6.神奈川県三浦市の溶岩蛇-5

溶岩蛇の肉をミキサーにかけて、挽き肉にした後に冷蔵庫で凍らせる。


完全に凍ったのを確認したら、フィルターを敷いた大きなザルに肉の塊を乗せ、ザルの下にボウルを置く。


肉が自然解凍されるのに合わせ、ドリップと呼ばれる赤い液体が肉から染み出し始め、それがボウルに溜まっていく。


料理というよりは科学実験か黒魔術か何かのような光景だった。



「...これは何をしてるんですか?」


異様な光景を前に柿本は腰が若干引けている。


生肉から水分を抽出しようというのだ。


頭がおかしいと言われても仕方ないだろう。



「文字通り水分を抽出してるんだよ。肉を冷凍すると細胞組織が損傷し、細胞内の水分が流出する。冷凍玉ねぎを加熱するとグズグズに崩れて大量に水分を放出するのは、これと同じ現象が起きるからだ。溶岩蛇の肉は水分が多いからかなりの量が取れるはずだ」


「いや、それは分かりますけど...。ドリップって、普通は出さないようにするものですよね?」



肉から染み出るドリップにはタンパク質やビタミンなどが混じっており、いわゆる肉の美味しさやジューシーさの素となる。


だから、肉を食べるときには極力ドリップを出さないようにするのが鉄則だが、今回やっているのはその鉄則を真正面から否定する行為だった。


柿本が流石に首を傾げていると、邪神が肉をつつこうとして貝塚に止められ、幼児のように両脇から体を持ち上げられた。


手足をダラリと伸ばしたその姿は猫や犬のようだったが、柿本は一旦それを無視して疑問を貝塚にぶつけた。



「ドリップを抽出しようした理由は何ですか?」


「1つ仮説を立てた」


「どういった?」


「溶岩蛇の肉が不味いのは、肉の部分が不味いのであって、それ以外の部分は不味くはないのではないか?」


また変なことを言い出したなと柿本は首を傾げたが、今回はすぐに言いたいことを理解することができた。



「肉以外の部分って、筋とか脂身とかは普通の味がするってことですか。水分もその1つだと」


「そういうことだ。肉は血合いのように栄養素が詰まりすぎていて味が濃すぎて、血やアンモニアの匂いがきつい。これを食べる方法は思い浮かばない」


貝塚は喋りながら邪神にスプーンを持たせ、ザルに入った挽き肉をすくわせた。


赤黒い挽き肉は解凍を経たことで形が崩れ、表面は染み出した水分で覆われていた。



「筋は肉に入り込み過ぎて分離できないし、脂身は蛇らしくほとんど無い。レバーで言えば血管や尿線といった匂いの原因を取り除くのも無理。残っているのは水分だけだ。普通の肉の水分量は概ね60-80%。こいつは90%近くありそうだから、しかるべき手順に則ればまとまった量を取ることができる」


「水分を取るなら絞った方が早いし量も取れると思いますけど?」


「肉が不味いという仮説が当たっていれば、下手に絞ると細かい肉片や余計なものまで抽出されそうだからな。まずは上澄みだけを取り出して、上手くいったなら抽出方法を変えるつもりだ」


「なるほど、筋は通っていますね......」



言われてみれば分からなくもないが、よくこんなことを試そうと思うものだ。


柿本が褒めるべきかどうか悩んでいると、貝塚が呆れたような顔をした。



「おいおい、似たような料理は既に存在しているぞ?」


「えっ、そんな料理ありました?


「トマトだよ」


「トマト?」


「トマトウォーター。刻んだトマトをドリッパーに乗せて水分を抽出する料理があるだろ?やってることは同じなんだよ」


「あっ!そんな料理もありましたね」



トマトウォーターは細かくしたトマトをフィルターに乗せ、文字通りトマトの水分だけを抽出したものである。


トマトの水分量は約94%とほぼ水分でできているから、すり下ろすだけで簡単に水分が取れるが、溶岩蛇の肉には一工夫必要だったため凍らせたというわけだった。


トマトジュースはトマトの身も使うため赤い液体となるが、トマトウォーターは身を使わないため黄色がかった透明の液体になる。


確かにやっていることは全く同じだ。


生のトマトが生肉に変わるだけでここまで禍々しくなるとは驚きだった。



貝塚は抽出した赤い液体を鍋に移し、加熱して殺菌した後、卵白を加えてアクを取り除いた。


液体は透明度が増しており、これが肉から絞り出したものとは思えない。


少し取って舐めてみると、それは上質な動物性の出汁と呼べる味わいをしていた。


臭みがないどころか、匂いはほとんどない。



「当たりだ!」


貝塚は喜び、そのままザルに残された肉を一口咥えた。


やはり不味い。


肉の味が変わらないなら、当初の仮説は概ね正解なのだろう。


肉を茹でて出汁を取ると不味さも出てしまうことを踏まえれば、抽出する水分を増やせば同じ結果に終わる可能性が高い。


下手に重石を乗せたりせず、自然に抽出できる分だけに留めておく方が賢明だ。



「いい出汁ですね。肉だけとは思えないほど複雑な味わいです。栄養素が詰まっているからでしょうか?」


柿本が出汁を舐めながら感想を述べる。


普通のドリップではこれほどの味は出ないから、まさに溶岩蛇ならではの味だった。



肉から取った出汁と言えば、子牛の肉や骨を使ったフォンドボーが有名だ。


しかし、この出汁は香味野菜や骨などを使っていないにも関わらず、下手なフォンドボーよりも濃い。


水分だけでこの濃さなのだから、肉にどれほどの栄養素が詰まっているか簡単に想像することができるし、そんなものを人間が美味しく食べようとするのは無理がある。



「出汁というのが良いな。使い勝手は良いし、料理の幅も広がる。難点があるとすれば溶岩蛇を狩ることが困難だというくらいか。クソっ、もっと肉を取ってくればよかったな。群生地とかないのか?」


貝塚は早速料理のことを考えているが、柿本からすればあんなモンスターは2度と相手にしたくなかった。


なにしろ、溶岩というただでさえ簡単に人が死ぬ環境で、全長数十メートルを超える巨大なモンスターと戦うことになるのだ。


今回はたまたま楽をできたが、正面から戦えと言われて「分かりました」と言える人間はそうはいない。



「あんなモンスターがゴロゴロしていたら大変ですよ...」


もし湖や海であんなモンスターと出くわしたらどうなるだろうか。


未踏破の地域におけるハンターの死亡率の高さを思い出し、柿本は深い溜め息をついた。

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