疾走への応援コメント
選ばれなかった無念、歓声と共に背中で聞く選手達の足音、痛いほど伝わる走るという行為に付随する喜びや辛さや強い想い。
主役になれず舞台にすら立てない切なさが、節度ある姿勢の中に垣間見える瞬間を切り取った素晴らしい短編だと思いました。
勉強になりました。ありがとうございます( ;∀;)
作者からの返信
コメントと評価をありがとうございます。
選ばれない辛さ、怪我などの理由で選手生命を絶たれた辛さ…。目的を持って一所懸命に生きてきた人にはとてつもない絶望を感じるのでしょうね。
表舞台以外でも参加したり、似たような競技を始めたりするのは、諦めきれないだけではなくて心の底から好きだからかもしれないです。
そういう人たちを見ると自然と応援したくなります。共感していただき、ありがとうございます。
勉強になるのはこちらのほうで、色々な作品から書き方・伝え方を学ばせてもらっています。
疾走への応援コメント
コメント失礼致します。
箱根駅伝はテレビで観たことしかありません。
他校を欺あざむくための策略で、走者として発表されたのに当日に選手変更が行われることことって、そういうことあるんですね。
すみません、スポーツは無知なんで。
学生補助員というボランティアの方が映っているのを見たこともありますが、彼らもそうだったんですね。
アスリートの世界、裏舞台もあるのでしょうが今は主人公の気持ちが優先されて複雑な気持ちでいっぱいです。
そんな複雑な人間の心を巧みに表現されていて素敵な作品だと思いました。
作者からの返信
コメントや評価をありがとうございます。
駅伝に限らずですが、相手を欺くための戦略はよくあることみたいです。
そして学生補助員は、大会に出られなかった選手や部員たちが賄います。ボランティア自体は一般募集もしているそうですが。
今年の箱根駅伝で、後ろを走り抜けて行った選手を、思わず振り向いて見ていた学生補助員が映り、本当は走りたかったんだろうなぁという思いからこの話を書いてみました。
実際に走る選手だけが主役ではなくて、策略役や補助員、その他のスタッフも含めて大会が成り立っているのだと、私も改めて感じることができました。
お読みいただき、また拙作をお褒めいただきましてありがとうございました。
疾走への応援コメント
練習を重ねても出れないのはアスリートとしてはとても辛い事でしょう。
ただ、そうした悔しい思いを抱きながら、大会のボランティアに注力する姿勢はとてもすばらしいと思います。
主人公の想いと緊張感が伝わってくるようでした。
拝読させて頂きありがとうございます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
どんな世界にも選ばれない人がいて、悔しさをバネに伸びて行くのが望ましいですね。
一方で、選ばれた人でも期待を背にして、本番で上手くいかない場合もあるでしょう。
同じ道を歩む者同士、切磋琢磨する姿が、カクヨムコン参加者に似てるなぁなんて思ったりもします。拙作をお読みいただき、ありがとうございました。
疾走への応援コメント
天川さんのところから参りました、こんにちは。
箱根駅伝、わたしも好きです~。今年も観ました。
たとえ下位であろうと、あの日あのコースを走れるだけで垂涎の的なのですよね。どれほど多くの学生が箱根を目指して、そして夢やぶれてきたことでしょう。
そして箱根を走ったらもう競技を辞めてしまう多くの若者たち。打ち上げ花火のようです。
だからこそ余計に箱根駅伝に惹かれてしまうのかもしれませんね。
作者からの返信
ご訪問&コメントありがとうございます。
1チームたった10人しか走ることのできない箱根駅伝で、どれだけ涙をのんだ人がいるのでしょうね。ちょうど今は大学入試シーズンですけど、駅伝に限らず「これがやりたい」という思いを持って受験する人もいるのかと想像すると、僅か一握りの枠に入るためにどれだけの苦労や運が必要なのか計り知れません。それでも挑戦する。その姿に見ている側は応援したくなるのでしょう。
疾走への応援コメント
企画紹介から参りました。
小生が頭に描いていた姿が、正に文章化されていました。
イメージの中で、湘南海岸沿いを駆け抜ける姿が目に浮かんだので、平塚から戸塚中継所までの8区は折り返しでも有り最高でした。
「つま先」
お題フェスですよね。
綺麗に作品に収められていました。
背中で聞くって、背中で応援するCMとダブって、クスッとしてしまいました。
余談出すが、今年はメディアが走路妨害するアクシデントを見て、正直不快に感じました。
本作はスマートに雑音として、華麗に処理されていて良かったです。
作者からの返信
コメントや評価をありがとうございます。
「つま先」が物語の中でうまく表現できているのかなと、書き終えた今でも思います。綺麗に収められていたと言っていただき、大変嬉しく感じます。
ちなみにセコムのCM(ネットだけ?)でも「背中で応援」という表現のものがありました。陽の目を見ない仕事ですけど、箱根駅伝に関わる重要なひとりでもあるわけですよね。裏方にスポットを当てた、それが誰かの目に留まり、主役だけでなく全体を応援するようになる。
スポーツに限らず、世の中をそういう視線で見られたらいいなと感じます。
編集済
疾走への応援コメント
企画より参りました。
スポーツの本質は優生思想。
それを改めて痛感させられました。
「裏方」を美化することが誰を利しているのか、誰の口を塞いでいるのか。私は専らそこに関心があります。
冒頭の「当日の選手変更込み」の話など、人間様も狸狐猫の上行くエグい化かしを平気な顔してしはるんやなあ、と変化術を得意とするけだものどもは、開いた口が塞がらないようです。
競いあうより、愛しあおうよ。
反原発デモで見た、一枚の小さなプラカードに書かれた文言です。
お花畑と謗られようが、ひとしく分かち合える世の中がいい。
作者からの返信
涼風賞おめでとうございます。
競技は違っても、選手として活躍する狸さんでも駆け引きの場面にはエグさを感じるんですね。
出場できるかどうかは優劣もありますし、運やタイミングもあるので、諦めずに続けるというのが大事なんじゃないですかねぇ。
疾走への応援コメント
箱根駅伝は、黄色いジャケットを着た補助の学生たちまで含めてドラマがありますよね。彼らは、予選落ちした学校の子たちだと思うと、余計に胸が締め付けられます。
直に会場でみたことはありませんが、最後尾になってくると観客がいなくなるというのは、寂しいですね。走っているランナーたちは襷をつなぐのに必死で走っているのに……。それでも彼らの真摯な気持ちは、届いている人にはちゃんと届いていると信じたいです。
黄色いジャケットを着たみんなも、来年はぜひ夢を叶えてもらいたいですね。
作者からの返信
黄色と白のジャケットを着た人がいると思います。関東学生陸上競技連盟に登録している陸上部や駅伝部のうち、出場校以外の人たちが黄色いジャケットを着て警備をしています。白いジャケットは(大人の)運営の人たちです。
人数が足りないと一般募集もしているみたいですが。
応援はできないんですけど、選手が通り過ぎた時にふっと後姿をチラ見する人が何人かテレビに映っていました。本当は走りたかったんだろうなと考えたら、花形選手よりもスポットを当てたくなりました。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
疾走への応援コメント
おはようございます。
駅伝の裏方はこんな感じなのですね。
お正月のキラキラした朝日と学生たちが集まってがやがやと騒々しい、人々の熱気が伝わってきました。
裏方に徹する主人公の来年に向ける思いと、今の瞬間を無事に成し遂げようとする意欲。
選手たちの駆け抜ける足音と声を上げることのできない心の声が聞こえてくるようでした。
年の初めの清々しさの感じも素敵です。
ありがとうございました(#^^#)
作者からの返信
おはようございます。
見つけるの早いですね ₍ᐡㅇ_ㅇᐡ₎
お題の「つま先」をどう入れようかと悩みまくりました。
駅伝選手のシューズって市販品と違って、音が違うんですよ。ゴムではなく樹脂が入っているみたいで。
つま先で地面を蹴る音、にかけて書いてみました。
いつもありがとうございます。
編集済
疾走への応援コメント
歳を重ねて、私も駅伝の面白さに目覚める年齢になりました。
歳を取ると何故か見るようになる、不思議ですが私もそうなってみていろいろ思うところがあります。
駅伝に限らず、スポーツ選手というのは常に勝負、競争の渦中に身を置かねばなりません。勝ちたい、という意思は皆同じでもその中に自分をおいてみて、明らかに自分に向いている世界では無いということに気づくのも、また勝負の世界独特の心理ではないかと思います。
若い頃の私は、勝てなければ称賛されない、負けたものに価値など無い、悔しかったら勝てばいい、……負けるのが嫌なら、その渦中から抜け出せばいい、と。
そんな考え方しかできなかったのだと思います。
年齡を重ねて、そんな勝負の世界から少し離れた場所から俯瞰して見られるようになり、スポーツ観戦をようやく楽しいものとして捉えられるようになりました。
そして、見えてくるのは────
一人の選手が能力を発揮するために、その陰に何十人もの下積みやサポートメンバーがいるということ。私は野球が好きなのですが、その陰には戦力外を告げられても尚、野球に携わっていたいと、ユニフォームを洗濯する者、球場の売店で店員をするもの、グラウンド整備や客席の清掃に携わるもの、審判として第二の人生を歩むもの……これほど多くの人間が有機的に絡み合って野球という競技を構成している。
私が駅伝で特に好きなのは、給水に駆け寄る部員の姿。
笑顔で駆け寄り、並走し、水を手渡し声をかけて背中を見送る。
彼もまた、勝負に敗れ、それでも競技の世界に関わっていたいと願ったもう一つの姿なのだと。
沿道のボランティアたちも、そのひとつ。
中には、白バイ隊員として箱根を先導するのが夢で警官になったという人の紹介もあったり……。
光を浴びるのは、ほんの一握りの人たち。
でも、その陰には数え切れない人たちの支えと想いが集まっている。
そこにきづけるようになった時、駅伝は……面白いとわかるのかもしれない。
そしてできれば、この世はそんなに捨てたものじゃないと──。
作者からの返信
事細かな解釈とご感想をありがとうございます。
テレビで母校の応援をしていた時にふと目に入った黄色いコートの人たち。
彼らが出場できなかった大学からボランティアで参加していることは以前から知っていたのですが、カメラが追うのは選手ばかり。そのカメラの片隅に、通り過ぎた選手をちらりと見る様子が映ったのです。少し離れた場所にいた他のボランティアも同じように振り向いていました。いずれも出場が叶わなかった選手あるいは部員かもしれません。
その時、どんな気持ちで見ていたのだろうと思ったら急に書き留めたくなったのがこの作品です。
高校野球もそうですけど、限られた期間内でしか出場が叶わない選手にとって、毎日が貴重な時間のはず。一分、一秒でも同じ場所に立っていたいのかもしれません。それが裏方だとしても。そんな思いで書いてみました。
自主企画に参加する機会を頂きまして、ありがとうございました。
疾走への応援コメント
名も無きランナーの落胆と希望が簡潔に、人々の声援に溶けるように描かれていましたね。
希望が見えるラストですが、残酷な話でもありますね。
箱根駅伝に出場できる時間は短く、だからこそのドラマが人を引き付けるのかも知れませんが……。
以前に、日本の長距離ランナーが育ちにくいのは『駅伝』の影響もあるとの談話を聞いたことがあります。
五輪への影響もあるのでしょうが、『駅伝』を選ぶ学生が後を絶たないのは、走る者しか分からない魅力もあるのでしょうね。
作者からの返信
お読みいただき、★までありがとうございます ٩(ˊᗜˋ*)و
「賞賛されるべきは主役だけではない」といった話は、あらゆる世界でも同じなのかもしれません。そこに関わるたくさんの人たちのおかげで、脚光を浴びることができるのですから。
長距離ランナーは、言われてみれば…という感じですね。日本で活躍できても世界では…。ぱっと思いつくのは有森裕子さんと高橋尚子さんくらい?