5. 神奈川県三浦市の曼荼羅毒蜥蜴-7
「さて、ここに目的の曼荼羅毒蜥蜴がある。......長いから蜥蜴って呼ぼう」
「帰る途中で捕獲できたのは幸いでしたね」
半魚人たちの街の近く、湧き水が出ている開けた場所に貝塚と柿本がいた。
2人の前には、周囲の木を切って積み上げただけの簡易テーブルがある。
そして、その上には巨大なワニのようなモンスターが置かれていた。
また近くの木に目を向ければ、そこには同じサイズの曼荼羅毒蜥蜴が吊るされている。
曼荼羅毒蜥蜴は全長5メートルほど。
蜥蜴という名前がついているが、口はワニのように大きく、皮膚も分厚く頑丈だった。
コモドオオトカゲとワニをかけ合わせたようなモンスターである。
黒い皮膚を下地にして、黄色や赤、青など様々な色がペイズリー柄の小紋ネクタイのように散りばめられている。
牙や爪、尻尾、皮膚にそれぞれ異なる毒を持っており、まさしく毒という名前に相応しい。
曼荼羅という名前も、精緻で幾何学的な曼荼羅模様のように、色合いや毒が入り乱れたところから名付けられたものだった。
非常にカラフルなので山林の中ではさぞかし目立つかと思いきや、周囲の草や花の色に混じって意外と目立たない。
そのため接近に気がつきにくく、噛まれたり引っかかれたりして毒を受け、そのままなすすべ無くやられる危険があった。
奇襲や集団戦において特に厄介になるタイプのモンスターである。
それ故に、近くに住む半魚人たちからは嫌われていた。
そんな蜥蜴たちだが、不幸にも街に戻る最中の貝塚に発見されてしまう。
残念なことに彼らの直接的な戦闘能力はそれほど高くない。
奇襲に長けた生物が、逆に奇襲を受けた場合に何が起こるか。
抵抗する間もなく、哀れにも狩られてしまったのだった。
「曼荼羅ってどういう意味合いかと思えば、この色合いと毒の豊富さからつけられたんですね。模様も派手目で綺麗ですし、高級和紙や着物に取り入れたら人気になりそう」
そう言いながら柿本は蜥蜴の表面を撫でる。
毒を受けないよう分厚いゴムの手袋をしているが、それでも皮膚の頑丈さは伝わってきた。
針を刺したくらいでは痛みなど全くないだろう。
色彩豊かなこの皮であれば、ワニ皮バッグもどきを作っても良さそうだという考えが頭をよぎる。
しかし、すぐに皮膚にも毒があることを思い出した。
毒性を持ったバッグや財布など、使い勝手が悪いにもほどがある。
そんなものを欲しがるのは頭のおかしい好事家くらいだ。
「今回はろくな装備がない」
貝塚が蜥蜴を眺めながら、大きなため息をついて嘆いた。
「まあ、食材探しがメインじゃないですから...」
柿本が肯定した通り、今回はいつもの調理器具をほとんど持ち込んでいなかった。
木を切って作ったテーブルを使っているのも、いつもの大型の組み立て式テーブルがないからだった。
キャンプ用品の小鍋やナイフなどはあるが、逆に言えばそれ位しかなかった。
仕方なく半魚人の街で包丁などを仕入れてきたが、頑丈なモンスターを捌いたりするにはいささか心許ない。
調理器具を持ち込まなかった理由は単純だ。
今回は調査目的で、かつそれなりに危険な任務であるという説明を受けていた。
つまり、逃げ出す時に邪魔になりそうな荷物は極力減らす必要があったのだ。
持ち込んだ装備のほとんども、治療薬や戦闘用の消耗品である。
「まあ、調理器具があったところで、毒性を持ったモンスター相手にできることは大してないんだけどな。それよりも時間が無いのが痛い」
「そうなんですか?」
貝塚の言葉を聞いて柿本は首を傾げる。
だが、その顔には隠しきれない笑顔が浮かんでいた。
いつものようにボロボロになりながら試行錯誤せずに済む。
そんな希望が芽生えた瞬間だった。
今回は熱いシャワーとフカフカしたベッドが恋しくならずに済みそうだと、柿本は心の中で手を組んでどこかの神に感謝した。
貝塚はそんな柿本の様子には気がつかず、そのまま説明を始めた。
「毒性の除去といっても選択肢はほぼ3つしかない。1つ目は特定の部位を除去する方法。ジャガイモの芽を取り除くと言えば分かりやすいかな」
「毒腺や毒のある箇所を取り除いて、残った部分を食べるってことですね」
毒腺や毒のある箇所。
つまり、毒液が流れる器官や毒性を持った部位を除去すれば、残りは食べられるようになるという理屈である。
毒を持った貝や蛇などを食べる時に用いられる手段であり、最も一般的なやり方として広まっている。
「うむ。2つ目は茹でるか水にさらす。要は毒を水に移して薄めるって話だ」
「芋とかでやる方法ですね。シュウ酸を溜め込んだ毒芋でも、茹でたら食べられるようになりますからね」
「そうだな。こんにゃくだとまた別の話になるんだが、話が横に逸れるので今回は割愛する」
芋などに含まれるシュウ酸は痒みや痛みを誘発する。
ほうれん草も茹でないで食べると、エグみがある上に体内で結石ができる。
これを防ぐため、お湯で茹でてシュウ酸などを抜くという調理が用いられている。
毒と言っても即座に生死に直結するわけではない。
だが、体調不良を起こす成分を除去するのに不可欠な手段であり、野生動物に食べられないよう進化した植物を人間が食べるためには必要な処置だった。
「で、最後の3つ目。油で揚げたりして、高温で加熱する。これは加熱することで毒を分解するというやり方だ」
「山菜を天ぷらにすればエグみが減る。それと同じ方法ですね」
「ただ、このやり方が通用する毒はそんなにない。ボツリヌス菌とかサルモネラ菌を加熱で殺して食中毒を防ぐとか、魚の毒針を無効化するくらいだ」
一部の毒は熱に弱く、加熱することで無毒化することができる。
これは食材のエグみアクといった成分に限らない。
分かりやすいのが細菌毒であり、いわゆる食中毒の原因である。
料理は完成した時から緩やかに腐敗を始め、殺菌されずに残った細菌は繁殖を始める。
体内にそれを取り込めば腹痛や嘔吐、発熱、下痢といった症状を引き起こす。
ボツリヌス菌も加熱には弱いが、一度体内に入れば視覚障害のような神経症状や呼吸難を引き起こし、重症化すれば死亡へと繋がる。
「というわけで、今回はこの3パターンを試す。毒の成分分析をしている時間もないから、これで駄目だと諦めて別のモンスターを探すしかない」
「大まかな毒の性質や症状は街の人たちからヒアリングしましたけど、十分な情報があるとは言えません。食べられそうな部位が少しでもあればといったところですね」
「じゃあ、解体するところから始めるぞ」
そう言って貝塚は蜥蜴を裏返しにする。
露わになった柔らかい腹部に包丁を突き立て―――ようとして手が止まった。
柔軟性がありながらも頑丈な皮膚に包丁が刺さらない。
いつもの包丁なら簡単に切れていただろうが、日用品の包丁ではこのモンスターを切り裂くだけの切れ味は無かった。
仕方なく包丁を何度も滑らせるようにして、皮膚の表面に僅かな切れ目を生み出していく。
そこに包丁を差し込み傾け、今度は皮の内側から切り開くように動かしていった。
硬い鱗に覆われた魚のように、この皮も内側からなら容易に切ることができる。
ザクザクという音を周囲に響かせながら、腹部から喉、手足へと切り進む。
鶏やワニのように白く弾力のある肉が露わになる。
肉自体の脂は少なめだが、皮の方には脂がしっかりと乗っている。
そして、すぐに包丁の切れ味が落ちていくのが分かった。
「こりゃ手間がかかりそうだな...」
貝塚は包丁を柿本に渡し、キャンプ用のナイフに持ち替えて再び解体を始める。
ナイフは大きくないため分厚い皮を切るには不十分だが、細かい部位や骨を切り離すことはできる。
皮と肉の継ぎ目にナイフを当て、文字通り皮をはぐように器用に分離していった。
柿本が貝塚から受け取った包丁には血と脂がベッタリと付いていた。
血には毒があるため、目に入らないよう注意しながらお湯と洗剤で洗い落とす。
そして、硬い部分を切って切れ味が鈍った包丁を、砥石で軽く研ぎ直す。
これで元の切れ味を取り戻すことができた。
だが蜥蜴は全長5メートルほどあるのだ。
この先何度も同じ作業を繰り返すことになるだろう。
貝塚が持つナイフも既に脂まみれでギトギトしている。
こちらもすぐに切れなくなるだろうし、脂で手を滑らせる前に洗浄する必要がある。
「今回は楽ができるかと思いましたけど、これはこれで手間がかかりますね...」
時間制限があるため、いつも以上に手早く作業を進めなければならない。
解体、部位の切り分け、体の構造解析、毒の確認、調理、そして試行錯誤。
既に蜥蜴の体内から発せられた血と内蔵の匂いが辺りに充満していた。
立ち込める悪臭と積み上がる作業を前に、柿本は大きくため息をついた。
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