暗殺者の手ほどき 24

「有り得ねえ、有り得ねえ有り得ねえ有り得ねえ!なんで見えない!クソ!ウッ……ウワアアア!!」


「なんでだよ!動けよ俺の脚!なんで力が入んねえんだぁぁぁ!!」


月のない夜のように静かに、獄王派の地下アジトの駆ける一人の少女。

足音はない。気配もない。

しかし、歩く先々で相手の悲鳴だけが次々と響いた。


「ぐっ……!」


「な、なにィ!? こいつ、速っ――!」


ヴィクトルと別れてからの彼女はまさに修羅であった。彼女の足は床を滑るように走り、ナイフはまるで踊る蝶のように手の中をくるくると回転する。


剣を抜く間も与えず、喉元すれすれをなでるように柄が打ち込まれ、男が吹き飛ぶ。

振り下ろされる斧の柄を、ザクロはわずかに身体を傾けるだけで避け、反対側の脇腹にひざ蹴りを叩き込んだ。


「エヘヘヘェ、どうしたのぉ? もっと来て、もっと――いっぱい、壊れて?」


その声音は甘やかで、息を吹きかけるように柔らかい。

けれど、その目には光がなかった。そこにあるのは“見極め”だけ。生きるか、黙らせるか。

フロア4の囚人であるザクロはこのアジトにいる極王派の囚人より凶悪クリミナル度数が高い為、殺害した場合、監獄規則違反で殺されてしまう。

その為ザクロはここフロア5に来てから一人の命も奪ってはいない。

だが……


「なあ、俺の体が動かねえんだ。喋れるのによお……どうなってんだ?なあ!どうなってんだよお!!」


ザクロはその卓越したナイフ術をもって相手の神経のみを裂き、脳と身体を繋ぐ感覚と指令のわだちを断絶していた。殺PIXの暗殺術『永遠とわ縛り』。この技を受けた人間はその後一生自力で体を動かすことは出来なくなってしまうのだ。

死なずに殺される。それはこの搾取と狂人に溢れたボルガノフでどれほど恐ろしいことか。

暗殺者に倫理を求めるのもおかしな話ではあるが、ザクロは普段、格下相手だとしてもこの非人道的な技を滅多に使わない。

しかし今夜のザクロは怒っている。


「止めろ!まずは動きを止めア゛ッ……」


雑兵は十数人。だが一人としてザクロに触れることすらできない。

水を掴める人間が居ないように、流体のように地下通路の壁、天井を縦横無尽に移動するザクロを止められる者はここにはいなかった。

血の一滴もこぼさず、骨が軋む音と、金属が叩きつけられる鈍音だけが、石壁に響き続けていた。


「……全員、遊び相手には足りなかったなぁ」


最後のひとりが昏倒し、石ナイフをくるりと投げて鞘に収めると、ザクロは深く息をついた。


◆◆◆


「ヴィク姉は来てないかぁ」


アジトの最奥へと辿り着いたザクロは目の前にある鉄扉を目の前にしてそう呟いた。


(待っててねぇ旦那、この奥にいる男の手脚を全部いでぇ、旦那の前に引っ張り出してぇ、旦那に仕返しさせてあげるからねぇ)


ザクロが鉄扉に手を掛けたその時、彼女は突如背筋に走った不快な感覚に従うように後ろに跳び下がった。

暗殺者として鍛え上げられてきた危機回避能力、それは見事に仕事をした。

目の前の鉄扉を両断するように大剣がザクロへと襲いかかったのだ。


「……ッ」


致命傷は避けたザクロだったが、大剣の先端が頬を浅く走り、純白の肌に一文字いちもんじに血が滲む。

最奥の鉄扉のその先、かつて採掘場として使われ、声が幾重にも反響する程広い空間。そこに待ち受けていたのは、ふたりの幹部だった。


手袋にメガネをかけた黒装束の魔術師べルド。

巨体に生えたコーヒー色の毛並みと鋭い牙を携え、大剣を担いだ獣人の剣士グレア。


「チッ、避けられてンじゃねえかグレアァ!テメェの剣速が遅えんじゃねえのか!?俺ならテメェの一振りの間に、テメェのママンと弟を3回ずつ犯せたぜ!?」


「べルド、あなたの魔力のせいで勘づかれたのですよ。まあ、そう焦らずにいきましょう。相手はサピ生です。薄汚い暗殺者、正面衝突では我々に分がある」


「……アナタ達さぁ、普通口調逆じゃなぁい?見た目的にぃ」


ザクロの言葉を無視しつつ、丁寧な口調の大剣使いと、アメリカ映画のような言葉使いの魔術師がザクロを両眸で見据えた。


「来たか。ずいぶんと楽しそうに暴れてくれたな……嬢ちゃん」


「やっとそれっぽいのが出てきたねぇ?アナタがザクロの旦那をあんな風にした人?」


「ハハッそいつは間違いだ。俺はフロア5担当幹部、深淵のベルド。こっちは戦士、大牙のグレア。お前達のお目当て、煉獄のアズデカはここにはいねえ。無駄足だったな」


「ふぅん、じゃあアナタ達に用はないしぃ、またね……」


「させるかよ!!闇魔法『魔力消費効率化サクルスフィルム』、闇魔法『暗澹流体網シャドウジャム』ゥ!!」


ザクロがアズデカを探しに通路を引き返そうとする。

それを逃さまいと、黒装束の魔術師べルドが両手に魔法陣を浮かばせ地面にかざすと、彼の影がまるで生き物のように蠢き、通路を塞いでいった。


「……なるほどねぇ、アナタ達を倒さないと、通れないってことぉ?」


「そういうことです。行きますよ暗殺者。否、サピ生」


そういうとグレアは地に突き立てていた大剣を構えた。


ザクロは頬に流れる血を小指で掬うと舌に乗せ、ちゅぱっ、と口に絡めるように舐める。

ナイフを抜く。ザクロの姿が溶ける。


第一撃。ザクロは斜め下から跳躍、ヴェルドを狙う。だが魔術が展開され、影が出現。防がれたその刹那、グルアが大剣を横薙ぎに振るう。


「うふ、残念っ!」


宙をクルリと舞いながら紙一重で避け、刃の上を駆け上がるザクロ。逆手に持ったナイフでグルアの顎を狙った。


だが――


「闇魔法『重力波動ネメシス』!」


横から魔術が発動、重力が数倍に跳ね上がりバランスを崩した瞬間、グルアの大剣が襲いかかった。


ガッ!


衝撃。ザクロは咄嗟にナイフでいなしたものの、その重さと大きさの暴力には敵わず、ナイフがひび割れ吹き飛んだ。


「ッ……!」


金属の音が遠く響く。武器を失ったその瞬間、ザクロの身体が宙に浮いた。


「闇魔法『暗澹鎖シャドウカテナ』」


重力魔法に掴まれた身体を、べルドの影の鎖が縛りつけていく。


「見ろよグレア、コイツの腕輪をよ。凶悪クリミナル度数【2796】。ほうらやっぱりじゃねえか」


「低い?アナタ達ぃフロア5の囚人じゃないのぉ?」


ザクロの問いに、大剣を肩に乗っけたグレアが答えた。


「ええそうですよ。私達二人はフロア4の囚人。強さを隠す為に私もベルドも今はピンクの囚人服を着ていませんが。ほら見てください、私の凶悪クリミナル度数は【3033】。こっちのベルドは凶悪クリミナル度数【3177】。所詮は暗殺者、抵抗力の低い者を闇夜に紛れて殺す卑怯者ですからね、こうなるのは必然でしょう。ではさらばですサピ生、我が奴隷カルテルを壊滅させた忌まわしき殺人集団の一人よ。四肢を無くした後に飢えた男囚人達の前に転がしてあげますよ。まずは脚から」


グルアの喉が肉食獣特有の低い唸りを立てて震える。

大剣は構えられ、ベルドの影の鎖ごとザクロを両断する勢いで振り下ろされた。


終わる。

すべてが、ここで。


その時……ザクロは……


「ア、ッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ♡なんだぁぁ♡」


嗤っていた。


その声は大剣が気にせず振るえる程の部屋によく響いた。小刻みに弾かれるヴァイオリンのような笑い声だった。


「ヒッ……」


決壊したダムの下流域のような殺戮意思の奔流にベルドとグレアが一瞬怯んだ隙をザクロは見逃さなかった。

三日月のような口を携え、銀色に輝く髪を揺らし、黒漆の椀に注がれた赤ワインのような瞳で眼前の敵を見下ろしながら、彼女は影の捕縛から逃れた。

それに最初に気がついたのはグレアであった。


「べ、ベルド!逃げ出していますよ!何をやっている!!」


「え……な、な、なんで脱出してやがる!確かに重力魔術はオフにしていた!ああしていたぜ!だが『暗澹鎖シャドウカテナ』は一度だってオフにしていねえ!どうなってッ……!」


ベルドは目の前のザクロを見て愕然とした。

鈍い音を出しながら肩や、膝を動かしている彼女の行動が脱出不可の筈の魔法から逃げ出せた訳を語っていたからだ。


「まさかコイツ……関節を……外し……」


冷や汗がポトリとベルドの足下に落ちる。

ザクロがそれとほぼ同時であった。


「闇魔法『魔力消費効率化S式ルインダーズフィルムα1エーワン』、そしてぇ……火魔法『鋼哭錬刃マサムネ』」


低く、落ち着いた声が漏れた。


空気が鳴る。


床の鉄板、壁の釘、壊れた鎧の破片、刃の欠片、鎖の節、ツルハシのヘッド、さらには斜めに両断された鉄扉。

あらゆる金属が共鳴し、震え、飛んだ。


それらが一点に収束し、ザクロの掌へと吸い込まれる。


「クギ2%、ネジ7%、刃12%、ツルハシ24%、鉄の扉46%かぁ。あとその他諸々もろもろ……まあまあだなぁ、鉄の扉がおじゃまだったなぁ。大きくなっちゃったしぃ。でもこれはこれで可愛いからいいやぁ♡よろしくねぇ、99代目マサムネぇ♡」


形作られるのは、一振りの刀。いや大剣。

不殺の為のナイフとは違う、これは“殺す”ための刃だった。


「アナタ達ありがとねぇ、ザクロねぇ、人殺すの久し振りなんだぁ、だからねぇ、はしゃいじゃうかもぉ」


「ふ、ふざけんな!闇/

          /まほ……あれ?」


そうザクロが言った次の瞬間、ベルドの視界が裂けた。彼が理解するより早く、大剣が薙いだ。


魔力防御が破られ、黒衣が裂け、二つになった身体と血飛沫が宙に舞う。


「ベルド――ッ!」


叫んだグルアの胸にも、次の一閃が走る


「っが、あああ――ッ!」


その刃に迷いはなかった。ためらいも、慈悲も、祈りもなかった。

刃が内臓まで達したグレアは最後の力を振り絞り、大剣を振るう。

その速さは一時音速を超え衝撃波を発生させた。


「んッ……!」


打ち合う二つの大剣、制したのはグレアの方だった。

辺りに鉄屑が散らばり、ザクロの剣は瓦解する。


「死になさい!あなたとは差し違えても……は?」


追撃を行おうとしたグレアの視界に彼女は居なかった。だがグレアは彼女がどこにいるのかを知っていた。


「やっぱ獣人さんは踏み心地いいなぁフワフワだよぉ」


ザクロはグレアの頭の上にいた。

グレアは状況を全く掴めなかった。頭上いる筈のザクロは感触はあれど重さを殆ど感じさせなかったのだ。

動けないグレアの頭を撫で、ザクロはそこにあるカワイイ三角の耳に優しく語りかけた。


「ねぇ知ってる?ザクロの魔法はねぇ、手に向かって鉄を集めて武器を作る魔法なんだけどぉ。今この状態でやったらどおなるでしょお?」


その言葉の意味を理解したグレアは小さく助けを求めた。


「し、死にたくな……」


「最後に教えてあげるねぇ、暗殺者ってねぇ人を殺すのが得意だから暗殺者なんだよぉ?…………死ね。火魔法『鋼哭錬刃マサムネ』」


呪文を唱えた瞬間、グレアの身体は刀に憧れた周囲の数多の鉄片に貫かれ、獣臭い肉塊と化した。


「旦那ッ…!」


アズデカの不在に嫌な予感がしたザクロは一直線にショウジの元へ走って行く。

彼女に戦いの余韻などもはや残ってはいない。

それは彼女にとって作業なのだから、呼吸や言葉を交わす事と同義であるのだから。

彼女は闇を駆ける、赤い足跡を作りながら。

愛を教えてくれた主人の元へ。


——————


囚人番号 8831910396

囚人名 ザクロ・アンゴクリュー(14)

懲役19894年→19694年

凶悪クリミナル度数【2796】→【3396】

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