『パソコンが風邪をひいている。』
『れもん』と『どうもう』が目を引きますが、一行目の凄みにまず注目すべきです。これでいいと、これでいく、これで最高!って無垢な判断がちゃんと中心を射抜いてて痺れます。澄んだ自意識がいいです。
当然『れもん』と『どうもう』もやばいです。実際に漢字で見せない判断。ひらがなを見て漢字を想像することが、死を考える構造に似ています。生きている限り実際に体験することは出来ずに、ただ漠然とした想像だけで理解を進めていく感じです。
物語を理解や教訓という尺度で図る人が多いです。自分が何を理解したのか、何を得たのか。わかり易く、みんなの益になるように努力して書かれた作品はもちろん素晴らしい。でも私は何も理解しない物語も大好きです。
なぜなら私がイディオットだと教えてくれるからです。特に死だとかそういうことは生きてる限りわかりません。わかった気になることはできるし、適当になだめすかすことはできます。でもそれが正しいことだとは思えないです。
きっと死に直面した正しい姿勢ってひらがなを見て漢字を思い浮かべるみたいなもの。決して体験し得ない理解できなくとも考え続けることかも。これはそういう物語なのだと思います。
早死にしないように頑張ります。おすすめです。