4. 栃木県日光市の黒瑪瑙鰻-5
翌日、朝霧が薄く立ち込める中。
中禅寺湖に到着した一行の前方およそ20メートルに、全長5メートルほどの巨大な犀のようなモンスターがドスドスと重々しい足音を響かせながら歩いていた。
犀と言っても太く頑丈そうな8本の足で体を支え、顔の周りや腹部を岩の装甲のようなものが覆っている。
人間なら簡単に踏み潰しそうな威容があり、体当たりでもされれば簡単に原型を留めなくなるだろう。
柿本は犀もどきを指しながらニーデンの方を向いた。
「ニーデンさん、あれは何というモンスターですか?」
「このあたりで幅を利かせている岩石犀だ。雑食だからこのあたりのモンスターなら何でも食べるぞ。ああ見えて足も早く、手強いから手を出すのは無しだ」
「黒瑪瑙鰻もですか?」
「そいつも食べる。ゴリゴリと音を立てながらな」
「歯が丈夫なのは良いことですね...」
柿本が呆れていると、犀を眺めていた貝塚が指差して騒ぎ始める。
「おい、あいつ岩食べてるぞ」
「あれはロックタートルだな。岩の塊を背負ってるモンスターだが、岩石犀の目的は岩の部分だけだ。食べ終わったら逃がして貰えるはずだ」
よく見れば岩の下の方には亀のような手足が生えており、逃れようとジタバタと必死にもがいているのが見て取れた。
「雑食なのに偏り過ぎだろ。バランス良く生の部分も食えよ」
貝塚が呆れたように呟くと、柿本が肩をすくめて苦笑した。
その後も岩石犀を眺めていると、岩の部分をガリガリと噛み砕き終えた巨獣は、満足げに鼻息を鳴らしながら去っていった。
背負っていた岩を失い、亀の部分だけになったロックタートルは這々の体で湖へと逃げ込む。
そして湖に入るや否や、双頭のワニのようなモンスターに噛みつかれて水中へと引きずり込まれていった。
「...それにしても暑いな」
貝塚は手で仰ぎながら湖へと近づき、水中を覗き込む。
湖の透明度は低く、底まで見通せない。
「活火山が近いせいか、ここはいつも30度ほどある。代わりに、それ以上熱くなることもほとんどない。湖の水温も25度を下回ることはないな」
ニーデンは背嚢から太い釣り糸と鉤を取り出し、糸の先端に鉤を結びながら答えた。
そして、「この地域に冬はない」と呟く。
水中から泡が立ち昇る場所があることを考えれば、地下から温泉でも湧き出しているのかもしれない。
「目的の鰻はどうやって取るんだ?」
ニーデンは出来上がった仕掛けを貝塚の方に向ける。
「途中で狩ったモンスターの肉を使う。5センチくらいの塊に切った肉をこの仕掛けに通す。同じ仕掛けをいくつか作り、樹木が生えている浅瀬に放り込んで待てば簡単に釣れるだろう」
「じゃあ、俺達は拠点作りを始めるか。仕掛けは任せたぞ」
「任された」
そう言ってニーデンは仕掛けを抱えて水際へと歩みだした。
**********
「で、あっさり釣れたわけですが...」
そう言いながら柿本は携帯用の桶からはみ出ている釣り糸を引き上げる。
その先には60センチほどの黒瑪瑙鰻が引っかかっていたが、持ち上げられたというのに微動だにしない。
濡れて陽光を浴びるその姿は、黒瑪瑙の名に相応しく黒く光り輝いていた。
「見た目はほぼ石の棒ですね…」
分厚いゴム手袋をはめた手で黒瑪瑙鰻を握る。
感触は完全に石だった。
そのまま黒瑪瑙鰻を斜めに傾けても一切曲がらない。
暴れず、折れず、曲がらず。
見た目に対して重量もかなりある。
呼吸をしていなければ、直径10センチほどの黒い石の棒にしか見えなかった。
貝塚は黒瑪瑙鰻をまじまじと眺めた後に思わず呟く。
「凍らせたバナナみたいだ」
「普通に釘とか打てそうですね」
貝塚は吊るされた黒瑪瑙鰻を包丁の背で叩いてみる。
カチンという、石を金属で叩いたような澄んだ音が響いた。
「風鈴の代わりになりそうだな...」
「生臭い風鈴はちょっと...。というか、このモンスターって腐るんですか?」
柿本はニーデンの方を向いて尋ねるが、ニーデンは当たり前のように「普通に腐るぞ」と返す。
貝塚と柿本は互いに顔を見合わせ、目だけで「どうするよこれ」「どうしましょう」と伝え合った。
「とりあえず、解体してみるか...」
そう言いながら貝塚は黒瑪瑙鰻を針から外し、用意したテーブルの上に置く。
包丁の背で黒瑪瑙鰻の各部位を小突いていく。
ナマズのような大きな口を持つ頭部、石の棒のように微動だにしない胴体、そして毒針の生えた尻尾。
全ての箇所から、先程同様にカチンという音が返ってくる。
ただ、長いエラだけは柔らかく、根本のあたりからなんとか切り離すことができた。
頭部と尻尾を切り離すには、先程の鎧騎士のように力技で断ち切るしかないだろう。
その間、別の黒瑪瑙鰻をいじっていた柿本があることに気がついて顔を上げる。
「師匠、皮だけなら柔らかそうですよ」
「おっ、本当か?なら、腹の中心あたりなら切れないかな」
そう言って貝塚は黒瑪瑙鰻の腹部に沿って包丁を動かす。
試行錯誤の末、腹部の中央、最も身が薄い部分であれば包丁が通ることが分かった。
「おおっ!これなら内臓は取り出せるぞ。じゃあ、中を綺麗に洗って、木に吊るして、下にビニールシートを敷いて」
貝塚は分厚いナタを構える。
そして、吊るされた黒瑪瑙鰻の尻尾に向かって振り下ろし、そして返す刀で今度は頭の付け根のあたりを薙ぎ払う。
頭部と尻尾を切り離された黒瑪瑙鰻の胴体がドサリと地面に落ちた。
貝塚は黒瑪瑙鰻の胴体を持ち上げる。
身は皮と同じく艶のある黒色をしている。
断面を眺めながら呟く。
「これは...生でいけるのか?」
鰻は生食が可能な魚類である。
血は有毒で下痢や吐き気などの症状を引き起こすが、成人男性であれば1リットルくらい飲まない限りは死んだりしない。
ただ、目や傷口にかかると炎症を起こす可能性があるので注意が必要である。
加えて、川魚という意味では寄生虫の可能性があるため、本来であれば生食は控えるべきだ。
「とはいえ、何事も確認は必要だな。これで食べられるなら、毒や寄生虫をなんとかすればいいだけの話だし」
そう言って貝塚は黒瑪瑙鰻の胴体を咥えた。
食感は宝石のように硬く、噛むという行為を試す気すら起きない。
ぬめりを十分に落としていないせいか皮に生臭さはあるが、身自体に臭みはない。
肝心の味はといえば、フグのような旨味と脂の甘味が口いっぱいに広がる。
次の瞬間、猛烈な吐き気が込み上げてくる。
顔が青ざめ、額に冷や汗が滲む。
「あっ、これは駄目だ」
貝塚はそう呟いて茂みへと駆け出す。
次の瞬間。
「ゔぉぉぉぉぉぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
貝塚の吐く声が湖にこだまし、近くの木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立った。
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