」


 メリーもすぐに反応した。


「いいですね!光る飴細工を組み込んだら、時計の一部が時間ごとにきらめきを放つようにできますよ」


 セシルはその提案に興味を引かれたようで、顎に手を当てながら言った。


「それなら、光る部分を四季の移ろいと連動させてもいいかもしれませんね。春は桜、夏は太陽、秋は紅葉、冬は雪の結晶。動きの中でその情景が浮かび上がるようにして――どう思います?」


 アルノーは目を丸くして二人のアイデアを聞いていたが、やがて笑顔を浮かべた。


「やっぱり、お願いしてよかった。これなら、ただの時計じゃなくて、街の人たちの心に残る作品が作れそうです」


 こうして、三人で大きなカラクリ時計の構想が動き出した。街の広場にまた新しい魅力が加わる日が、少しずつ近づいている。




 セシルの工房「ル・クリエール」に集まった三人は、広場に設置されるカラクリ時計の具体的な計画を練り始めた。工房の中央にはセシルが普段使っている大きなスケッチ台があり、今はそこに時計の初期デザインが描かれている。


「ここが主軸になる部分です。この柱の部分に、四季を象徴する装飾を取り付けましょう。動きに連動して、光と影が自然に移り変わるような仕掛けにします」

 セシルが鉛筆で描きながら説明すると、アルノーは目を細めてそのデザインに見入った。


「動きのある装飾……確かに。それなら、歯車の配置を少し変えれば、動作に合わせて各パーツが滑らかに動くように調整できます。少し複雑な仕組みにはなりますが、やってみる価値はありそうです」


「さすが時計職人さんですね」

 メリーが感心したように言うと、アルノーは照れくさそうに鼻の頭をかいた。


「いや、私はただ機械のことを考えているだけで……その飾りや見た目の美しさは、あなた方の力が必要ですから」


 メリーは笑顔で頷き、持参したスケッチブックを広げた。その中には、飴細工を使ったアイデアがいくつも描かれている。透明な飴で作られた花や葉、そして淡い光を放つ細工の例がぎっしりと並んでいた。


「私は飴細工で四季の象徴を作るのはどうかなと思っています。例えば、春は桜の花びら、夏は太陽や星、秋は紅葉、冬は氷や雪の結晶。透明感がある飴なら、光を透過してとてもきれいに見えるはずです」


 セシルがそのスケッチをじっくりと見て、感心したように頷く。


「なるほど、飴細工で透明感を出すのは良いアイデアだ。それに、このデザインなら光を反射する角度や影の出方を計算すれば、ただ動くだけではなく、広場全体に幻想的な雰囲気を与えられるでしょう」


「ただ、飴細工は屋外に設置すると溶けてしまうかもしれないな……」

 アルノーが心配そうに口を挟むと、メリーは微笑んだ。


「その点は大丈夫です。飴細工の透明感を再現できる特殊な樹脂を使う予定なので、見た目は飴のようでも、丈夫で長持ちしますよ」


「樹脂細工……なるほど。それなら安心ですね!」

 アルノーは納得したように頷き、再び図面に目を落とした。


 こうして、三人はそれぞれの役割を確認しながら、具体的な工程を詰めていった。セシルが全体のデザインと構成を監修し、アルノーが機械の仕掛けと歯車の配置を調整。メリーはそのデザインに合わせて、四季を象徴する装飾を作ることになった。


 日が暮れる頃、ようやく作業を一段落させた三人は、大きく息をついて椅子に腰を下ろした。セシルの工房の窓からは、エトワール広場の灯りが見え、ガス灯に照らされた街並みが穏やかな時間を物語っている。


「ふぅ……これで大まかな方向性は決まりましたね」

 セシルが静かに言うと、アルノーが満足げに頷いた。


「お二人の力を借りられて、本当に心強いです。これで広場にふさわしいカラクリ時計が作れる気がしますよ」


「私も楽しみです。完成したら、広場の人たちがどう思うか早く見てみたいです」

 メリーは頬を緩ませながら答えた。


 三人の顔には充実感が滲んでいる。この計画は、街のシンボルとなる新たな存在を作り上げる一歩だ。それぞれが持つ才能と情熱が一つに重なり、時計塔という形で街の未来に刻まれていくことだろう。


 新しい日々がまた始まる予感が、メリーの胸を静かに膨らませていた。

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