第26話

 俊の指定した集合場所に秀治が沙織とともに到着した時、二人以外は既に集まっていた。野球部の練習が終わった後に合流する予定にしていたはずの克己も、制服に着替えた状態でスポーツバッグを足元に置き、俊と何やら楽しそうに話をしていた。


 秀治が沙織と一緒にみんなの前に姿を見せた時、俊の眼がいやらしく細められたのを秀治は見逃さなかった。


「沙織!」


 俊の隣で妙に親し気に笑いあっていた女子生徒が、沙織に手を振った。その目が、ほんの一瞬だけ俊と同じように細くなったのを秀治は見逃さなかった。


「梨沙ごめん、遅くなって」


 沙織は秀治の隣から女子生徒の方へ駆けていった。梨沙と呼ばれた生徒の他に、二人ほど女子生徒がいて、互いに親し気にしていた。沙織が口にしていた梨沙という女子生徒は、どこか俊と同類のような匂いがしていた。こういうタイプの人間と沙織が親しくし続けることへの不安を秀治は感じずにはいられなかったけれど、余計なお世話だろう。


 秀治は沙織達から視線を俊や克己の方へ移した。俊と克己がいて、そしてもう一人、伊野瀬健がどこか退屈そうに佇んでいた。正直、俊以外の二人のことは良く知らなかった。


 浜村克己はそこそこ強豪のシニアリーグにいた野球好きだという情報くらいしかない。それなら、こんな進学校に来るより私立の強豪校に行く道もあっただろうにと、素朴な疑問を持たずにはいられなかったけれど、そのあたりの事情は俊も知らないようだった。聞いても教えてくれなかったそうだ。言いたくないような事情があるのなら、無理に聞くこともないと思うけれど、俊はそのあたりを根掘り葉掘り聞きすぎて、機嫌を損ねてしまったらしい。


「私立の強豪からお呼びがかかるほどの実力でもなかったんじゃねぇの?克己って」


 俊はそう言って笑っていたが、案外そんなところかもしれない。野球で身を立てることが出来そうになく、それでいて多少勉強ができるのであれば、県立の進学校に行くという選択肢は理解できる。ただそうやって詮索したところで、本当のところは本人にしかわからないし、聞きたいとも思わなかった。


 伊野瀬健のことは、克己以上に良く知らなかった。俊も、やたらに勉強に力を入れてる奴、なんていう半端な情報しか持っていなかった。それくらいのことしか知らない人間を、今日はどうして呼んだのだろう。


 そんなことを考えながら健のことを観察していると、不意に健の方からこちらへ視線を向けてきた。思いもよらず目が合ってしまった秀治は、自分から目を逸らすのが何故だか恥に思えて、そのまま健と視線を交わし続けた。


 そんな秀治の様子に、健はどこか軽蔑したように顎を上げ、再び俊達の方へ視線を戻した。高みから周りを観察するような、そんな気位の高さを感じさせた。けれど秀治からすれば、彼もまた、人の輪の中に入りきれずに孤立しているようにしか見えなかった。


「みんな揃ったんなら、行こう、こっちだから」


 俊が周りを見まわしながら言った。彼の隣に離れずについていた梨沙が、は~い、と高い声を上げた。克己も足元に置いていたスポーツバッグを肩に担ぐと、どこかワクワクした様子で俊の先を歩き始めた。


 そのあとを、梨沙に引っ張られるように沙織達が続いた。健は相変わらずすました顔で、なぜかその場を動かずにいた。そして秀治が歩き始めてからようやく、その後ろに着いて歩き始めた。どうしても、周りの人間を一歩引いて観察できる場所に居なければ気が済まないようだ。誰かが後ろにいると安心できないのだろうか。


 平日の仕事終わりの時間と重なったせいなのか、それとも明日が土曜日だからなのか、商店街は仕事帰りと思われるスーツ姿の大人たちであふれていた。若者や学生と思しき姿もちらほら見受けられるけれど、車通りもある狭い商店街を支配しているのは、仕事の軛から放たれた大人たちの解放感だった。その中を縫うように、秀治たちは俊の案内するままに商店街を西新から藤崎の方へ向かって歩いていった。


「で、どこなの、俺まだ目的地聞いてないんだけど」


 先頭を行く克己が、後ろ向きに弾むように歩きながら、俊に尋ねた。通行人が彼のすぐ脇を慌てて通り過ぎていく。見ているだけでも危なっかしい。


「もうそろそろ。結構奥まったところにあるから、もう通り過ぎてるかも」


 いやいや、そういうの勘弁しろよ。克己は左肩に下げたバッグを放り投げるように俊の方へ振るった。危ない危ないと、俊は笑いながらそれを避けた。


「冗談だよ、もうすぐそこだから。そこにマッサージの店あるだろ、そこの手前の路地入ったところ」


 俊の指さした先には、木目調の柱と扉の枠に、店の奥まで見通せそうな澄んだガラスの張られた店構えのタイ式マッサージ店が、落ち着いた橙の照明を灯していた。マッサージ店であることを示す立て看板も、上品な深い茶色の木目でまとめ上げられていた。


 どんなマッサージしてくれんの?と、周りに聞こえそうなくらいの声でふざけて言った克己の頭を、俊は笑い声と一緒に叩いた。


「どんなマッサージってどういう意味ィ」


 俊の隣で、梨沙が愉快そうに笑って言った。梨沙という人間のことを秀治は全く知らないけれど、沙織の友人と言われても俄かには信じられない。単純に今日という日が楽しみで興奮しているだけなのかもしれないけれど、どこか媚びるような視線を俊に向けているのも、その後ろをただ黙ってついていく沙織とあまりに非対称だった。梨沙はいつの間にか、俊の腕に縋りつくように自分の腕を絡ませていた。


「ここ入るの?」


 マッサージ店の手前で立ち止まった克己が、奥まった路地裏を指さした。マッサージ店の入る三階建ての雑居ビルは、表向きは随分狭く見えるけれど、奥行きはかなりあった。克己は遠くの方を見る目で路地裏へ視線をやっていた。


「そこ、そこの一番奥の店だよ。看板見えるか?」


 そう言って、俊は少し速足で克己のもとへ行った。


「なんか、外国語の看板が見える。英語?」


「わかんね、あとで聞いてみる」


 俊と克己はそんなことを話しながらどんどん奥へ進んでいく。その後ろを慌ててついていく梨沙と、恐る恐るそれに従う沙織と二人の女子生徒。沙織がどこか不安そうな顔で秀治の方を振り返ってきたのを見て、秀治は反射的に笑顔を返した。それを見て、沙織は少し安心したようにまた前を向いた。

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