月光ブラッド・エスケープ
姫崎
第1話
少女は足を止めることなく、ただひたすらに走った。
辺り一面鉄の壁に覆われたこの無機質な廊下を決して止まることなく。
いくら進んでも、いくら曲がり道に進もうとも目に映るのは冷たい世界。少女の足裏から直に伝わる冷たさもそれをさらに増長させる。
だが少女は足を止めない。
ある女にメモを渡された。小さなメモだ。そこには手書きで簡単に描かれた地図とただ一言、待ってる――と。
その女のことはこの施設でよく見かけていた。だがこの施設の人ではないことはわかっていた。話したこともあまり無い。
そう、
そのメモを信頼しての事か、ただ希望にすがりたかっただけなのか、それとも既に全てを諦めていたからこそなのか。
ただ、少女は走る。
遠くで慌ただしい複数の足音が聞こえる。
部屋を抜け出したことはもうバレている。
たが今目の前にあるものはメモに書かれた終着点、出口だ。鉄格子のような、恐らくダクトにつながっているであろうそれは不自然にネジが緩んでいる。
少女は鉄格子を外し、狭いダクトの中を這って進む。
少し進むと光が見えてきた。
「これが……外……」
少女は土を踏んだ。空を見上げた。風を感じた。
全てが初めてのことだった。少女の中ではそれら全てが絵本の中でしか存在し得なかったものだ。
しかし感傷にっている場合ではなかった。
少女は施設から逃げ出す手伝いをしてくれた女、
自分が本当は何者なのかも知らぬままに――。
* * *
――遅刻ギリギリなのに赤信号に捕まるなんて。
小さく溜息をつきながら、ふとビルの大型スクリーンに目をやる。
「――イエティの旅行者グループ十二名が熱中症の疑いで救急搬送――」
「――俳優として活躍しているインキュバスのスー・インクバが五十八股で女性ファンからの非難殺到――」
「――『多種族の暮らしやすい
今日もいつも通り忙しなくニュースを伝えていた。
この異怪市ではごくありふれた当たり前の日々だ。
亜人や人間、妖怪や怪物など既に数え切れない数の種族が異怪市で住み暮らしている。
多少の問題はあれど皆普通の生活が送れている。
そして今日は学生にとって夏休み前最後の日、つまり終業式だ。
「あぁ〜、この信号マジ長すぎなんだけど……」
日傘片手にスカートを扇ぐ少女は信号が青に変わるやいなや、遅刻だけはマジ勘弁と全力ダッシュで駆け抜けていった。
* * *
「おそよう、
「
教室に入り真っ先に視界に映った幼馴染で親友の
月は見た目にそぐわず小学中学と皆勤賞を取っている。せっかくなら高校でも取ってやろうと思っており、今回の遅刻未遂は危うく今までの努力を水の泡とするところだった。
「ほーんと月は真面目だねぇ」
「別に、いい加減にしたくないだけだし」
そっかそっかぁとニヤニヤしながら見てくる明日華を適当にあしらい自分の席に着く。
「月は今年の夏休みどうするの?」
「アタシはいつも通り。こんな暑いのに外に出たらマジで焼け死ぬわ」
「そんなんだから友達出来ないんだよ」
「うっさいわ! 別にいいの、友達とかは」
「ふーん……もう気にしなくてもいいと思うけどなぁ」
ガラガラッと扉の音と共に先生が教室に入ってきた。
今日は終業式で終わり。帰りに食料品を買って家に帰る。ただそれだけだった。
* * *
「今度こそ牛乳よし!」
一度買い物を終え家へと戻った月だったが買い忘れがあることに気づき二度目の買い物をするはめとなった。
そのせいで先程まで地上の生物をこれでもかというほどに焼いていた太陽は既に沈み、代わりになんとも見事な満月が空を浮かんでいた。
思わぬ二度手間もあり、近道のためにと普段は通らない無駄に入り組んだ建設現場の立ち並ぶ地域を歩いていく。
とても静かで、やっぱり夜は好きだな、と夜空を眺めながら歩いていると――
「きゃ――――――‼‼」
どこからか女性の叫び声が響き渡る。
月が助けに向かおうと位置を探っていると、今度は大きな地響きのような音と共に空高く舞い上がる土煙が確認できた。
「あっちか、待っててね!」
狭い道を何度か曲がり進むとそこにはフードを被った大男と座り込んだ
月はすかさず二人の間へと飛び込んだ。
「大丈夫、あいつに襲われたの?」
あの大男、二メートル程あるようで百六十センチも無い月からすると想像以上のデカさだった。
「ごめんなさい、助けてください!」
「わかった、一旦別の場所に移動しよう」
言い終わると同時に月は少女をすぐさま抱え、別の路地へと駆け込む。
後ろからは何か大きな怪物でも暴れ回っているかのような音が響いていた。
* * *
「ここまで来ればマジ大丈夫っしょ」
月は少女を抱えたま何度も行く先を変え追ってをまくように逃げ走り、先程の場所から少し離れた建設現場の三階部分に少女を降ろした。
「で、何であいつに追われてるの?」
「そ、その……実は私、ある施設に住んでいまして、そこから逃げてきました」
「逃げてきたって、家出って訳でもないだろうし……そのカッコは治療……何かの検査とか?」
「……実験、施設なんです、私がいた場所は。私の血は少し特殊みたいなんです」
「実験!? なにそれ、マジ酷すぎ!」
「私が逃げるのを協力してくれた女性のところに行かなければ行けないんです! そこまで連れて行って貰えませんか!?」
「……親はどうしてるの?」
「私は……生まれた時からずっと施設です。両親の顔すら知りません」
月は自身にとって見ず知らずのこの少女を、危険を冒してまで助ける理由などなかった。
だが月はこの少女に少しだけ自分を重ねていた。親がいないこと、施設暮らしだったこと。自分に手を差し伸べてくれる人の存在がいかに大きいかを月は知っていた。
「アンタ名前は?」
「私は
月は許せなかった。
もちろんこの少女をではなく、自分より遥かに劣悪な環境で暮らしてきた少女に対し自らを同等の存在とし重ねようとした自分自身を。
そして、少女を施設に閉じ込めた者を。
「……“
「はい?」
「アンタは今日から“光”って名前だよ」
「……光、ですか?」
月は何一つ欠けることのなく悠々と輝く満月を指さす。
「アンタはもうあの満月みたいにこの広い空を自由に輝いて行けるんだよ。次はアンタが光ってみせる番でしょ」
「……そうですね、私も自由に生きたいです!」
ザッ……ザッ……。
外から何者かが近づいてくる音が聞こえた。
月が下を見るとそこには先程のフード姿の大男がいた。
「光、ここから動いちゃダメだよ」
「あなたはどうするんですか!?」
「あいつをぶっ倒す!」
月はまだ窓の付いていない窓枠から距離をとる。
「あ、あの、あなたの名前は――」
月は窓枠に向けて走り出す。
「アタシは月、
三階から飛び出した月の両手両足を黒い影のようなものが覆う。そして、小さいが背中にも黒い影で翼のようなものも生えている。
軽やかに着地を決めるとフードの男の方へと歩み寄る。
「アンタあの子のなんなの? 捕まえたらまた施設の中に閉じ込めるわけ?」
対話を試みるがフードの男は一切身動ぎすることなく、まさに岩のようにピクリとも動かない。表情もフードで隠れているためまったく分からない状態だ。
「……無視してんじゃねぇ‼」
月が右腕を後ろに引くと纏われていた影が一段と大きくなり、そのまま渾身の右ストレートを鳩尾辺りに叩き込む。
フードの男は衝撃で少し宙に浮き、そのまま後ろの建物へと吹き飛ばされる。
「アタシはマジだかんね。もっかいだけ聞くよ、あの子をどうするつもりなの」
砂煙の舞う中、立ち上がる人影が見える。
煙が晴れだすとくっきりと姿が見え――
「ゴーレム!?」
衝撃で男の服が破けて頭部があらわになった。そこには人ではなく石でできた頭があった。
ゴーレム、所謂人造人間だが目の前にいる
ゴーレムは重そうな見た目に反し意外に素早く、月の目の前まで踏み込みそのまま右拳を振り下ろす。
「重ッッ!」
月はガードごと後ろに飛ばされる。
完璧に防いだはずの月の左腕はまるで土砂が降り注いできたかのような――いや、実際に土砂であり岩そのものだ。そこに振り下ろした重みが加わり鈍い痛みが左腕に残る。
しかしゴーレムの方は全くと言っていいほどダメージを受けているようには見えなかった。
「それならもう一発、くれてやるよ‼」
ゴーレムに向かい全力で走る月。そのままの勢いで今度は右肘に影を集中させまた腹に打ち込む。
ゴーレムの体はくの字に折曲がり、それを見た月は両手を地面に付け相手の顎に向けて鋭い右脚での蹴りを入れる。
高く宙を舞い地面にたたきつけられる。
ゴーレムは起き上がるのに少しフラつきどうやら多少は効いているようにも思えたが流石は人造人間、痛みなど存在しないらしくまだまだピンピンしている。
「くっそ、こいつマジどうすりゃいーの!」
ゴゴゴッ、グンッ。
月はいまいち決定打を与えられないでいたはずだが、突然ゴーレムは両膝を付き首が倒れた。
「あれ、倒した?」
確認のために動かなくなった岩の塊に近づこうとすると地響きとともに地面が揺れだした。
揺れに呼応するかのように地面が盛り上がり、人の形を成していく。高さは3階建ての建物に相当し、車一台程度なら余裕で握りつぶせるほどの大きさである。
「流石にこれはマズイかも!」
巨大化したゴーレムは月目掛けて右腕を振り払う。
月はそれを紙一重で交わしゴーレムから距離をとる。
しかしゴーレムも追撃に追撃を重ね、月に反撃のタイミングを作らせない。
防戦一方の月はそれでもゴーレムの攻撃を避け続けていた。
だが相手は非生命体で月は生きた吸血鬼。次第にスタミナの差が出始める。
上手く避け続けた攻撃も月の体をかすり始め、遂にゴーレムが月を捉えた。
「やば……ッ‼」
ゴーレムの振り払った左腕が月に直撃し、そのまま出来るだけ意識を逸らそうとしていた光の居る建物一階の壁に衝突する。
砂煙で前が見えなかったがそれが晴れると同時にゴーレムが右腕を振り払おうとしているのが見えた。
「ヤバ、光早く逃げて‼」
光に危険を知らせつつ自分も回避行動に移る。
ゴーレムの右腕は光の居た建物の一階部分を根こそぎ削り取った。もちろん建物はその形を維持することはなく崩れていく。
月はすぐさま光の位置を探し、崩れていく瓦礫の中にその姿を見つける。光は建物の崩壊に巻き込まれ体中傷だらけのようだった。
「光‼」
月は崩れる瓦礫を足場にしつつ落ちる光の元へまさに飛ぶように駆ける。自分の元へと走る月に光は手を伸ばし、月もまたそれに応える。
間に合わないと判断した月は光に向かい飛び込んだ。
しかし、そこで事故は起きた。
勢いがつき過ぎてしまったのだ。
助けようとした結果の偶然だった。
お互い初めての
つまり、二人の唇が重なったのだ。
ちぅ。
「「ん……ッ‼」」
一瞬互いに赤面して見つめ合うが、すぐさま月の顔色は焦りと動揺の色に染まる。
「ヤバい……光、マジ早く逃げて‼」
着地するやいなや光にそう忠告をする。
だがそれはゴーレムからではなく
――――口の中……これアタシの血じゃない、光のだ‼――――
「マジ……これ
すると纏っていた月の黒い影はみるみるうちに赤黒く変わり一回りほど大きくなった。
「月さん、大丈夫ですか!?」
「ダメ、アタシ血を飲むと理性が飛んで暴走しちゃうの‼」
内から湧き上がる何かを抑えながら光に逃げるように伝えようとした時、ゴーレムは業を煮やしたかのように暴れだし月たち目掛けて右腕を振り下ろす。
「マジヤバ――」
「月さ――」
どががッッッ‼‼
粉々になったのはゴーレムの腕の方だった。
「……あれ、アタシ暴走していない……?」
赤黒く変色した刺々しい影をまとった月の右腕がゴーレムの振り下ろした腕を木っ端微塵にしていた。
「なんかわかんないけど、マジアンタ覚悟しろよ?」
月はゴーレムの頭部目掛けて跳躍する。
だが影の力で自分でも驚く程に脚力が上がっており一瞬で間合いを詰める。
「これで、終わりだッッ‼」
月はゴーレムの頭目掛けて全力で右腕を振り抜いた。
赤黒い影は今までとは比にならない強さで一撃で岩の塊を砂の山へと変えてしまった。
「マジで流石にもう起き上がったりしないよね?」
「月さん、大丈夫でしたか!?」
「うん、大丈夫。……あー、そういえばまだ答えてなかったよね」
「なんの事ですか?」
「協力してくれた人のところにいくんでしょ? それについてきてくれって話。光をこんな目に遭わせてるやつが許せないし、施設に閉じ込めてたヤツも許せない。アタシがマジでガツンと一発ぶん殴ってやんなきゃ気が済まない‼」
「月さん……」
「そういう訳でしばらくの間よろしくね、光!」
「ありがとうございます、月さん!」
そして二人の少女の冒険は幕を開ける――。
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