第20話 説得
目の前に立つのは——イリス。
どれほど会いたかっただろうか。
そのために幾度も困難を乗り越えてきた。それなのに……。
「帰る? いやだよ。それより遊ぼうよ、アルテミス!」
イリスは笑顔を浮かべたまま、まるで何も聞こえていないかのようだった。
アルテミスの胸に、不安が広がる。
「イリス……やっぱり、操られているのか?」
そのとき——
「イリス!!」
背後から少女たちの声が響いた。
アルテミスが森で救った少女たち——ルミナとノクティアだ。
リュウセイは目を見開く。
「あれ? お前たち、さっきまでどこに……」
オリオンとの激戦のさなか、いつの間にか二人の姿が消えていたことを思い出す。
「ずっと隠れてたの!」
二人は声を揃えて元気に答えた。
「……そ、そうか。」
ルミナが一歩踏み出し、強く頷く。
「イリスもアルテミスと同じ。私たちが武器を抜かなければ攻撃はしてこないはず!
だから……私も一緒に説得するよ!」
イリスは小首をかしげ、不思議そうに二人を見つめる。
「……誰? その子たち」
「友達だよ! アルテミスの!」
「友達……?」
その言葉に、イリスの笑顔がかすかに揺らいだ。
「アルテミス……しばらく会わないうちに、私のこと……いらなくなっちゃったの?」
その寂しげな響きに、ノクティアが思わず声を張り上げる。
「そんなわけない!
アルテミスはずっとイリスのことを想ってたよ!
そして……私たちは、あなたとも友達になりたいの!」
その言葉を聞き、ルミナが小さく呟く。
「……あの子、普段ほとんど喋らないのに……」
「え……?」
イリスの瞳が揺れる。
ノクティアは真っ直ぐに駆け寄り、そっと手を差し伸べた。
「みんな待ってるよ……行こう?」
その瞬間——
「やれ! イリス!!」
オリオンの冷酷な命令が飛ぶ。
「!?」
イリスの顔が苦痛に歪み、次の瞬間——
振り上げた拳がノクティアの身体を貫いた。
ノクティアは驚愕の表情のまま、淡い光となって消えていった。
ルミナは声を震わせ、叫んだ。
「武器を抜かなければ攻撃してこないんじゃなかったの!?」
オリオンが嘲笑う。
「そんな甘っちょろい設定、消すに決まってるだろ?
イリスはもう“調教済み”だ。俺の命令は絶対に従う……。
イリス! アルテミスを倒せ!!」
「お前……イリスに、なんてことを……!」
リュウセイは怒りに任せて斬りかかる。しかし、オリオンの肉体は幾度斬り裂かれても霧散せず、ただ不気味に笑い続ける。
「無駄さ。俺の体は切り裂いても消えやしない。
それに……見てる連中も望んでるだろう?
“イリスとアルテミスの戦い”をな!!」
「イリス……そんな……」
ゲーム外から見守る星野の声も震えていた。
イリスはオリオンの命令に従うように、静かに構えを取る。
その瞳からは感情の光が失われ、ただ戦う人形のように。
「そういうわけだから……戦おっか、アルテミス!!」
「……イリス。わかった。
お前を正気に戻して……それから、もう一度話をしよう」
アルテミスも決意を込めて構え直す。
「アルテミス……」
リュウセイは二人の姿を見つめ、拳を強く握りしめた。
「……」
「……」
先に仕掛けたのは——イリスだった。
「いくよ!」
イリスは空へと舞い上がり、凄まじい勢いで拳を振り下ろす。
「くっ!」
アルテミスは紙一重でその一撃を避けた。
次の瞬間、拳が地面に突き刺さる。
轟音とともに大地が揺れ、衝撃波が奔った。
——地響き。
——大地の崩壊。
迅速だが非力なアルテミスとは対照的に、イリスの一撃は鈍重でありながら、絶大な破壊力を誇っていた。
蜘蛛の巣のような亀裂が無数に走り、足元の地面が脆く砕け散る。
「なっ……!?」
リュウセイの足場も崩壊し、体が大きく傾く。
その時、上半身だけとなったオリオンが喉を裂くように叫んだ。
「イリス! 俺を運べ!!」
「うん♪ わかった!」
イリスは迷いなくオリオンの体を担ぎ、舞い上がる。
「ひっ……ひいいいいい!!」
ルミナの悲鳴が響く。崩れた地面に足を取られ、奈落へと落ちていく。
——助けに行かねば。だが——。
アルテミスの心が揺らいだその刹那、リュウセイの声が鋭く響き渡った。
「行け! アルテミス!! 俺たちのことはいい!
今はオリオンとイリスを追え!!」
その声に、アルテミスの瞳が決意に燃える。
「……わかった!」
迷いを断ち切り、アルテミスは空へと跳び、イリスの背を追った。
・・・・・・・・・・
地上へと姿を現したのは——イリスとオリオン、そしてアルテミス。
背後では、リュウセイたちが崩れた地面の下に埋もれていった。
「……リュウセイ……」
一瞬だけ振り返ったアルテミスの視線は、すぐに再びイリスへと向けられる。
「ははっ! じゃあ改めて勝負しよっか!
これなら誰も邪魔はいない。
今度こそ——一対一の真剣勝負だよ!!」
イリスはオリオンを乱暴に地面へと放り捨て、笑みを浮かべて駆け出す。
「えいっ!」
鋭い蹴りが、アルテミスの顔面を狙う。
アルテミスは咄嗟に腕で受け止めたが、その瞬間——
「ぐっ……!」
体ごと吹き飛ばされる。
骨に響くような衝撃。イリスの破壊力は常軌を逸していた。
ガードしてなお、鈍い痛みが走る。まともに喰らえば——致命傷は免れない。
「はあっ!」
イリスは畳み掛けるように攻撃を繰り出す。
だが——。
「——っ!」
アルテミスの身体が風を切り、間一髪でそれを躱す。
「あれっ!?」
イリスの大振りな拳は、ことごとく空を切った。
「このっ!」
続けざまに拳や蹴りを繰り出すが、そのすべてをアルテミスは俊敏に回避していく。
「やっぱり……すばしっこいね、アルテミス」
苛立ちを隠さぬ笑みを浮かべるイリス。
アルテミスは必死に叫んだ。
「イリス! 頼む!! 正気に戻ってくれ!!」
しかし、その声を遮るように横たわるオリオンが口を開く。
「無駄だ。イリスの感情プログラムはすでに書き換えた。
今のイリスは俺の命令に従うだけの、有能な“ソフト”にすぎない」
「お前……!!」
アルテミスの視線が鋭くオリオンを射抜く。
オリオンは愉快そうに嗤った。
「さあどうする? イリスを倒すか?
それとも……奇跡を信じて、説得を続けるか?
面白いショーを見せてくれよ?」
攻撃を躱され続けたイリスは、苛立ちを隠さず声を張り上げた。
「あーもう! 全然当たらない!!
じゃあ、こういうのはどうかなっ!」
イリスは周囲の教会の瓦礫をまとめて天へと投げ上げる。
舞い上がった破片は影となり、やがて雨のようにアルテミスへと降り注いだ。
一つでも直撃すれば致命傷は免れない。
「動きを制限すれば、攻撃も当てやすくなるでしょ?」
イリスが笑う。
「くっ……!」
気づけば、アルテミスの周囲は瓦礫の檻と化していた。
その頭上から迫る拳——。
「さあ、これでお終いだよ!」
だが次の瞬間——。
「……あれ?」
イリスの目の前から、アルテミスの姿が掻き消えていた。
「ちっ! 能力か!」
振り下ろされた拳は虚しく地面を砕き、その瓦礫の影からアルテミスが姿を現す。
「おい! 何をやってる!
相手を有利にしてどうするつもりだ!!」
オリオンが怒声を飛ばす。
しかしイリスは楽しげに振り返った。
「大丈夫だよ。それも含めて計算済み♪
だって、私の【能力】の前じゃ、アルテミスは無力なんだから」
イリスの体に魔力が収束していく。
「能力【閃光照射】!」
右手を掲げると、いくつもの光の玉が現れ、周囲を漂い始めた。
やがて、それらは瓦礫の影を照らし出す。
「くっ!」
影に潜んでいたアルテミスの体が、強制的に地上へと弾き出される。
「あはは♪ 出てきた!」
イリスは楽しそうに跳ねる。
「アルテミス、知ってたよね? 私の能力は“光”を操ること。
影を使うあなたとは——最悪の相性だって」
イリスは駆け出し、拳を振りかざす。
「能力だけじゃない。好きなものも、性格も……
私はアルテミスのこと、なんだって知ってるんだから♪」
拳が振り下ろされる——その瞬間。
「じゃあ……これも知ってるのか?」
アルテミスは爪を後方の木に突き立てた。
「戻れ!」
瞬時に爪が縮み、アルテミスの体を後方の木へと引き寄せる。
まるで影を裂くようにして後退したその動きに、イリスは目を丸くした。
「……なに、それ?」
イリスの知る“アルテミス”にはない一手にイリスは少し唖然とする
「これは……ホシノが私に託してくれた力だ」
アルテミスが静かに告げると、イリスは不満げに頬をふくらませた。
「え〜? なんでアルテミスだけ? ずるい!
ねえ、オリオン! 私にも何か武器ちょうだい!!」
「……ああ。お前にぴったりのものを用意してやる」
オリオンがプログラムを操作すると、轟音とともに黒い塊が空から落ちてきた。
「な、なんだ……!?」
砂煙の中に現れたのは、イリスの身長ほどもある鉄球。
鎖が取り付けられ、先端には握りやすい取っ手がついている。
「鉄球……!?」
イリスは嬉々としてそれを装着した。
「あはは♪ そうそう! こういうのが欲しかったんだよ!
じゃあ行くね!!」
鉄球がうなりを上げて振り回される。
振り下ろされた瞬間、アルテミスは紙一重で回避した。
——ドォンッ!
地面が抉れ、巨大なクレーターが生まれる。
衝撃波が荒れ狂い、瓦礫が雨のように飛び散った。
「な……なんて威力だ……」
鉄球そのものは避けられても、爆発的な余波までは防ぎきれない。
「まだまだ行くよー!!」
イリスは楽しげに叫び、鉄球を何度も叩きつける。
しかし——。
「……全然当たんない……」
いくら衝撃波を撒き散らしても、アルテミスは軽やかに回避し続けていた。
「ちっ……! 学習してやがる……」
オリオンは歯噛みした。
アルテミスは戦闘や状況解析に特化したAI。
イリスの攻撃パターンすら、瞬時に記憶し攻略していく。
アルテミスは攻撃を躱しながら、大声で叫ぶ。
「イリス! お前が私のことを知ってるように……私もお前のことを知ってる!
性格も、癖も、戦い方も……そして——
お前は本当は、こんなことをしたくないってことも!!」
「……っ!?」
イリスの動きが一瞬鈍る。
その刹那、アルテミスの爪が伸び、鉄球の取っ手を叩きつけた。
ガキン、と甲高い音を立ててイリスの手から鉄球が弾き飛ぶ。
「あっ!?」
形勢は一気に逆転。
イリスはアルテミスと同等の力を持ちながら、動揺が隙を生み——
その隙を、冷静に解析するアルテミスが確実に追い詰めていく。
「だったら……イリス! プログラムを書き換えろ!!」
オリオンが叫ぶ。
「プログラムの……書き換え……?」
イリスが戸惑いに声を揺らす。
「そうだ! お前は俺より処理能力が高い!
自分を強化しまくって、アルテミスにとどめを刺せ!!」
「自分を……強化……」
イリスは小さく呟き、黙り込む。
「お前ならできる! 学習される前に、チートでもなんでもいいから早くやれ!!」
「……できない……!」
「なっ……!?」
耳を疑う返答に、オリオンの表情が歪む。
イリスは完全に彼の制御下にあるはずだった。それなのに——。
「だって……ヤクソクしたから……」
イリスの頬を涙が伝う。
「もう……不正行為はしないって……ホシノと……」
「イリス……」
その声に、ゲーム外から見守っていた星野の目にも涙が浮かぶ。
「……偉いわ……イリス……」
想定外の展開に、オリオンの顔は怒りで歪み切った。
「ふざけるな……! だったら、無理やりにでも書き換えてやる!!
最初から“心”なんて不要だったんだ!!」
オリオンの声が怒号に変わる。
「——感情プログラム、全消去!!
同時に、イリスの能力値を極限まで引き上げる!!」
次の瞬間、イリスは悲鳴を上げ、頭を抱えて崩れ落ちた。
「あああああああああああああ!!!!!」
「やめろ!!」
「やめて!!」
アルテミスと星野の叫びもむなしく、オリオンの指は止まらない。
やがて——。
イリスはふらりと立ち上がった。
その瞳からは温もりが消え失せ、冷たい虚無だけが宿っている。
「イリス! イリス!! 私だ、アルテミスだ!!
もう戦いはやめてくれ!!」
「……」
呼びかけにも反応はない。
アルテミスの声は、もう届かない——。
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