第10話 人称問題(一人称編)

 小説を書くときは大抵一人称か三人称になると思います。少なくとも私は二人称で語られる作品には出会ったことがありません。


 一人称、つまり主人公の目線で語られる物語はラノベやカクヨムで多く見られる形式だと思います。

 これは地の文に主人公の心情や性格を出しやすいことと、比較的話し言葉で書いても違和感なく進められるからではないかと勝手に思っています。

 読む側としても主人公に感情移入しやすいということもあるのかな。

 ともかく、読みやすい・書きやすいという点で一人称は便利と言えましょう。


 ただ、主人公目線ですから当然他人の思考を地の文には書けませんし、主人公がいない場所の描写もできません。

 どうしても主人公以外の人物の目線で語りたい場合、それとわかるように表現しなければならないと思います。視点(人物)が変わっているのにそうとわからなければ読者が混乱してしまいますから。

 第五話でも少し触れましたが、描写不足で読者に伝わらないというのはよくありません。


 私が目にしたところですと、全体としては一つの物語だけど、エピソード(章)ごとに主人公(語り手)が変わる、という作品。

 登場人物が全員女子高校生で一人称が全員『私』、舞台は学校で、口調に特徴があると言えばあるけれど、似たような話し方のキャラが複数いました。

 エピソードが始まってすぐに自己紹介でもあれば誰の視点かわかるのですが、数十行読み進んだところでやっと友人が出てきて、その友人が語り手の名前を呼んで初めて誰なのかが判明するという構成でした。中には語り手の名前が出てこず、エピソードの終盤になって友人が全員出揃って初めて消去法で語り手が誰かわかった、なんてシーンもありましたね。

 もちろん狙ってそういう演出をしているようではないのです。語り手を隠す理由が明かされる場面はありませんし、本当に失念しているだけという雰囲気でした。

 正直、読んでいて疲れましたし、誰の目線で語られているのかわからず内容が理解できなくて、途中で読むのをやめようかと思いました。

 作者さんは読み返したときにそういうところが気にならなかったんでしょうか? それとも読み返ししていないのでしょうか?

 作者さんの中では誰目線なのかが明白なので気づかなかったのでは、と私は勝手に推測しています。


 一人称で語り手を変えるという手法はわりと昔からあるんですが、それならそれに則した書き方をするべきと思うのです。

 それが読みやすさにつながるなら、徹底しておくべきではないですかね。

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