第3話 奇声

 窓の外が妙に明るい気がして、まぶたを開ける。

 午前二時。

 私は上半身を起こし、窓を開けた。冬の夜だというのに寒さをあまり感じないのは、身体の半分がまだ布団の中にあるからだろうか。満月のように丸い月が見える。どこかぼんやりとした光が枝ばかりになった山桜の木に当たり、道路に陰を描いていた。

 

 何か、動いている。

 

 右側の視界の端に違和感を覚えて、私は目を向ける。小さな黒い物体が、ゆっくりとこちらに向かって近付いていた。


 こんな時間に何だろう。

 私はじっと目を凝らした。


「――子供?」


 幼い子供がパジャマ姿でふらりふらりと歩いている。男の子だ。よく見れば、その後ろには親らしき大人もいた。心細いのか、子供は右手に赤い兎のぬいぐるみを握り締めている。


 こんな時間になぜ外を歩いているのだろう。どうしても気になり、目を離すことが出来ないでいたら、不意に子供が右手を掲げてこちらを見た。


「……え」


 咄嗟とっさに窓の下に身を隠す。数回瞬きをして気持ちを落ち着けようとしたが、上手く出来ない。


 違う。

 ぬいぐるみじゃない。

 あれは血で汚れた本物の兎だ。


 なぜそんなものを持って歩いているのか。大人は何をしているのか。昼間の小学生といい、どうしてあんなものばかりを見なければならないのか。

 

 疑問ばかりが浮かぶ中、ガチャリと玄関の扉が開く音がした。そっと窓から覗くと、父と母、妹の三人が子供と同じく寝間着のままで外へ出る様子が見えた。


 あの人、たかちゃんのお母さんに似てる。


 気が付けば同級生の母親をはじめ、この辺りに住んでいる人々が続々と集まっては合流していた。目的地が一緒なのか、全員同じ方向に向かって歩いているようだ。

 

 これ、何が起きてるの?

 何かヤバいやつっぽいんだけど。


 私は頭の中で物事を整理しようとしたけれど、お腹が空き過ぎてうまく働かない。こんなことになるなら、何か食べておけば良かった。集団の最後尾にいた少女がくるりとこちらを仰ぎ見た。猫の死骸を見詰めていたあの子だ。


『来ちゃダメ』


 唇が動く。


『来ないで』


 少女は私を制するように、胸の前でバツ印を作った。

 それ、どういうことなの。

 尋ねようとしたけれど、少女は背を向けて集団の中に紛れて消えてしまった。


 皆、今から何をしようというのだろう。  

 

 私は上着も羽織らずに一階へ降り、玄関から外へ出た。月明りがやけに白い。スマートフォンのライトで前方を照らしながら、人々の後を追うように早歩きで進む。鳥も鳴かないような時間だ。風に揺れてわずかにれる葉音すらもやけに耳をつく。時折後ろを振り返りながら、周囲の気配を探ることに意識を集中する。


 じゃり。じゃり。


 小石を踏む感触が靴底から伝わる。


 じゃり。じゃり。じゃ。


 わざと止まってみる。


 じゃり。

 

 私のものではない、余分な足音がひとつ。

 誰か。

 誰かが、私の後ろにいる。

 

 ピリリと背中に緊張が走る。外になんて出なければ良かったと、後悔の念が私の中を一気に駆け抜けた。歩みを止めたことで、相手は私が自分の存在に気付いていると思っていることだろう。マズったな、あのまま歩き続けていれば良かった。

 

 何も知らない振りをしてこのまま前に進み続けるか、今この場で対処するか。

 

 しばらく迷った末に、私は相手を照らすようにスマートフォンを構え、ぐるりと後ろを向いた。


「んぎゃっ!!」


 自分の声とは思えない、品のない叫び声が夜道に響く。ライトが照らし出したのは、口の周りや服の首元、てのひらなど、身体のあちらこちらをべったりと赤く染めた男の姿だった。


 何何何。


 思わず手に持っていたスマートフォンを投げつける。眉間の辺りに当たったのか、

「が!」という声と共に男が膝を付いた。


 逃げなくちゃ。


 そう思うものの、足がもつれて上手く言うことを聞かない。私は自分の足を拳で殴りつけて、無理やり動かす。


 何なの。何なのアレ。

 あの赤いの、絶対血だよね。


 もたもたと走りながら、私はまとまらない頭を何とか回転させる。怖い。怖い。

 周囲は田や畑ばかりで、追い付かれた時の逃げ場がない。どこかに隠れられる場所はないかと私は周囲を見渡す。


 あれは、何。


 少し離れた場所に建物の入り口を照らす照明の明かりが見えた。三角形の屋根に長く細い造りの白っぽい巨大な建造物。傍にはいくつものタンクが備えられている。

 養鶏場だ。

 私はぜぇぜぇと息を切らしながら、必死で養鶏場の扉を開けて中に忍び込む。暗さにまだ目が慣れないが、流石に鶏も眠っているのか、中はしんとしていた。

 今日目撃した光景を整理する。


 猫の死骸を「美味しそう」と見ていた少女。

 血にまみれた兎の首を掴んでいた小さな子供。

 口の周りを血に染めた男。


「もしかして、死んだ生き物を食べてる……?」


 頭に浮かんだことを口に出してみる。

 いやでも待って、それって人間なら皆やってることじゃない?


 死んだ牛。

 死んだ豚。

 死んだ鶏。

 死んだ魚。


 植物だって根を張って水と養分を吸い続けている状態を生きていると仮定するなら、土から引き抜けば死に至る。人間が食べるものは、九割方死んだ生き物なのだ。別に彼らがやっていることはおかしなことじゃない。でも、あんな――毛もむしらず、内臓もはみ出したままの姿に食欲を覚えたりなんてしない。


 扉にもたれて、私はその場にしゃがみ込む。

 床に手を付けた瞬間、私は反射的に腕を引いた。

 柔らかいのにがさついた何かが、指先に当たった。脱走した鶏だろうか。でも生きているものの気配は感じられない。

 見ない方がいい。知らないままがいいと、私の中の何かが警告したけれど、私はそれを確かめずにはいられなかった。暗がりの中、私はじっと目を凝らす。


「ぅあっ!」


 暗闇に慣れてきた目が捉えたのは、なたのようなもので落とされた無数の鶏の首だった。いくつもの息絶えた鶏の目がこちらを見ているようで、おぞましい寒気が私の全身を貫いた。


「あぁぁぁ……」


 鶏たちの墓に埋められたような息苦しさを感じて、もがくように立ち上がる。私は養鶏場の扉を開けると、外へ転がり出た。

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