12走目 ライバルだからこそ
レースが終わる。激しく鼓動を打つ心臓の音が、まだ耳の奥にこだましている。体中に駆け巡った熱は冷めず、息を整えることすらままならない。表彰台に立つレティシアの表情は頬が染まり、肩で息をしていて、全身が汗でびっしょりだ。
『ヴィンテール市、晴天の中、レースを制したのはレティシア・ヴェントゥス選手です!! 二着フィリア選手と接戦し、三着ヴェロニカ選手に大差をつけての圧勝でした!!』
「はぁ……っ! やった!!」
観客の歓声が遠く響く。レティシアは嬉しそうに飛び跳ねて喜んでいる。その姿は無邪気で、まるで子どものようだ。でも、その喜びを素直に喜べない。だって、私は全力を出して負けたから。足の怪我も……私の全力の結果だ。そこに悔いはない。でも、レティシアに「足の怪我のせいで負けた」と告げるみたいで言えない。
結果は揺るぎないものだ。彼女は強かった。だからこそ、彼女は私のレース人生におけるライバルの一人になる。
表彰台で彼女の隣に立つ。視線を横にやると、レティシアの笑顔が目に入る。それはあまりにも眩しくて、まるで私より少しだけ前を走っているように見える。
「おめでとう、レティシア」
「フィリア! ありがとう!!」
私は彼女の手を取る。その瞬間、レティシアはさらに嬉しそうな表情になる。彼女の手のひらは熱く、汗ばんでいる。本当に嬉しそうだ。でも……悔しい。悔しくてたまらない。それでも、レティシアを祝福しなければ、私は自分の弱さに勝てないと思う。
私たちはレース場を並んで後にする。風が吹き抜ける。熱を帯びた身体に心地よい涼しさを運んでくる。クールダウンの時間はすぐに過ぎ、いつの間にか夕暮れが空を染めている。オレンジの光がレティシアの栗色の髪に溶け込み、彼女の笑顔を柔らかく照らす。
「フィリア……次も負けないわよ」
「ううん……次は勝つ。私が伝説を創るから」
レティシアは驚いたような表情で私を見る。そしてすぐに笑顔になり、私の肩に手を乗せると、そのまま抱き寄せてくる。近くにいる彼女の鼓動が聞こえそうなほど距離が縮まる。
「フィリアならできるわ。だって、あなたは私のライバルだもの!」
「うん! レティシアは私の伝説の物語の登場人物だから……私に負ける気なんて持たせないよ。それでも私が勝つ」
「何よそれ。負けたあなたの方が偉大に感じてきたわ」
二人で笑いながらレース場を出る。話題は自然と次回の出走予定に移る。レティシアは四日後のレースに出るらしい。彼女の意気込みを感じる言葉に、少しだけ羨ましさが混じる。でも、私はそのレースには出場しない予定だ。
何より……足の痛みがもう誤魔化せない。練習の疲労が積み重なり、限界に近づいている。無理に出場しても良い結果は望めないし、悪化する可能性すらある。ヴィクトリアさんの出した条件――一か月以内に公式戦で一着――をクリアできていないかもしれないけど、怪我したまま走り続けるよりはいいはずだ。
それに、まだ三週間ある。それまでに治して、また練習を積もう。そして……もう一度レティシアと戦うんだ。
二人で会場を出たその時、一人の少女とすれ違う。深い紫色の長い髪が風に揺れ、銀に近い灰色の瞳がしっかりと私を捉えている。
あれは――ヴィオラ・アストラだ。
彼女もこのレースを見ていたのだろうか。ゆっくりと私の元に近づいてくる彼女は、私の目の前に立つと口を開く。そして私の足を指さして……
「足……怪我してますね」
「えっと……」
「怪我? フィリア、そんなの聞いてないよ」
レティシアが冷ややかに、だけどはっきりと怒っている。当然だ。怪我のせいで私が負けた、怪我のおかげでレティシアが勝った――そう受け取られても仕方がない。
「違うよ、レティシア。怪我は私の自己管理の問題。レース時のコンディションだって選手の能力の一部だから。レティシアが勝ったことと私の怪我は関係ないわ」
納得がいってなさそうなレティシア。そりゃあそうだ。万全な状態で戦えなかったのは私の責任でも、レティシアには万全な私に勝てた実績がないということになる。でも、レースは時の運もある。だから今回の勝利はレティシアの勝利にケチのつけようもない。
「怪我……治療するよ?」
「え?」
そう言ってヴィオラさんがかがむと、私の足に柔らかな白い光を放つ。その光が足を包み込み、じんわりと温かさが広がる。痛みが和らぎ、少しずつ楽になっていく。彼女のスキル……治癒魔法だ。
「ありがとうございます……」
治癒魔法は魔力消費も激しく、気軽に使えるものじゃない。こんな風に使ってくれる理由が分からない。
「あの、どうして私の治療を?」
「……? ただ、そうした方がいい。そう感じた」
彼女の言葉は淡々としているが、妙な説得力がある。私は少し戸惑いながらも、彼女の瞳を見つめる。
「名前」
「え? 足の怪我に気づいたってことは、さっきのレースを見ていたんですよね?」
「うん……でも、あまり聞いてなかった」
彼女の意外な言葉に、私は思わず笑いそうになる。
「私はフィリア・ドミナ」
「私はレティシア・ヴェントゥスよ」
「……そう。またね、フィリア、レティシア」
そう言ってヴィオラさんはスキルを使って宙に浮き、どこかへ飛び去っていく。
彼女は一体……。でも、残り三週間、同じ拠点にいれば、きっとまた走ることになる。その時、私はどこまで行けるだろうか。
レティシアが私の隣で少し不満そうに言う。
「フィリア、怪我のこと言ってくれなかったんだから。心配したんだよ」
「ごめんね、レティシア。でも、レースは正々堂々戦いたかったから……隠してたわけじゃないんだ」
レティシアは少し頬を膨らませるけど、すぐに笑顔に戻る。
「次は怪我しないでね。私、万全のフィリアに勝ちたいから」
「うん! 次は絶対に負けないよ」
私たちは『ヴィルマ亭』への道を歩き始める。夕陽が街をオレンジに染め、足の痛みが消えた感覚が不思議だ。ヴィオラさんの治癒魔法のおかげで、身体が軽くなる。でも、心の中では新たな火が灯っている。
ヴィオラ・アストラ。彼女の走りを超えるためにも、レティシアに勝つためにも、私はもっと強くなる必要がある。ヴィクトリアさんの条件をクリアする期限はあと三週間。その間に足を完治させて、トレーニングを積んで、次のレースに挑む。
宿屋に着くと、女将さんが温かいスープを用意してくれている。レティシアと二人でテーブルにつき、レースの話を続ける。
「ヴィオラさんって、すごいよね。あんな魔法使えるなんて」
「うん。でも、私たちだって負けないよ。次は私が一着を取るから!」
私はスープを飲みながら決意を新たにする。ライバルだからこそ、互いに高め合える。レティシアも、ヴィオラも、私の伝説の一部だ。その物語の頂点に立つために、私は走り続けるんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます