36.自覚

 光が収まると、リサはゆっくりと体を起こした。


「私……」


 ぼんやりと、自分の手のひらを見つめている。


「リサ……?」


 ローランドの呼びかけに、リサは状況が飲み込めないというように首を傾けた。


「今まであった痛みが、全部、消えてしまったの。でも、いつも側にあった何かが欠けてしまったような、変な感じもして。私は、魔力を失くしてしまったのね……」


 困惑を浮かべるリサに言う。


「ひとまず医師に診察をしてもらいましょう」

「リサ、医師を呼んでいいかい?」


 リサが頷くと、隣室に控えてもらっていた医師を呼んだ。



 医師の診察の結果、魔力以外には異状はなかった。

 魔力過多症で、リサは自分で生み出した魔力による負荷で痛みを感じていた。

 それが薬のおかげで痛みの元の魔力がなくなった。これまで傷ついてきた体も傷の原因がなくなり、今後はよくなっていくだろうとのことだった。

 診察の後、医師らは今のリサの状態を記録すると言って、足早に出ていった。

 これからあの薬を飲む人のためにも、リサの今後の経過を記録するのはいいことだ。

 完治するまで王宮にとどまるよう、リサとローランドは医師に懇願されていた。



 医師が退室した後、診察の間も茫然としていたリサが頭を下げる。


「陛下。薬を手配してくださり、ありがとうございました」


 ローランドも頭を下げるが、私は首を振る。


「私一人の力ではリサを救えなかったから」

「そういえば、治療薬などいつの間に作られていたのですか……?」

「それについては、後日、話をしましょう」

「かしこまりました。しかし、私達が陛下に感謝していること、どうかお受け取りください」

「二人は私にとって家族のようなもの……それに私はこの国の女王として、あなた達以外の人が苦しんでいても手を差し伸べるわ。だから、当然と思ってくれていいのよ」

「……ありがとうございます」


 ローランドとリサが深々と頭を下げる。

 私がこれ以上ここにいても気を遣わせるだけだと判断し、二人に休むよう告げて部屋を後にした。



 私も休みたかったが、リサのことに時間を割いていたため執務が溜まっていた。

 少しの休憩の後、溜まっている決済をさばいていく。

 思った以上に集中していたようで、気が付くと終業時間を過ぎ夜となっていた。

 切り上げて部屋に戻ろうとしたところで、ステファンの訪問があった。


「こんな時間にどうされたの?」


 私の疑問に、ステファンは困ったように微笑む。


「シルヴィアが夕食も取らずに執務を行っていると聞いて、様子を見に来たんだ」

「心配をかけてしまったかしら。でも、大丈夫。丁度戻ろうと思っていたところよ」

「だったら部屋まで送っていこう」

「あら、いいのに」

「倒れないか心配なんだ。それと軽食の準備も君の侍女に頼んでもいいかな?」


 瞳に心配の色を浮かべ、たとえ断ったとしてもなんやかんやと理由をつけて折れそうにないステファンに私は頷く。


「私の部屋に運ぶように伝えて。それとステファンも、私が食べ終わるまでは付き添ってね」

「この時間に部屋を訪れるのは……」

「一人なら食べないわ」


 一瞬黙ったステファンに笑みをこぼすと部屋へと促した。

 ステファンは律義に軽食に付き合ってくれた。

 私が用意されたスープと軽く焼いたリンゴパイを食べている間も、彼は無言でお茶を飲んでいる。


「では、食べ終わったようだし僕はこれで」

「少し、話をしたいの」


 腰を浮かしたステファンを引き留める。

 侍女が食器を下げ、気を使ったのか部屋に二人きりになる。


「悪評が立つよ」

「婚約者だし、誰も気にしないわ」


 そういうと、私はステファンをテラスへと誘った。


「まずはお礼を。今回のこと、本当に感謝しているわ」

「頭を上げて。僕が勝手にしたことだ。それにリサ嬢は命の代わりに魔力を失うことになった。もしかしたら、いつかそのことを後悔する時が来るかもしれない。僕がやったのは自己満足かもしれない」

「調合を命じたのは私で、リサとローランドに薬のことを話をしたのも私。ステファンが責任を感じることではないわ」

「シルヴィア一人に、背負わせるつもりはない」

「なら、ステファンも一人で背負ってはいけないわ」


 ステファンは真剣に私を案じているようで、私は微笑んだ。


「少し、私の話を聞いてもらえる?」


 ステファンが頷いたのを見て、話し始める。


「私は、ずっとこの国の王となるべく育てられてきた。それはお父様がそうであったように、伝統に従って、この国を導いていけばいいと思っていた。そうすることが私の望みだと思っていた」


 突然こんな話をしてステファンも戸惑っているだろうに、ステファンは黙って聞いてくれる。


「でも、少し前から悩むようになったの。お父様のように、伝統を守るだけでいいのかって。もちろん、皆が私に求めているのはその役割だわ。でも、彼らは外のことを知らない」

「……悩ませているのは、僕のせいだね」


 ステファンは悲し気に言う。私はそれに首を横に振った。


「この国を守るためだとはいっても、この国は少々閉鎖的すぎるのよ。それに、ステファンが婚約者として来てくれなければリサはきっと助けられなかったし、今年の品評会は違う結果になっていた」

「それは、そうかもね」

「もちろん、ステファンに頼りきりになるのはよくないとわかっているわ。それに、新しい物が、良きにしろ悪きにしろ、この国に何らかの変化をもたらすこともわかっているの。それでも、私は、解決策がそこにあるのに、伝統の名に見ないふりはできない。だって、私が守りたいのは、この国の伝統ではなく、この国に生きる民だから」


 ステファンがまっすぐに私を見ている。


「だから、私が、ステファンを頼ることで、ステファンは悩まなくていいの。もし心苦しいなら、ステファンは私を利用していると考えていいの」

「利用?」

「だって私は外の国のことなんて、ステファン経由で知るオルテンシア国のことしか知らないもの。存分に、自国の物を売り込んだらいいわ」

「チョコレートみたいに?」


 ステファンの瞳が悪戯気にきらめく。


「そうね。ああいう物なら大歓迎だわ」


 頷くと、ステファンは笑い出した。


「失礼。途中まで、僕は口説かれているんだろうかと思っていたんだ。でも、まさか、利用するように言われるなんて」

「間違ったことを言ったかしら」

「いいや。でも、僕のことを婚約者として見て貰えているのか少し不安かな」


 ステファンの言葉に、私は首を振る。


「そんなことないわ」

「なら、こんな夜更けに二人きりで部屋に誘うなんて、異性として見られていないんだろうか……」


 違うと言おうとするも、ステファンに肩を抱き寄せられ、どきりとする。

 腕の中でステファンを見上げると、月の光に照らされて陰影の落ちるステファンの顔は、見知っているはずなのに何故か知らない人の顔にも見えた。


「無防備すぎるよ」


 髪をすくわれ口づけを落とされたかと思うと、低い声で囁かれる。

 まさか、ステファンがそんなことをするとは思わず、私は顔を俯けた。

 そんな私にステファンは苦笑する。


「怖がらせてごめん。シルヴィアは綺麗な女の子なんだから、僕以外の人を夜に誘ってはいけないよ。でも、シルヴィアの気持ちは嬉しかった。まだ話があるなら、今度は昼間に聞くよ」


 そう言って、テラスから身をひるがえした。

 私は追いかけることもなく、その背を見送る。


「嫌だったら、魔術で対処しているわ」


 思わず零れた本音に、私は自分の気持ちをようやく自覚した。

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