5. 神奈川県三浦市の曼荼羅毒蜥蜴-15
「次はレバーを使った料理だ。火を通したレバーと香味野菜をミキサーにかけて混ぜたペーストだ。クラッカーに乗せて食べてくれ。毒の効果はセロトニンなどの脳内物質を阻害して幻覚が見えること。色調が変化してサイケデリックな光景が広がったり、光の眩しさが調整できなくなったり、遠近感がおかしくなったりする。芸術に目覚めたり、悟りでも開けそうだな」
テーブルに置かれた鮮やかな青い皿の上には、3枚のクラッカーと白い小鉢が乗っていた。
白い小鉢には茶色のペーストが詰まっていて、ペーストをすくってクラッカーに乗せるための銀のスプーンも添えられている。
見た目だけであればよくある前菜や軽食にしか見えない。
だが、貝塚の解説を聞く限りでは幻覚剤の類と区別がつかなかった。
曼荼羅毒蜥蜴のレバーは内臓器官のため、獲物を狩る際に作用する毒ではない。
体組織が偶然そのような作りになっただけである。
幻覚の効果も強くはない。
そのため、このような毒性を持っていることは知られていなかった。
これは貝塚が自分で実験した際に判明した内容だ。
半魚人たちに確認したところ、「なにそれ。怖い。どうやって判明したんだ?えっ、自分の体で試した?なにそれ。怖い」と怯えられた。
そんな料理に添えられるのは、炭酸の泡が弾けるたびに燻製の香りが広がる黄金色のハイボールだった。
柿本も慣れたもので、ハイボールを作りながら説明を始める。
「燻香が強いウイスキー『鹿島』と強炭酸ソーダを合わせ、濃いめのハイボールに仕上げます。そこに特定の脳内物質を過剰に活性化させる毒薬を加えます。自律神経や筋肉に異常を引き起こしますが、レバーの毒により活性が阻害されているので、ちょうどよい具合に落ち着きます」
柿本の説明を聞きながら、ニスロクがペーストをクラッカーに乗せ、鼻に近づけて香りを確かめる。
レバーの新鮮さと香味野菜により臭みはなく、鶏のレバーにも似た香りが少しあるだけ。
一口で丸ごと頬張ると、最初に来るのはレバーの濃厚な旨味と脂。
一言で表すなら「濃い」というべきだろう。
豚のレバーを何倍にも濃くしたような味が津波のごとく押し寄せる。
暴力的ともいえるほどの味わいだった。
クラッカーの素朴な味とサクサクとした触感が緩衝材となるが、それでもレバーの味わいを押し留めることはできない。
口いっぱいに広がるレバーの味わいは、料理を飲み込んだ後も口内にベットリと残り続ける。
そこにハイボールを流し込み、レバーの旨味と脂を、強炭酸と濃いアルコールで文字通り正面から叩き伏せる。
炭酸のバチバチとした刺激にウイスキーの燻製香も相まって、力と力のぶつかり合いと呼ぶべき組み合わせだった。
ウイスキーは穀物と水を混ぜて発酵させ、蒸留してアルコール度数を高めたものを、樽に詰めて熟成させて作る。
強いアルコールと香りがウイスキーの特徴だが、香りをつけるための手順は2つ存在する。
1つ目は穀物を乾燥させる際に、どのような材料を使うか。
有名なのはピートと呼ばれる泥炭を使う方法で、燻製のような香りだけではなく潮のような香りがつけられることもある。
2つ目はどのような樽に詰めるか。
ウイスキーは樽に詰められる間に、琥珀色に変化しつつ味が複雑になる。
そして樽の原材料や大きさ、以前詰められていた酒の種類によってウイスキーの味は変化する。
木材によって味は異なり、樽のサイズが小さいほど味の変化は顕著になり、樽に浸透していた前の酒の味が染み出してくるのだ。
また、ウイスキーと他の酒を比較した際、最も大きな違いは複数の酒を混ぜ合わせるかどうかだろう。
熟成させた後のウイスキーと他のウイスキーを混ぜるのだ。
ヴァッティングやブレンドと呼ばれるこのプロセスは、品質を安定させメーカーが目指す味を再現するために必要なものである。
もちろん、このプロセスを行わないウイスキーもあるが、その場合は明確に分かるようになっている。
ウイスキーと名がついていても、ブランドによって全くの別物になるのは、こういった理由によるものだった。
「レバーの味と脂が強いですね。旨味と脂の塊なので、口の中がレバーの味に占拠されます。ですが、炭酸とアルコールの強さもレバーに負けていません。かなり濃厚な料理なので前菜に出さなかったのも頷けます」
満足気に料理を味わうニスロクとは対照的に、松永は誇張無しに目を白黒させていた。
遠近感もおかしくなっているのか、ハイボールに伸ばす手も慎重にゆっくりと動いている。
「りょ、料理や皿が蛍光色に光って見える!おおお、照明の揺れが波となって浮かび上がってくるぞ!」
色彩感覚に異常をきたした場合、何気ない風景であっても全く別物のように目に映る。
赤、緑、青、黄、紫といった色が鮮やかに浮かび上がり、自然界や人間の色彩感覚からかけ離れた色の組み合わせが誕生する。
極彩色の曼荼羅模様が渦巻く世界は、普通に生活していればまずお目にかかることはなく、そのような世界を体験することで世界の見え方は一変する。
それ故に、古代では神との対話と称して神官などが幻覚剤を服用し、異常な光景や体験から神託を得ようとしてきたのだった。
ハイボールを飲んで幻覚が収まった後も、松永は得た経験に体を震わせていた。
濃い料理に、濃い酒、濃い体験。
唯一無二と呼ぶに相応しい料理だった。
そして、曼荼羅毒蜥蜴のレバーを流通禁止にすることを固く誓った。
**********
「メインはステーキの盛り合わせだ。胸、背中、足の付け根、腹。それぞれの部位に岩塩とハーブを擦り込んで、しばらく寝かせてから焼いた。ソースは柚子胡椒、わさび醤油、マッシュルームソース、ニンニクマヨネーズソースを用意してあるから好みに合わせて使ってくれ。肉は余ってるから、量が足りなかったら追加可能だ。毒の効果は心拍数の増加。他の部位に比べたら可愛いものだな」
貝塚が押してきたワゴンには球状の大きな蓋が乗っており、それを持ち上げると中には塊肉が4つ並んでいた。
ただ、表面がハーブの緑色に覆われているせいもあって、どの塊がどの部位なのかは一目では判断できない。
貝塚はフォークとナイフで塊肉をスライスし皿に乗せ、切り分け終わった皿は柿本が順次配膳していく。
フラニスの目の前に厚みのある黒い長方形の皿が置かれた。
皿の上には4種類のステーキが並べられていたが、肉の繊維の並び方などに違いはあるものの、どの部位かを区別するのが難しい。
ステーキ皿の隣にはソースの入った小鉢が4つ並ぶが、流石にこちらの方は中身が一目瞭然だった。
フラニスは肉の説明をするよう命令しようとするが、それに先んじて柿本の説明が始まった。
「左から順に、胸、背中、足の付け根、腹となっています。左側の肉ほど脂が少なく、サッパリとした味です。腹の肉は脂がついていて豚肉に似た味がします」
説明を聞いた上で肉をよく見れば、繊維の質感の違いがなんとなくそれらしく見えてくる。
ただ脂がついているといっても、豚のように分厚い脂の層があるわけではなく、肉に脂が入り込んでいるくらいだ。
フラニスは柿本の説明を聞きながらナイフとフォークを手に取り、肉に手を伸ばそうとする。
そしてそこで、皿がかなり熱いことに気がついた。
手が触れられないほど熱いわけではないが、近づけば間違いなく熱に気がつく温度。
切り分けた肉を冷まさないための細かい配慮だった。
厚みのある皿を選んだのも冷めにくくするためだろう。
よく見れば柿本も断熱用の手袋をつけて配膳をしている。
熱した鉄板ではないのは火が通り過ぎないようにするためだ。
ちょうどよい具合に焼いた肉を熱い鉄板に乗せれば、ジュウジュウという音と共に、あっという間に火が通り過ぎて肉が硬くなってしまう。
肉が薄ければ生肉を鉄板で焼いて調整することも可能だが、それではステーキにした意味がない。
ステーキは肉を焼くだけの単純な料理だが、料理人が一番美味しいと考える火の通し加減に拘るからこそ料理として成り立つのである。
フラニスが胸肉を切り分けると、断面からじんわりと肉汁が浮かび上がる。
最初は何もソースをつけず、そのまま口に放り込んだ。
鶏肉とそっくりで、弾力はあるが脂が少なくサッパリとした味わい。
ハーブと岩塩で十分に味付けされている上、火加減もちょうどよく肉が柔らかくしっとりとしていて、肉の旨味も十分に引き出されている。
ハーブの爽やかな香りが鼻を抜けていくのも、ある種の快感だった。
だが、やはりクセの無さは物足りなさに繋がる。
そこでフラニスはソースに手を伸ばそうとするが、どれを選ぶかで悩み手が止まる。
ソースが4種類用意されているということは、何かしらの意図があるはずだとフラニスは判断した。
実際用意されているソースは、脂がない柚子胡椒から脂たっぷりのニンニクマヨネーズソースと、肉質に合わせたような脂の含有量をしている。
その考えに従うなら、最も脂が少ない胸肉には、最も脂が濃いマヨネーズソースを選ぶのが正解となる。
しかし、貝塚の思惑通りに選ぶというのも、負けたような気がして気に食わない。
そこで、フラニスは2番目に脂が濃いマッシュルームソースに手を伸ばした。
マッシュルームに玉ねぎ、ニンニクを炒め、バターに牛乳、生クリームを加えたソース。
マッシュルームなどの旨味と乳製品のコクを加えた濃厚なクリームソースは、サッパリとした胸肉によく合った。
フラニスが肉を楽しんでいると、柿本がすかさずグラスを置いてワインを注ぐ。
透明な白ワインからリンゴやピスタチオのような香りが広がった。
フラニスが肉を飲み込んだ後に白ワインを一口飲むと、少し強めの酸味と軽やかで爽快な味わいが広がり、肉とソースの後味を綺麗に洗い流してくれた。
このワインなら他の部位やソースにも合うだろう。
だが、肉とソースの味を引き立てるためのワインではない。
それらを完全に消し去るためのワインであり、まさしく肉を食べるためのワインだった。
「こちらは辛口の白ワイン『朝露』です。名前の通り、ライトボディでスッキリとした味と香りが特徴的です。こちらに混ぜた毒薬は心拍数を大きく減少させる効果があります。毒薬はナッツ類から作られたもので特有の香りがありますが、フルーティーな白ワインの香りと合うため違和感はありません」
ワインはその種類やブランド数とは裏腹に、意外と工程が単純な酒である。
ブドウを潰して発酵させ、熟成させ、ろ過すれば完成するため、大昔から各地で飲まれていたのも納得できる。
白ワインや赤ワイン、ロゼワイン、オレンジワインといった種類が存在するが、それらの違いはブドウの果皮と種子を使うかで決まり、基本的な工程は同じである。
それ故に原材料の影響が大きく、産地名が影響力を持つのは風土によって味が大きく左右されるからだった。
白ワインは冷やされることで、酸味が引き締まってシャープな味になる。
一方で冷やしすぎるとワインの香りや味を感じにくくなり、かといって温度が高いと味がぼやけて白ワイン特有のフレッシュ感が失われてしまう。
今回は8度ほどに冷やしてシャープさを強くし、白ワインの酸味が肉やソースに負けないようにしてあった。
代償にワインの香りが若干閉じてしまうが、代わりに毒薬のピスタチオのような香りがそれを補ってくれた。
そのままフラニスはステーキを食べ続ける。
背中の肉は筋が少なく非常に柔らかいため、上品さでいえば間違いなくトップクラスだ。
足の付け根の肉は筋肉が発達しているせいか歯ごたえと味が強く、他の部位に比べて肉を食べている実感が湧いてくる。
腹の肉は確かに他の部位より脂が乗っており、ジューシーさが際立っていた。
そこにソースをどう組み合わせるかが、頭を悩ませる楽しみとなって立ちふさがる。
同じ部位の肉でも、ソースを変えれば味わいが変化する。
同じソースでも、部位を変えれば味わいが変化する。
上品な背中の肉にわさび醤油をかければ、刺激的ながらもサッパリとした味わいを楽しめる。
代わりにニンニクマヨネーズをつけて食べれば、ジャンクフードのような味わいに一転する。
筋肉質な足の付け根の肉に柚子胡椒をつけて食べれば、脂に邪魔されず肉の旨味が十分に味わえる。
一方で、腹の肉の脂に負けないよう、たっぷりと柚子胡椒を乗せて食べるやり方が不味いはずもない。
クセのない鶏肉のような肉質に対し、部位とソースで変化を生み出すという答えを提示した料理だった。
しかし、松永にとっては料理の味よりも、毒の効果と実体験の方が衝撃的だったようだ。
「心拍数が上がったり下がったりするのがはっきりと分かる...。心臓がバクバクと音を立てていたかと思えば、スッと元に戻る。ここまではっきりと効果を体験できるのは恐ろしい。気分が悪くなるわけではないが、逆にそれが歯止めを失いそうだ......」
美味しい料理を食べ、非日常的な体験をする。
どちらかだけならともかく、両方がセットになって襲いかかってくると、人間の体は正常な判断能力を失う。
美しい風景を眺めながら食べる料理はより美味しく感じるように、人間は与えられた刺激に応じて認知機能が変化する生き物だ。
今回の場合でいえば、美味しい料理が非日常的な体験への抵抗感を奪い取っていた。
心拍数の異常な変化は本来危機感を覚えるべきものだが、料理に付随するものだと認識してしまえば危機感を抱けなくなる。
むしろ、異常を楽しむだけの余裕を生み出してしまう。
心臓が酷く波打っているという事象が、逆に面白く感じてしまうのだ。
一度酷く辛い料理を経験してしまうと、後ほど腹痛に悩まされると分かっていても、もっと辛い料理に挑戦心が湧くようになるのに近い。
肉の毒性がそこまで強くないというのも問題に拍車をかけていた。
肉を食べれば食べるほど、それに応じて心臓が強く波打つようになる。
どこまでいけるか。
いつ引き返すか。
その駆け引きの楽しさを覚えてしまえば、もうこの料理から離れることはできない。
松永は自らの体でそれを経験してしまったが故に、この料理の危険性と中毒性を嫌というほど理解してしまっていた。
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