あの味噌汁の温かさ、焼き魚の香り、醤油を使った味付け——異世界で故郷の味をもとめてつきすすむ!

ねむたん

旅立ち

第1話 記憶の香り


 今日は、いつもより少しだけ夕日が赤く染まっているように感じた。砂漠の風は冷たくて、心地よい。庭に広がるジャスミンの花が、ほのかな甘さを漂わせている。家の中には、家族の声が響き渡っていて、食事の準備が進んでいる。私はその中で、ふと手を止めて、空を見上げた。あの遠い場所、遠い記憶の中に、あの風景が思い出された。


「アリアス、手伝いなさい。」母の声が、私の背後から響いた。


 私は慌てて振り向き、母の手元に近づいた。母は、香辛料を振りかけた肉を鉄板で焼きながら、私に笑顔を向けた。その横には、色とりどりの果物が盛り付けられていて、まるで宝石のように輝いている。甘い香りが広がり、目の前に広がる料理の数々を見て、私はまた、あの記憶が蘇った。


 そう、私は前世で、こんな料理ではなく、もっと素朴なものを食べていた。味噌汁の温かな香り、焼き魚のしょっぱな香ばしさ、白いご飯のふわりとした香り。あれは、確かに私が愛していた食事だった。


「アリアス、どうしたの?」母が私の様子に気づいて、優しく声をかけてきた。


 私は思わず、料理を作っている手を止めて、母を見つめた。「あのね、母さん。実は…」と、私は一度言葉を詰まらせた。「前世の記憶が、少しずつ蘇ってきたの。」


 母の顔が驚きに変わり、すぐに冷静になって言った。「前世…って、アリアス、それはどういうことなの?」


「わからないけど、あの料理を食べていると、どうしても思い出すの。味噌汁とか、焼き魚とか…ああいう素朴で温かい食事が。」私は少し照れくさそうに言った。


 母はしばらく黙って考えていたが、やがて静かに答えた。「そうなのね…。でも、アリアスが前世で食べていたものが、今のこの世界にはないということね?」


 私は黙って頷いた。家の中には、香辛料の効いた肉や、果物、ナッツなどが並び、どれも異国の味に満ちている。これらは確かに美味しいけれど、私の心の中で何かが足りない気がした。あの、シンプルで心が温かくなるような味が、どうしても恋しい。


 その時、私の横に立っていたカリムが、ふっと笑って言った。「それって、焼き魚とか、味噌汁のことか?」


 私は驚いて彼を見つめた。「うん、どうしてわかったの?」


 カリムは肩をすくめて、「だって、お前、前からそう言ってたろ?」と答えると、少しの間黙って考え込んだ。「じゃあ、お前が食べたいって思ってるのは、あの国の料理、ってことか?」


 私が頷くと、カリムはちょっと笑った。「へぇ、それは興味深いな。でも、ここにはそんなものはないよな。」


 その言葉に、私は少しだけ力なく笑った。そう、この世界にはあの味はない。ただ、ここにあるのは、香辛料が効いた肉や、果物、そして砂漠の風景。けれど、何かが足りない。それが、私の中で確かに存在していた。


 母は静かに言った。「アリアスがそんなことを言うなんて、少し不思議ね。でも、もしそれが本当なら、私たちにはわからないことかもしれないわ。」


 その時、父が部屋に入ってきた。彼は笑顔を浮かべながら、「何か面白い話をしているのか?」と聞いてきた。


「アリアスが、前世の記憶を思い出したらしいのよ。」母が答えると、父は少し驚きながらも、優しく言った。「それはまた、興味深い話だな。でも、もしアリアスが何かを思い出したなら、何でも聞いてみるべきだ。記憶というのは、時に重要な手がかりになることがあるからな。」


 父の言葉に、私は少し安堵した。家族は、私が前世の記憶を思い出したことに驚きながらも、受け入れてくれた。それに、私は前世で何をしていたのか、どんな食事をしていたのか、その一つ一つを思い出しながら、少しずつではあるけれども、何かを取り戻していこうと思っている。


「それでね、母さん。」私はゆっくりと続けた。「あの、味噌汁と焼き魚、白いご飯がどうしても恋しくてたまらないんだ。あの味を、もう一度食べてみたい。」


 父は静かに私を見つめ、そして穏やかに言った。「アリアス、それが本当にお前が求めているものなら、それを探しに行くことも一つの方法かもしれない。でも、今はまだ、ここでできることをしてみるといい。」


 その言葉を聞いて、私は心の中で少しだけ気持ちが落ち着いた。


 市場をみにいくと、異国ならではの色とりどりの食材が並び、どこを見ても賑やかな雰囲気が広がっていた。風に乗って香辛料の香りが漂い、まるで目と鼻で世界を旅しているような気分になる。


 市場の入り口から足を踏み入れると、目の前に並ぶのは様々な色鮮やかな果物たち。甘い香りを放つマンゴーやパパイヤ、熟れた無花果(イチジク)やザクロの実が山のように積まれている。その隣には、ぶどうやデーツが大きな籠に盛られ、通りを歩く人々の目を引きつけている。


 そして、少し進むと、肉や魚のコーナーが現れる。新鮮な肉が吊るされており、エキゾチックな香辛料の匂いが漂う中、焼かれた肉の香ばしさが食欲をそそる。羊やヤギ、牛肉が並び、その横には見たこともない種類の魚が並べられている。色とりどりの魚は、どこか神秘的な輝きを持ち、魚の鱗は光を反射して美しく輝いている。


 そして、スパイス屋の前に立つと、香辛料の山々に目を奪われる。クミン、ターメリック、カルダモン、サフランなど、色とりどりのスパイスが袋に詰められて並び、まるで異国の風景そのものだ。香りが風に乗って広がり、目を閉じてその香りを吸い込むと、異国の街並みが目の前に浮かび上がるような気がする。


「こんなにたくさんのスパイスがあるなんて…」私は思わず呟いた。


 カリムが横で笑いながら、「お前、これを全部使ってみたいのか?」と聞いてきた。


 私は少しだけ照れくさくなりながらも答えた。「いや、別に。でも、どれも香りが違って面白いなって。」


「まあ、ここではスパイスは欠かせないからな。こっちの料理は、スパイスが主役みたいなもんだ。」カリムが言いながら、いくつかの袋を手に取った。「お前が思い出している料理には、こんな香りはないだろ?」


 私はふっとため息をつきながら答える。「うん…日本の食事にはこんな香りはなかった。でも、あの味噌汁の温かい香りや、焼き魚のシンプルな香りは、何よりも恋しいんだ。」


 カリムは私の顔を見つめ、少し考え込んだように言った。「でも、アリアスの言う料理、俺も食べてみたいな。もし見つけられるなら、俺も付き合うよ。」


 私はその言葉に少し驚いたが、すぐに笑顔を返した。「ありがとう、カリム。」


 市場の一角には、野菜や豆類が並ぶコーナーもあり、色とりどりのピーマンやナス、トマトがきらきらと輝いている。その中で特に目を引いたのは、たくさんの種類の豆が入った袋だった。赤いレンズ豆や、茶色いひよこ豆、そして黒い豆が美しく並んでいる。


「これ、何に使うの?」私はカリムに尋ねた。


「これは豆のスープに使ったり、サラダに加えたりするんだ。」カリムが説明してくれた。「こっちの料理ではよく使うけど、日本の料理ではどうかな?」


「豆腐は食べていたけど、豆そのものはあまり使わなかったかな…」私は少し考えながら言った。「でも、こうして並んでいると、すごく新鮮で美味しそうだね。」


 カリムはにっこりと笑い、何かを思いついたように言った。「じゃあ、今度豆を使った料理を作ってみるか?」


「うん、それ、楽しみにしている!」私は嬉しそうに返事をした。


 市場を歩きながら、私はどこかで「日本の味」を探している自分に気づいた。色とりどりの食材に囲まれていると、まるで異国の地にいるような気分になるけれど、その中でも心のどこかであの素朴な味を思い出していた。見つけられるのだろうか、あの味を。この市場には、確かに新しいものが溢れているけれど、私が求めているのは、あの懐かしい、シンプルな味なんだ。

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