第2話 -1


 次に目が覚めたとき、私は天蓋付きのベッドの中にいた。

 向こう側が透けて見えるレースのカーテン。分厚くて広いマットレス。右を見ても左を見ても枕のスペアがある。そして私が身につけているものは、上下五千円のGUでも、よれよれのスウェットパジャマでもないく、シルクのように柔らかい白いワンピースだった。

 静かで、とにかく白くてふわふわとした空間。

 夢かなと思う。

 今も、さっきのも、全部夢。

 うん。寝直そう。

 もぞもぞと布団に入り直したとき、ドアが開く音がした。私は中途半端に上半身を起こした格好でいて、レース越しの訪問者とばっちり視線が合ってしまう。

「リリィ様!」

 可愛らしい声で叫んで、その人物はまっすぐにこちらへ駆け寄ってきた。容赦なくカーテンが捲られる。

「お目覚めですのね、よかった。お休みの間何度もうなされていらっしゃったので、心配しておりましたの。ご気分はいかがですか?」

 私は瞬きを繰り返す。

 そこにいたのはお人形のように可愛い少女だった。

 白い肌と桃色の頬に、ぱっちりとした青い瞳。ふわふわと波打って柔らかそうなブロンドヘア。白地に小花柄のドレスにはリボンがたくさんついていて、夢のように愛らしい。

「リリィ様?」

「……様?」呟いてやっと気付く。「あれ? 日本語喋ってます?」

「え? ええ、もちろん」

「……もちろん?」

「え、ええ。母国語を話すのは自然なことだと、思うのですけれど」

 母国語、なのか。日本語が。

 いや、人を見かけで判断してはいけない。国籍は顔では決まらない。彼女は日本人なのかもしれない。と、私は回らない頭を必死に働かせる。

 でも、ここ、どこだ。

「まだ、少し、ぼんやりされておいでかしら。でもお顔色は随分よくなられましたわ」

 美少女は慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。なんだろう、背中に羽が見える。私は天国に来ちゃったのかな。

「……あの、あなたは」

 天使ですか? と尋ねるのは堪えた。

「申し遅れました」

 彼女は一歩身を引いた。スカートを持ち上げてちょこんと足を折る、お姫様のようなお辞儀をする。

「わたくしはシャーロットと申します。フリッツの末の娘です。どうぞシャーリーと呼んでくださいませ」

「フリッツ、さん」

 って誰だろう。訝しむ私を見て彼女は言う。

「父は名乗りもしませんでした? まあ。非礼をお詫びいたします。神官服の、髭のおじに会われたでしょう。こういうお腹の。それですわ」

 手振りでまるーいお腹を作ってみせるのですぐに分かった。私にあいらびゅーとか言って喜んでいたあのおじいさん。

 なんだ、と思う。無理に英語で会話しなくても、あの人には日本語が通じていたのかもしれない。喋ってみればよかった。

 しかし天使、実の親をおじだのそれだの、にこにこしながら結構な言い草なので驚いてしまう。おじって叔父や叔父じゃない、火事とか孤児とかと同じイントネーションのやつだ。

「ここは父の屋敷です。父は今朝方中央に発って不在なのですが、数日のうちに戻ると思います。上の兄達も父に同行しましたので、その間はギルバートとわたくしがリリィ様のお世話を申しつかりました。……ギルバートのことは、お分かりになります?」

 分かるも何も。

 硬直した私に何かを察したように、彼女は言う。

「階下におります。リリィ様に謝りたいと申してますわ」

「え」

「リリィ様に嫌われてしまったと、すっかり沈んでおりました。何があったのかは聞かされていないのですけれど、あの父達のことですから、随分強引にあなたをここまでお連れしたのでしょう?」

 その言葉でようやくピースが繋がった。

 はじめに目を覚ました部屋でギルバート氏を罵倒しながらぶっ倒れた私は、意識を失っている間にこの部屋のベッドまで運ばれてきたらしい。なぜ、どうやって、と疑問は止まらないし、知らない間に服を着替えていることにも不安を覚える。

 ここは天国なんかじゃない。

 すべて夢オチの可能性はまだ捨てていないけれど、むしろ95%くらいの気持ちでそうだと信じているけれど。

「ヨシュアは」気が付けば私は尋ねている。「ギルバートさんと、一緒ですか」

「ヨシュア?」

「あの、ひょろっとしてて、髪も目も茶色くて、高校生か大学生くらいの歳の子です。私が空から降ってきたのを、助けてくれたっていう」

 言いながら少し冷静になる。決してヨシュアがそう言ったのではなく、私がそう解釈しただけだ。しかし空から人が降るなんて、どこのラピュタの話だろう。

 案の定シャーリーは目を丸くしていた。

「空から降って来られたのですか」

「や、おかしいですよね、そんな」

「まあ」

 膝から崩れるようにして、床にぺしゃんと座り込んでしまう。せっかくのふんわりスカートが潰れてしまう。急にどうした、大丈夫かと手を差し伸べると、その手を両手で握り込まれた。ガッと、とても力強く。

「それではリリィ様は本当に、本当に、違う世界からやって来られた方なのですね?」

「……え?」

 違う世界。

 国ですらなく、世界、と彼女は言った。

「我が領に神子様を迎えたと父が騒いでいたときは、正直に申し上げてわたくし、半信半疑でしたの。リリィ様はお綺麗な方だとは思いましたが、ずっとお休みになっていたでしょう、父達が勝手にあなたを何かに仕立てあげようとしているのではないかと、恐ろしくて。あの堅物の従兄弟が女性を抱きかかえていたのには、不安とは別のところでわたくしとても驚いてしまったのですけれど、」

「待ってください、あの」

 驚くほど饒舌になったシャーリーだが、私が制するとぴたりと口を噤む。

「聞きたいことが百個くらいあるんですけど」

「どうぞ、なんでもお尋ねくださいませ」

「じゃあ、まず、あの」

 躊躇ってから口を開く。

「……御手洗はどこですか」

 空気を読まない生理現象が恨めしかった。

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