第10話 塁編

 小さな遥のぬくもりで俺もうつらうつらしかけた頃、腕の中で身じろぎする気配に目を開ける。かわいい寝息のあと、パチリと遥の目が開いた。

「お、目、覚めたか」

「塁くん」

 遥の顔は見事にパンダみたいになっていた。

 まだ若干プリプリしていた遥に事情を説明する。呆れながらも無事を喜んでくれた遥の態度に、否が応にも期待してしまう。

 少なくとも、遥の中で俺の安否は相当優先順位高めとわかったからだ。



「で、遥は打ち合わせどうだった?大先生に誘われなかった?」

そんなわけないじゃーんと返ってくるかと思ったが、やはりそうではなかったようだ。目を丸くして口ごもっている遥につい疑惑の目を向ける。が、

「ちゃんと断りました」

おっ!多少なりとも成長が見られたか。

「へー、なんて?」

「すっごい心配する人がいるので、遠慮します」

 まぁ遥にしては上出来だ。つい頭を撫で、そのまま抱き寄せると、どういうわけか遥もすりついてきた。やばい、あらぬところが反応する。俺は断腸の思いで遥から離れ、身を起こした。

 遥もそのまま起きて帰るということで、送っていくことにした。

「遥、しばらくこっちに居られそう?」

「うん。パソコンとスマホだけはしっかり持ってきたから、当分はこっちで仕事しながら家の修理とかちゃんとしようと思ってる」

「わかった。困ったことあったら何でも言ってな」

「・・・」

「どした?」

「えっとね、塁くんがいてくれてすごく心強いなぁって。本当にありがとう」

あらためてしみじみと言われるとちょっと照れる。だが他ならぬ遥がそう感じてくれたのは嬉しかった。


 ほとんど何も持たずに出たと言っていた遥のため、身の回りのものを買いそろえたいだろうと少し離れたドラッグストアに寄ることにした。

「衣類は大丈夫か?ショップとか寄ってもいいよ?」

「うん。この前来た時の置いてきてるからまぁ当面は・・・あ、でも靴下はあったかいのが欲しいかなぁ。ここにもあるよね?」

「あんまこだわりないならここにもあると思う。服は?」

「服はねー、結構そのままだったから洗濯したら行けると思うんだ。桐の箪笥ってすごいよね」

「確かに桐の箪笥はすごいが、10年前から育ってないってことだよな」

「さもあらん。私の成長はこの町で止まったよね」

「はは。いやいやプロポーション変わってないのすごいじゃん。靴下このあたりにあると思う。俺ここで待ってるから、好きに選んでな」

 ごった煮で色々おいてあるドラッグストアには靴下も下着も普通に混在している。さすがにくっつかない方がいいだろう。少し離れたところで遥から目を離さずステイしていると、ふと思いついた。

 事件のときは最後だけは未遂と聞いていた。それからも誰ともつきあってないということは・・・。

 無論、遙と一足飛びにそうなれるとは思っていないが、この先、万が一そういう時が来たら、絶対痛くないように準備だけはしときたい。ゴムは当然として、なんか痛くなくなるローション的なのってあんのかなぁ

 調べようとポケットに手を入れ、スマホがないことを思い出した・・・。


 だが俺は先延ばししなかった。

 これまでそれなりに玩具好き女子や濡れにくめ女子、処女の皆さんとも対戦している。現物を見ればなんとかなる・・・はずだ。

 あらあらのブツが揃ったところで、遥の手を取り、そういう品物の売り場に一緒に行くことにした。

 ここまで遥の前では生々しい部分を見せることをさけていたが、俺はプラトニックなだけの関係で満足できない。

 もちろん少しでも遥が嫌悪感を示したりトラウマが蘇る可能性があるなら絶対止める。だが俺がしたい行為は遥が受けた暴力とは全然違う。そのままの遥を求めている気持ちを知ってほしかった。

「いつそういうチャンスが来るかわかんないから」

そう告げた俺に、遥は何も言わなかった。なんとなく自分に向けられた現実の話と思ってない節がないこともないが、少なくとも嫌悪感はないようで少し安心したのだった。 


 多分、遥は結構頻繁に俺が遥のことをそういう意味で好きだと忘れる。幼馴染として過ごした記憶の方が鮮明で、すぐモードがそちらに戻るのだ。

 だから帰宅後、ふたりでカレーを作り一緒に食べ、宵越しのカレーのうまさを語る中、思いもよらず

「お風呂がちゃんと使えてたら、明日カレー食べてもらえるのになぁって」

と歩み寄ってくれた時、このチャンスを逃してなるものかと思った。

 速攻で浴室へ行き、いくつかの修理ポイントを試すと、さほど時間をおかずに正常に湯沸かしがはじまった。

 戻って、しれっと謝ると怒ることもなく、ポカーンと口をあけた遥が

「まじか!塁くんほんと便利な男だよねー」

と言ってくれた。すかさず

「だろ?風呂使えるようになったから、泊まっていい?」

と聞く。内心ドキドキだった。

「泊まるのは別にいいよ」

少し戸惑った顔で遥が言う。困らせたくはない。でも

「泊まったら抱くよ。遥、怖くない?」

遥へ向くそういう気持ちを、ここで有耶無耶にする気はなかった。

 少しの沈黙が落ちる。遥の綺麗な瞳が少し揺れ、二度三度とまばたきが繰り返された。

 早かったかもしれない。きっと困らせている。

 でもずっと聞きたかった。おそらく遥は一生誰かと触れ合うことをしない気持ちでいたんじゃないか。詳しく知っているわけではない。でも、断片と結果は知っている。あんなにひどい暴力で踏みにじられて怖くないわけがない。ただ、ひどいエゴだとわかっていても俺だけは怖がらないでいてほしい。願うような気持ちで俺は遥を見つめていた。

 ふーっという吐息とともに、遥の肩から力が抜けた。

「怖くないよ。正直、塁くんの好きと種類が違うかもしれないけど、私、ちゃんと塁くんが好き」

こんな時、人はなぜ無意識に呼ぶのだろう。


 神様


 そう唱えながらも、ありとあらゆるものに心の中で感謝する。

 そして俺は遥を抱きしめカレー味のキスを落とした。



 遥が俺と同じ気持ちで好きになってくれているわけではないとわかっている。そこはもうこの際どうでもいい。ただ、俺とそういう行為をすることで、ほんの少しだって嫌な気持ちや痛い思いをさせたくなかった。

 だから遥との初体験は、これ以上ないくらい慎重にすすめた。

 一緒にお風呂に入って遥の身体を丁寧に洗う。怯えさせないように淡々と世話をやきながら、刻まれた事件の傷跡に苦しさと怒りが再燃する。

 でも、嫌な思いも全部書き換えてやりたい。大切にしたい。心からそう思った。

 遥が初めての相手を俺にしてくれたこと、記録したいと言われた時は、ちょっと困ったけど、ことの最中に色々な顔を見せてくれたこと、俺の手や愛撫で、かわいくイってくれたこと。

 薄い幕ごしに遥の一番奥へ迎え入れてくれたこと、結局最後の方は暴走気味になったけれど、思いを重ね心も身体もゆだねてくれて、翌朝「全然大丈夫だった。塁くんだったから」と言ってくれた。

 そんな遥が可愛くて愛しくて泣きそうで、一生この日を忘れないだろうと思った。



 そして、その日奇跡が起きた。

 遥の言うとおり、スマホショップに行かずに仕事に出ると、なんとスマホがイルカさんに乗って戻ってきたのだ。なんだこのメルヘン。

 しかもその日は、近年にない大漁で、海の神様がお祝いしてくれているのかもしれないと思った。

 たくさんの恵みをいただいたお礼に、漁の帰り、神社のある無人島へ寄り、供物を捧げて手をあわせる。ついでに周辺のごみを拾ってから引き揚げた。

 


「そりゃそうだよ。昔から塁くんすごい海の神様に贔屓されてたもん。干しイカもらったり、干物もらったり、タコやカニやアワビとか・・・」

「え?あれは遥といたからだろ」

 ふたりで食べるために厳選した収穫物を下げて遥の家に帰り、並んでさばいているとそんな話になった。

「違うよ。4人兄弟のうち、塁くんだけが最初から漁師になるって言ってたから、すごいあいつはいいやつだ、気に入ったって言ってたもん」

 言ってたもん?

「遥昔からそう言ってたけど、俺、てっきり山の神様のことだと思ってた。海の神様の声も聞こえてたの?」

 すると、遥は少しばかり沈黙した。昔からよくあったこのルーティンが懐かしくはあるが・・・。

「やっぱりそこは言えないもん?」

 半ばあきらめまじりにそう聞くと、意外にもふるふると首を振る。

「あの頃は小さかったし、あまりしゃべらなかったから語彙が少なくて、うまく言語化できなかっただけで・・・」

 おー!昔はこの会話はここで切れていた。説明する気がないのだろうと思っていたけど、どうやらそうではなかったらしい。

「すげー。遥大人になったねー」

「だいぶバカにしてる?んーっとね、14歳までは、山の神様から直接ポンって断片的に指令が飛んでくる感じで、でもこうしろって言われた結果、何がおこるかは私にはわからなくて」

「えー、そうだったんだ」

「トランシーバーとか、チャンネルあってても一方通行でしょ?どういう意味?って聞いても、ボタン押さないとこっちからは通じない」

 なるほど。いい例えかも。

「なのに、時々別の人がボタン押して、強引に会話に割り込んだりするよね?あんな感じで、違う感じのチャンネルが入ってくる時があって、多分それがよその神様。特に海の神様は近いから結構連絡あったんだ。ちょっと塁くん贔屓が露骨すぎて山の神様が海の神様しばいたりしてたこともあったよ」

 遥が言うと、全然スピリチュアルな感じがしない。ただただリアルで笑っていいのか拝んでいいのかわからない・・・。

「それって14歳で突然切れたの?」

「うん。多分そうなるってばあちゃんにも言われてたから、その時は正直聞こえなくなってすっきりしたんだけど」

 もしかしたら。それで、あんな災厄に遭ったのかとも思う。聞こえていたら、きっと神様は遥をあんな目に遭わせていない。

 あの後、遥の幼いころの神がかった言動を知っていた大人たちの一部には、神域に禍を呼んだのは遥が穢れたからだと非難をするものもいたらしい。

 佐羽さんや遙を知っている人たちは、ものすごい剣幕で怒って否定したそうだが、人の入れ替わりが少ない田舎のことだ。これから遥がここで過ごす中で、いわれのない非難や偏見の目を向けられないとも限らない。浮かれていた気持ちが少しずつ冷えていく。

「塁くん、何考えてるの?」

 ふいに頭に遥の手がかかった。下の方にある遥の顔を見ると、時々見せる大人びた表情をしていた。なんだか自分の方が随分と年下で、遥に守られているように思える。

「・・・何も。大好きな遥が隣にいてくれる幸せをかみしめてた」

「あはは。私、塁くんのそういうところがすごく楽だなぁって思うんだ」

  嬉しそうな遥の笑みを見ながら、この笑顔を今度こそ何があっても絶対に守るのだと誓う。

 そのためにできることはなんだってすべてやってみせる。だから神様、海の神様、山の神様、どうかもうこれ以上、遥に荷をかけないでくれ。

 できることなら真綿にくるんで、閉じ込めて、世の中の汚いものや遥が傷つくこと全部から遠ざけてしまいたい・・・。

 だが、遥はやはり大人しく守られてくれる子ではなかった。というか、本当に俺の想定の範囲を超えてくる奴だった・・・。

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