8章 奇妙な依頼

 昼下がり、仕立て屋の静けさを破るように扉が開き、冷たい風が店内に吹き込んだ。ロザリーは手を止め、穏やかな笑みで顔を上げた。


「いらっしゃいませ。」


 しかし、目の前の客の異様な雰囲気に気づき、その笑みはわずかに強張った。フードを深く被った男が、ゆっくりとカウンターに近づいてきた。


「安いブラジャーを100枚作ってほしい。」


 低い声で告げるその言葉に、ロザリーは少し驚きながら尋ねた。


「100枚……ですか?サイズやデザインに関するご希望はございますか?」


 男は顔をほとんど見せないまま、冷たい口調で答えた。


「そんなものはどうでもいい。ただ、大体の女が着けられるサイズならそれでいい。」


 ロザリーはさらに確認のために問いかけた。


「具体的には、巨乳の方でも対応できるサイズを基準にしたほうがよろしいでしょうか?」


「そうだ。それで構わない。大きすぎても問題ない。」


 男は苛立たしげに続けた。


「余っている布を使ってもいい。とにかく、ブラジャーに見えるものならそれでいいんだ。安く、簡単に、大量に作れ。」



 ロザリーは男の異様な態度に不信感を抱きつつも、商売を断るわけにはいかなかった。大量の注文は仕立て屋にとって貴重な収入源であり、安価な素材を使えば大きな利益を得ることも可能だ。


「承知しました。数日ほどお時間をいただきますが、よろしいですか?」


 彼女が確認すると、男は無言で布袋をカウンターに置いた。袋を開けると、中には予想以上の金貨が詰められていた。


「これで足りるだろう。それ以上は聞くな。」


 男は冷たく言い放つと、無造作に店を出て行った。扉が閉まる音が店内に響く中、ロザリーはその場に立ち尽くしていた。



 ロザリーは残された布袋を見つめ、考え込んだ。


「余り布を使って、とにかく見た目だけ整えたブラジャーを大量に……一体何に使うつもりなのかしら。」


 疑念はあったが、余計な詮索をするべきではないと考え直す。注文通りに製作するだけで利益は十分得られるはずだ。


「エリスには黙っておこう。この件で心配をかける必要はないし、余計な手間も増やしたくない。」


 ロザリーはそう自分に言い聞かせ、注文をこなす決意を固めた。




 穏やかな午後、エリスの仕立て屋の扉が再び開いた。ロザリーは店内で製作した商品をまとめており、予想通りフードを深く被った男が入ってきた。


「注文の品はできているか。」


 男は無愛想に言いながらカウンターに歩み寄った。


 ロザリーは準備しておいた大きな布袋を指差しながら答えた。


「こちらです。ご注文通り、安価で簡易的なものを100枚作りました。」


 袋の中には、簡易的なブラジャーがぎっしり詰まっていた。それらは布を二つに折り、折り目の部分に穴を開けて頭を通せるようにしただけの極めてシンプルな作りだった。肩ひももないため、装飾やフィット感とは無縁で、まるで応急処置で作られたような代物だ。

 布も余ったものを使用したため、色も厚さも様々だ。


「余った布で作ったものがほとんどなので、色もバラバラですが……数は揃えました。」


 ロザリーは少し申し訳なさそうに説明を加えた。


 男は無言のまま袋を開け、中の品を一つずつ手に取って確認し始めた。軽く触れただけで雑さが伝わる品々に、ロザリーは不安を抱いたが、男は特に文句を言う様子もなかった。


 一通り目を通した後、男はニヤリと口元を歪めた。


「十分だ。これでいい。」


 その不気味な笑みを見て、ロザリーは改めて胸に湧き上がる不信感を押し殺すしかなかった。彼が何のためにこれほどの簡易的なブラジャーを必要としているのか、想像もつかない。ただ、それを聞けば何か問題を引き起こすのではないかという恐れもあった。


「ありがとうございました。また何かございましたら、どうぞ。」


 ロザリーは引きつった笑顔を保ちながら、そっと見送った。


 男は袋を乱暴に抱え上げ、振り返ることなく店を出て行った。扉が閉まると、再び店内には静寂が戻った。




 ロザリーは深いため息をつき、カウンターに肘をついた。


「あの男、一体何をするつもりなのかしら……。」


 仕立て屋としての仕事をこなしたにすぎない。しかし、心の奥に残る得体の知れない不安を振り払うことはできなかった。ロザリーはしばらくその場で考え込んだが、やがて頭を振って気を取り直した。


「エリスには言わないでおこう……。」


 ロザリーは小さく呟いた。


「あの子に余計な心配をかけたくないし、私たちの店に悪い噂が広がるのは避けたいもの。」


 自分にそう言い聞かせると、ロザリーは再び手元の作業に目を落とした。しかし、胸の内に残る疑念と不安が完全に消えることはなかった。彼女は店内に漂う静けさの中で、自らの選択が正しかったのかどうかを問い続けていた。

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