8 開店の日
「トントン!トントントン!」
「んん?あぁ……もう朝か……」
ドアを叩かれる音に目が覚めて、ギシリと椅子の撓む音が聞こえる。日が昇るまで作業をして、ようやくほとんど料理は作り終わって……それで……。
目をこすりながら体を起こすと、見慣れた店内の景色が目に映し出される。
……俺、椅子で寝てたみたいだ。かなりの量を作ったから、身体中が『疲れた!』と叫びを発している。
眠い、もう少し寝たい。下がってきた上瞼と下瞼が仲良くしかけた頃、ドアのノックが止む。
「……土井さん、そこに居ますよね?」
「えっ!?もしかして環さんか?」
聞き慣れた声がドアの向こうから聞こえて、慌てて鍵を開けようとポケットを探った。……いや、待てよ。環さんは鍵を持ってるよな?
「そこに居るのは本当に環さんか?」
「何故そのような疑問を?」
「だって環さんなら、このドアを開けられるはずだ」
「流石に早朝4:30からご自宅を兼ねた建物の扉を勝手にあけて入るなど、失礼です」
「んじゃ許可するから、そっちで開けてくれるか」
「…………ふむ、合格点ですね」
「???」
なんだ?なんかテストされてたのか?ぽかんとしていると、鍵が外側から開けられていつものスーツ姿の環さんが現れた。
あたりはまだ薄暗く、日は出ていない。街の中が青い色に包まれて、冷たい風が吹いている。
「おはようございます」
「おはようさん。てか合格点って何?」
「私のメールをご覧になっていないのですか」
「メールくれてたのか?すまん、本当にさっき起きたばかりで携帯すら見てない」
「そうですか……」
「なんか送ったのか?」
「見てください」
「ハイ」
やや不機嫌な顔の環さんを迎え入れ、慌ててドアを閉めてからレジの横に置きっぱなしの携帯をつかむ。
そう、携帯もあるんだよ、地獄って。ほとんど現世と変わらんよな……でも、俺の携帯はガラケーだ。パカパカするやつ。
スマホは高級品だから、罪人の多くが持つのはガラケーなんだよな。超懐かしいぜ。
パカっと開いた中にある、メールのボタンを押すと……。
「108件とか煩悩の数かっての」
「早く見てください」
「あ、はい」
環さんが座ったカウンターから謎の圧力をかけられて、俺は首をすくめる。怖え。たくさん届いているメールの一番最初まで辿ると……そう言うことか。
昨日全然見てなかったが、朝からメッセージを送ってくれていたみたいだ。返事してないから心配させたんだな、こりゃ。
――『今日は仕入れに行かれるのですよね、お気をつけて』
『シャオメイが同行していると聞きました。大丈夫ですか?』
『仕入れはうまくいきましたか?いえ、この場合は採取と言うのでしょうか』
「なぜ返事が来ないのですか。運転しているからですか?事故では無いですよね?」
あー……これは本当に悪いことしちまったな。
古いメールから一つ一つ見て行って、だんだん環さんが本気で心配し出し、自分で情報を獲得してほっとして、返事がこないことで拗ねていく様子が見える。メールだと饒舌なタイプみたいだ。
「あ、これか……」
99件目のメールを開くと『最近強盗団が発生したそうです、戸締りはできていますか?明朝確認に参ります。開店準備もありますから』と書いてある。それでテストしたってわけか。
納得して環さんを見つめると、彼女は紫煙を燻らせながらビシッとドアを指差し……ぼそっと囁く。
「鍵がまだ開いてます。不合格にしますよ」
「え?あ、ごめん。忘れてた」
「まさかいつもじゃありませんよね?」
「あはは、あー、いつもはほら、朝散歩しに出かけるくらいですぐ戻るし」
「散歩に行くのに、いつも鍵をかけていないんですね」
「……はい」
「不合格です。早く鍵を閉めてください」
「ハイ、申し訳ございません」
「はぁ……先ほどお茶を買いました。不合格ですが、差し上げます。次からはきちんと鍵を閉めてください」
「ハイ。お茶ってあったかいやつ?」
「今すぐ、鍵を閉めてから発言してくださいますか」
「ハイ」
怖い声に促されるままドアの鍵を閉め、携帯のメールを見ながらカウンター席に腰掛ける。環さんの隣に座って必死で最後まで見ていると横から『ふっ』と笑われた。
「最後の方はたいした用事ではありません。見なくてもよろしいですよ」
「いや、せっかく環さんがメールしてくれたんだからちゃんと見るよ。
ごめんな、返事できずに。ザーサイ畑で泥んこだったし……イノシシに出会うし、頂いたものが多くて夜中に全部料理しててさ。携帯の存在を忘れてた」
「そのようですね。こんなにたくさん作られたんですか」
「うん。野菜は採れたその日が一番うまいだろ?時間が経つと味が落ちるが、料理しておけばその時が止められる。せっかく食べてもらうなら、美味い方がいい」
「そうですね」
ポケットからお茶のペットボトルを取り出し、俺に手渡してくれた彼女はブラックコーヒーを口にしている。カッコいいな……タバコとコーヒーか。
煙を一口吸い、灰をトントンと自分の灰皿ポーチに落とし、環さんは店内のテーブルにぎっしり置かれたおかずたちを見渡している。
ほとんど緑ばっかりだが、どれもこれもうまくできたからお客さんは喜んでくれるだろう。
「お茶いただくよ。さんきゅ」
「いえ、ついでですから。……土井さん、手にあかぎれがあります」
「あぁ、大したことはない。山菜も、野菜たちも水を使う作業が多くて、昨日冷たい水をたくさん使ったからな。そんなにしょっちゅう荒れるわけじゃないから」
「そうでしたか……お疲れ様でした」
「お気遣い痛み入ります。さて、まだ朝飯には早いよな。日が昇る時間にいつも散歩に行くんだが、ご一緒にいかがですか?」
「参りましょう。どちらに行かれるのですか」
「その辺をぷらぷらするんだよ。歩いているうちに寝ぼけた体に血が巡って、頭がシャッキリしてくる。じいちゃんがいる時は通勤で同じ事してたが、今はここが住居兼職場だからなぁ」
「運動は必要ですね。体力を要するお仕事ですから」
「そう言うこと。シャオメイは何時に来るかわからんけど、まだだろ?」
「えぇ、そうですね。彼女の朝は大変遅く始まります」
「じゃあ散歩に……って環さん今日のお仕事は?ゆっくりしていいのか?」
タバコの火を消した環さんは立ち上がってカウンターの椅子を丁寧に戻し、腰に手を置く。
「私の担当の方が地獄でのお店をスタートさせる日ですよ。半休を取りました」
「うぉーい……シャオメイといい環さんと言い、なんで自分の休み返上して俺を手伝おうとしてるんだよ。ちゃんと休めって。散歩が終わったら環さんはご飯食べて帰りな」
「でも」
「でもじゃないの。全く、地獄で一番忙しい仕事してんだからダメだろ。体が資本だし、休みは自分のために取れ」
「シャオメイは…………ったのに」
俺はキッチンの奥にある自宅への扉へかけた上着を手に取り、彼女の小さい声を聞き逃した。
「ん?なんだ?」
「お散歩に行きます」
「お、おう」
プイッと顔を背けてしまった環さんを追いかけ、なんだか気まずい気分で店を出る。ジトッとした視線の監視の元、俺は店の鍵を閉めた。
━━━━━━
夜明け直前の街中は、昨晩晴れていたからとんでもなく冷えている。だが、もうすぐこの寒さも終わり、あたたかい春が来る。
『春を迎える
じいちゃんの……いや、今日からは俺のだな。俺の店は三件の商店が固まっているビルの並びだ。三件とも二階建てのこじんまりした自宅兼店だが、付近には観光施設も何も無いんだ。
だが、ここからギリギリ徒歩圏内の場所に大きな商店街がある。
俺は首に巻いたマフラーを顎まであげて、ゆっくりと大地を踏み締めて歩く。
地獄では舗装された道路があまりない。少し昔に時が止まったかの様な状態なんだ。砂利が敷かれた道を踏み締め、その音を聞きながら生まれ変わっていく空気を吸った。
俺がよく聞いていた曲に『青い夜明け』と言うフレーズがあった。夜明けの色は黒と白が混ざり、地球という星の青に染まるんだ。とても……清浄な青に。
眠った
アスファルトで舗装された道路の上は、あんまり安全じゃない。当時はガラスを踏んで七針も縫う羽目になった。
だが、足の裏に伝わるひんやりとしたアスファルトの感触に少し……罪悪感を感じた。母なる大地は人間の利便性のために覆われていて、なんだか悪いことをしているような気分になったもんだ。
だが、そんなものは杞憂だった。人間がいかに増えても、全てを支配したような気になっても……自然には勝てない。
何もないところから草を生やし、花を咲かせて種を飛ばし……人間がびっくりするような場所にも命は溢れている。
それはなぜか地獄でも同じなんだ。アスファルトに覆われてるところは少ないけどな。道路脇の雑草を見て、俺はほくそ笑む。
誰が何をしていたってこの星は生きている。その中で生死を繰り返す俺たちはちっぽけな存在で、誰が生きていようがいまいが何かを大きく変える出来事にはならない。
やや投げやりに思えるが、当時の俺はその事にひどく救われたことがある。
俺が何したって変わらないものは、確かにある。それなら、自分がしたいように生きて、責任さえ取れるのなら自分の好きな事をやればいい。
人にとやかく言われても些細なことだ、その数分後自分にとっての毒を吐いた人は、俺の事を忘れている。
何でもかんでも目についたら手を出して、『偽善者』である事を責められて。俺はなんも考えずに動いていたから、ガラスのハートは傷ついたりしたもんだ。若かったからな。
冷たい空気を腹一杯に吸って、ゆっくり吐き出すと不安な気持ちは朝の青に溶けて行く。全てが光を受ける直前の青は静謐で、穢れがなく……とても美しいものに思えた。
大きな商店街に到着する頃には、早朝から働く人たちがさわさわと動き出していた。
あー、あそこの蕎麦屋さん、いつもいい匂いしてるんだよなぁ……あ、向かいの肉屋さんもシャッターが少し開いてる。コロッケでも揚げてんのか?めっちゃいい匂いがするぞ。
馴染みの豆腐屋さんはもう開店していて、外でタバコを吹かしている。
俺が手を振ると、にかっと笑顔が浮かんで……彼は手を振りかえしてくれた。
サクサク歩いて進んで行くと、商店街は終わり、やがて住宅街になり……それに広がって行く光の中で、
青から黄色、そして赤、白へと太陽が空の色を変えてやがて鮮やかな
死んでからもこんな景色を見られるなんて思っていなかったな。
地獄は今日もいい天気になりそうだ。
「まだ先に行くんですか?」
「ん、この先に高台がある。そこからお天道さんを拝んで帰るんだ」
「随分と
「いや、どうだろな。日本人に染みついた習慣というか、なんと言うか。心って感じか?」
「心、ですか」
「俺は日本が好きだったよ。いいところも悪いところもあったが、人の気質が好きだった。海外に行ったことはないから他は知らんけど」
「…………」
「環さんは?」
「生まれは海外ですから、渡航経験はあります」
「そうか……あのジーザスは習慣か?」
「えぇ、養護施設は教会とセットの場合が多いので」
「へー。そういえば地獄には神社も寺も教会もないな」
「地獄は罪人の来るところです。救いは
「確かになぁ」
「土井さんは別です。あなたは罪を犯したわけでは……」
「いんや、裁判結果の通り俺は罪人だ。借金5千億の極悪人だぜぃ」
「…………」
ふ、と笑うと環さんはしょんぼりしてしまった。これは事実だからな、曲げてはいけないことだろう。どっちにしても一介の死人には何も覆せない。
俺の価値観で納得できなくても、事実を見なければここで何千年もやっていけんよな。前に進むのは得意だが、後退するのは苦手だ。それよりもっと苦手なのは……立ち止まることだから。
後退したり、立ち止まれば息ができなくなっちまう。俺は進み続けなければ息ができないマグロみたいな気質なんだ。
「お、ついたぞ。ちょうどいい時間だ」
「…………朝焼けですね」
高台に到着して、木の柵に手を預ける。無垢の木材で作られたそれは無骨で、木の皮すら剥かれていない。
だが……ここに訪れた人が俺と同じく柵に手を乗せて同じ景色を見てきたことがわかるほどに、柵はツルツルだった。
人々の想いを受け止めて身を削り、柔らかい感触になった木肌を撫でて、眼下の街を眺める。青白い街並みは色を変えて……目を覚まして行く。
「あの、太陽を見ないんですか?」
「ん?俺が見たいのは街の目覚めだ。太陽は登ってからでいい」
「そうですか」
「うん。……環さん、地獄って不思議だよな。死んでいるはずの人間しかいないのに、ここで暮らす俺は朝焼けを見て『生きてる』って感じてるんだぜ」
環さんは沈黙したまま空を眺めていた。その瞳に映る空は、何色なのだろう。あけて行く空の色は複雑で、綺麗で、そして切ない。
街がすっかり朝の光に染められた頃、俺は陽に向かって……まるで神社にお参りするかのようにして頭を下げて手を合わせる。
静かに目を瞑り、俺は暗闇の中で祈りを捧げた。
――俺の周りの人たちが幸せになりますように。みんなが成仏できますように。
……何千年もここにいるなら、幸せな顔を見ていたい。その手助けが、俺のちっぽけな手で出来るように頑張ります。
祈りというのは、神頼みにすることじゃ無いんだぜ。何かを行動し、全てを成し遂げるのは自分自身以外にいない。
これは、俺の誓いみたいなものだ。自分に『逃げるな』と言い聞かせてるんだ。
地獄には神様はいなそうだし、救いもないんだろう。存在するのは
……でも、それだけじゃ無いはずなんだ。
思考の波に揺られていると、環さんのため息がそれを遮る。空を眺めていた瞳は今、隣にいる俺を映し出していた。
「土井さんこそ、本当に不思議な方です」
「んぇ、そぉ?」
「陽に向かって頭を下げ、神に祈る。ここに神様はいませんよ」
「そうかもしれんけど、俺は自然の恵みを享受しなければならん立場だからな。恵の主には頭を下げる。お客さんにするのも同じことだ」
「……はい」
山があって川があって、木や草や、花が咲く。人間以外はまだ見たことがないが、それを食うのが人ならば感謝したってバチは当たらんだろ?
シャオメイの損得勘定でも納得されると思う。
『タダならいいアル』とか言いそうだ。
「運動して腹減っただろ、シャオメイが来る前に飯食って帰るか?」
「嫌です」
「えっ」
「か、帰りませんから」
「そっちか……なんでだよ。手伝いはいらんぞ」
「…………」
「環さんのための休みだから、めしなあと残る話は承諾できない」
「……そうです。私のための、私が取った休みです」
「なんか雲行きが怪しい発言だな」
環さんは俺を見つめて眉をキリッと持ち上げ、僅かに口の端を上げる。朝日に染められた頬は朱色に染まっていた。寒さのせいか、日差しの暖かさのせいか……俺にはどちらかわからない。
「私は私のためにお店のお手伝いをします。あなたがダメだと言っても昼過ぎまでは居座ります」
「なっ……何でだ。訳分からん……」
「私にはわかっていますから。シャオメイだって昨日手伝ったでしょう。私だけに許可を下さらないのは不公平です」
「うーん……」
「私は帰りません」
じっと見つめられてしまい、俺はたじろぐしか無い。そんなに心配なのかな。俺が頼りないせいか?……仕方ない、ちゃんと店を回せるって証明しておけば再びこんな事は起こらないだろう。
渋々頷くと彼女はさらに口端を上げ、目尻が少し下がる。
「環さんも不思議な人だよ。人が良すぎて心配になる」
「あなたに言われると困りますが」
「はは、確かにな?」
穏やかな風が、吹いてくる。俺たちは眩しい朝陽に目を細めて……店へ戻ることにした。
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