改革と火種 19

「なあヴィクトル、ちょっとついてきてくれないか?」


「?どうした、藪から棒に」


今は自由時間、監房で広辞苑並の厚さの本を読んでいたヴィクトルをショウジは唐突に誘った。

ここ最近まともに喋っていない二人だが仲が悪いと言うわけでは無い。

ショウジは蜘蛛の巣での仕事が忙しく、ヴィクトルも監獄の図書室で片っ端から本を読み漁る生活だった為話す機会がなかったのだ。

あとショウジがヴィクトルのプライベートノイズを聴くと悶々とする為、なるべく監房に居たくなかったというのもあるが。

そんなこんなでショウジからヴィクトルのことを誘うというのは初めてのことだった。


「最近俺蜘蛛の巣ってところの改善に取り組んでたんだけどさ、結構上手くいってるから観に来てほしいんだよ。紹介したいやつもいるしさ。もしかしたら、ヴィクトリア派閥の頼れる戦力になってくれるかもしれないんだ」


そのセリフにヴィクトルはピクリと反応すると読んでいた本を閉じ、ベッドから立ち上がった。

本の表紙には『マジックブレスレットとボルガノフの囚人part3』と書かれている。

ハリー○ッターかよ、と内心思ったショウジだったが最早ツッコミすらしない。

何故か知らないがこの世界と元の世界の間にはところどころシナジーがある。

モトモトもたまに異世界人が来ると言っていたし、割とこの世界の文化に異世界人が影響を与えているのだろう。


「ああ、分かった、行こうじゃないか」


その言葉と共にヴィクトルはスッ…と俺に手を下に向けて差し出した。

詐欺師の装いクローク』で男に変身しているのにも関わらず、その手は透き通った絹糸のように艶やかに白い。


「……この手は?」


「?、お前は私の騎士だろう、なら私をエスコートするのが義務じゃないか」


ショウジの手を待つヴィクトルの目は、クリスマスイブの子供のようにキラキラしている。


何言ってんだこの人は、と思ったショウジだが、考えてみればヴィクトルは元々王族、そこのカルチャーでは騎士はお姫様を導くのが常識なのだろう。


(その時の癖がうっかり出たんだろうな。一瞬手つなぐのを誘われたのかと思ってテンション上がったけどヴィクトルにとってはそんなの完全な社交辞令的行為。ここは童貞臭を歯を食いしばって押さえつつ、冷静に諭そう)


「いや、それあなたが王族なのがバレるじゃないすか?そもそも今のヴィクトルの見た目は男なんだからおかしいし」


秒で論破されたヴィクトルは急に力を失ったかのように手を下ろした。


「……それもそうか」


ショウジはそのまま蜘蛛の巣へヴィクトルを案内する。


(……してくれたって良いじゃないか)


ヴィクトルが表情に若干の不満が滲み出ていたのにショウジは気づかなかった。


◆◆◆


「これは…!」


「な?変わっただろ?」


蜘蛛の巣へとやってきたヴィクトルはその変貌ぶりに驚きを隠せない。

自分が行った改善点全てにリアクションするヴィクトルにショウジは親に作ったレゴ褒められる幼児のようにご満悦だった。


一通り見たあとショウジは市場のとある酒場で一息つくことにした。

ヴィクトルはショウジの向かいに腰を下ろし、腕を組んでいた。


「それで、お前はこの市場をどうやってここまで発展させた?【蜘蛛の巣】には一度訪れたことはあるがこんな場所では無かった筈だが」


ヴィクトルは酒場の入り口から見える市場の様子を見ながらそう言った。

市場は以前に比べて目に見えて活気づいていた。

道端には果物や香辛料の山が積まれ、あちこちで商人たちが笑いながら客引きをしている。

かつては掠奪と暴力が絶えなかったこの市場も、今では安心して物を買える場所になりつつあった。


「……簡単なことだよ」


ショウジは肩をすくめながら答えた。


「最初に目をつけたのは物資の流通さ。監獄内の商人たちは、自分の持ってる商品をひたすら高値で売ることしか考えてなかった。でも、それじゃ経済が回らないんだ。だから俺は、需要と供給を調整するために卸売の概念を持ち込んだ」


「卸売?」


「そう。市場の連中をグループごとにまとめて、共同仕入れをさせたんだ。これで各商人がバラバラに物資を確保するより安く仕入れられるし、価格競争も激しくなりすぎない。さらに、余った品は別の区域に流せる仕組みを作った。結果、商品の回転率が上がって、市場全体が活性化した」


ヴィクトルは興味深そうに顎に手を当てる。


「ふむ……確かに理に適っているな。だが、ここの囚人が新入りのお前の言うことをノコノコと聞くとは思えない。どうやって言うことを聞かせた?」


「理由の一つは情報の流し方かな。情報屋のモトモトってやつからこの改善案を流したんだけど、まず最初にこの改善策をモトモトと親しい商人の間だけでやらせたんだ。そうするとその商人達だけ利益が上がる、そのあと他の商人達はその儲けている様子を見てこぞって真似をするようになるけど、勿論見ただけじゃ上手くいかない。そこにつけ込んだモトモトが改善案の情報を少しだけ売るんだ。わざと全て分からないようにしてね。

すると商人の中には改善点に自力で気づくやつが出てくる。人間は自分で発見したことや気付いたことを過剰に評価する節があるから勝手に俺達の方法でやってくれる。

そのシステムにした瞬間、俺たちが儲かるシステムになるとも知らずにね」


高校の公民で習った物流のシステムを活かしたショウジの見事な改革であった。

ショウジとモトモトが卸売システムと市場内流通システムを掌握している為、ショウジの改善案を採用した商人が増えれば増えるほど二人が儲かるのだ。


「なるほど。だが、以前とは比べものにならないほど治安も良くなっている。反対勢力も少なからずいただろう。それはどうしたんだ?」


「えーとそれはね……」


ショウジが市場の『抑止力』について話そうとしたそのタイミングで、その『抑止力』の方からショウジの元にやってきた。


「旦那ぁ♡今日もたくさんカってきたよぉ」


「ありがとうザクロ。酒場の皆んながびっくりしてるから返り血洗い流してきなさい」


「はぁ〜い……その人がヴィクトルさんですかぁ?」


少女は全身を赤に染めたまま、ヴィクトルの方を向いた。

ヴィクトルの姿を見ると、テーブルの上に立ちヴィクトルを舐め回すように見下げる。


「私はぁザクロですぅ。ザクロはねぇ旦那の……旦那のぉ…………ペット?」


「違うよ?」


ヴィクトルはそのねっとりとした話し方にわずかに眉をひそめた。


「その歳で【フロア4】の囚人。お前……サピ生か」


ヴィクトルはザクロの正体を一瞬で見破った。

そのことにショウジは感嘆の息を漏らす。


「すげえ、よく分かったな」


「ええ、そうですよぉ。ところで旦那♡敵ぃ……私が全部、始末しておきましたぁ……エヘヘヘェ♪」


「お、おい……誤解を招く言い方するなよ……」


「だってぇ、本当のことでしょぉ……?えいっ、報酬の旦那へのぎゅー」


ザクロは笑いながらショウジの腕に絡みついた。


「ちょっ、近い!」


「……ふん。なるほど、そいつに反対勢力を消させてる訳だ。確かに適任かもな」


「ははは……だろ?それでどうかな、ザクロを俺達の仲間に入れるのは」


ショウジの言葉にヴィクトルは顎に手を当て思考を巡らせる。


(サピ生が仲間になるのは心強い……このボルガノフで一勢力として台頭していく私達に今足りないのは圧倒的な武力だ。加えてこの様子、ショウジに籠絡されていると言って良いだろう。ならば裏切りの心配もかんがえなくていい。引き込むのには最適な人材だ。ならば何故……)


ヴィクトルは目の前の光景をふと見つめた。

ショウジとザクロが淫戯イチャついている。(ザクロの一方的なものであるが)

ヴィクトルは魔法で平らとなった自身の胸に手を当てる。走る痛みは間にあった物体が無くなったことでより鮮明に感じられた。


(私は彼女を輪に入れることを少し渋っているんだ…?)


◆◆◆


地下、フロア5とフロア4の間にあるかつて坑道として使われていた場所の一角。

明かりは心許無いランタンのみ、それにゆらりゆらりと照らされ酒を飲みながら荒くれている男がいた。

身長は細長く、特徴的な赤い法衣を着た男だ。片目は爛れたように潰れケロイドを作っている。

隠すつもりはないようだった。


「ふざけやがって!!」


男がテーブルを蹴った拍子に上にあった酒瓶が落ちる。つんざく音は男の神経を更に逆撫でした。


「せっかく【蜘蛛の巣】を潰せそうだったってのに急に盛り返してきやがった。一体どう言うことだ!?お前達に妨害工作を頼んでも全員蜘蛛の巣で失踪したまま帰って来ねえ。これが凶悪クリミナル度数ハイアベレージを誇る獄王派のザマか?なあ!?」


男は一人がけのソファにもたれながら爪をガジガジと噛みながら部下に悪態を吐く。

貧乏ゆすりが止まらないのは怒りからなのか、それとも先程吸った麻薬のせいか。


「あ、アニキ。近頃【フロア4】の囚人が蜘蛛の巣をうろついているていうウワサがありやす。恐らくそいつに……」


「火魔法『屠焼の蛇ウルゴア』!」


部下の話をろくに聞かず癇癪のままに呪文を唱えた男の手で、空間を歪ませる程の熱量を持った蛇がとぐろを巻かれた。

炎でできた蛇はチロチロと舌を出しながら主人あるじに無駄口を聞いた男を睨みつける。

これから自身に起こる未来を悟った部下の一人は後退りしながら目の前の男に許しを乞うた。


「あッ、アニ…」


だが、魔法は既に発動されている。

魔術の蛇は獲物を狩るように飛びつき、部下の男の喉元を貫いた。

空いた穴から炎が広がり、男は一瞬で炎に包まれる。


「タ、タスケ……」


穴の空いた喉から気の抜けた命乞いが聞こえる。

他の部下達は助けを求める仲間の声を無視し、ただ茫然とその様子を眺めることしかできない。

その男を助けること、それ即ち上司への反抗だとみなされ目の前の男と同じ末路を辿るからだ。


「言い訳は求めてない。俺達【フロア5】の獄王派が『ボル』を掌握するには商人の奴らを傘下に収めなきゃならねえ。その為には【蜘蛛の巣】をぶっ潰す必要がある。どんな手段でも構わねえ、やれ。全ては獄王の為に!」


「「全ては獄王の為に!!」」


獄王派閥の黒い影が、静かに動き出していた。


――監獄市場を巡る戦いが、今、始まろうとしていた。


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