第5話 それぞれの目的

 ゴオオオォォォ──!

 窯を中心に、工場内の温度がグングンと上昇する。木炭による炎の勢いとは、比べ物にならないほどだった。

「す、すげぇ……」

 汗を拭いながら窯を見つめるエリカの目には、真っ赤に燃えたレンの姿が映っていた。窯の中に入り、全身から炎を吹き出すレンは笑顔だった。

「凄いぞレン! これで燃料の確保に時間を割かなくて良くなった。仕事が捗るぞ! ありがとう!」

 オダマキは窯に向かって大声を上げ、感謝を土下座で表現した。レンは久しぶりに頼られることが嬉しく、子どものように分かりやすく照れていた。その照れは、火力をさらに増したのだった。頭上を金属が行き来する状況に初めは戸惑っていたが、それも慣れ始めていた。


 休憩のベルと共に、全員が一斉に手を止めた。エリカは持っていたハンマーを地面に放り投げ、レンがいる窯へと向かった。

「レン! 昼休憩だよ!」

 レンはゆっくりと窯から出て、伸びをした。そして二人は工場の扉を開け、空気の入れ替えを促した。

 二人はオダマキと一緒に、おにぎりを頬張った。三人とも、空腹をいち早く満たそうと必死だった。

「まさか、魔法使いがこの世にいるなんてなぁ」

 オダマキはそう言うと、大きなゲップをした。レンは魔法を見られた際、出たとこ勝負で、その場から逃げようとしていた。アージ村の時と同じ轍を踏むことを恐れたからだ。しかし工場の人々は、魔法を使えることに驚いたものの、レンの敵意の無さと仕事への有用性を即座に察知し、奇怪な生物を快く受け入れたのだった。

 レンは、生まれた場所、そこでの生活、人間界へ降りた後の生活、あらゆることをエリカとオダマキに話し、二人とも興味深そうに聞いていた。レンは、少し前のアージ村と同じ居心地の良さを感じていた。


「ところで、これは何?」

 レンは工場の隅を指差した。そこには、布が被せられた大きな何かがあった。オダマキは、その布を勢いよく引っ張った。目の前に全長四メートル、全幅五メートルほどの超小型飛行機が現れた。外に並んでいるものよりもコンパクト且つ、デザインに派手さはなかった。

「これはオレの親父の遺作だ。一人で気軽に乗れる飛行機を造ろうとしてたんだ。工場の裏に、あと数十台はある」

「誰も乗らないの?」

「ああ。燃料がねぇから飛ばせねぇ」

 オダマキはプロペラに付いた埃を吹いた。原初の小型軽量プロペラ機のようなそれは、軽合金のボディで、白とグレーを混ぜたような、明るくも輝きのない色味をしており、なんとも地味だった。

「俺の双子の兄貴がさ、空を飛びたいっていう夢を持ってて、それで人間界へ降りてきたんだ」

「魔法使いは飛べないの?」

「飛べない。今まで誰も飛んだことがない」

「おいらもまだ飛んだことないんだ」

 エリカとレンの会話を聞いていたオダマキは考えていた。レンの力を使えば飛ばすことができると思ったのだ。

「よし、一日だ。一日待て」

 オダマキはそう言うと、飛行機の内部を調べ始めた。それと同時に休憩の終わりを知らせるベルが鳴った。人が一斉に工場内へと集まり、瞬く間に金属音が響き始めた。

「さぁ、おいらたちも戻ろうか」

 エリカの言葉で、レンは急いで窯の中へと戻り、再び全身から炎を吹き出した。


 翌日、レンとエリカはオダマキに呼ばれて工場の裏手へと向かった。そこには綺麗に磨かれた数十台の飛行機の姿があった。綺麗になっているだけではない、操縦席のやや後部側に、空へと伸びる全幅二十センチメートル、高さ三十センチメートルほどの筒があった。

「徹夜で改良したんだ。改良って言っても、燃料タンクをいじったくらいだが」

 エリカはオダマキの許可を得て操縦席へと乗り込んだ。オダマキの指示通り、運転席に常備してある液体を足元の吸入口から注いだ。

「レン、ちょっとこっちに来い」

 オダマキはそう言うと、レンを胴体の下部へと連れていき、そこにある小さな扉を開けた。

「ここに火球を入れてくれ」

 レンは頷くと、掌から火球を出し、何も見えない暗闇の中へと放り投げた。オダマキは扉を閉め、二人は離れて飛行機を見ていた。

「よし、エリカ! エンジンをかけろ!」

 エリカは、言われた通りエンジンスイッチを押した。グルンという快音と共に、機体が小刻みに震え始め、プロペラが勢いよく回り始めた。そして筒からは、ポーッと勢いよく白い煙が吹き出した。

「動いたよ!」

 エリカは、笑顔でレンとオダマキに向かって叫んだ。レンは間近で見る飛行機に圧倒されていた。オダマキはタバコに火を点け、胸を張った。


「蒸気軽航空機『フェニックス』だ。蒸気の力でプロペラを動かしてる。石炭や木炭だと過重量且つ火力不足だろうが、お前の火力なら動かせるんじゃねぇかと思ってな」

 レンの炎は魔力が燃料だ。それは石炭や木炭といった重量物を必要としないため、機体の軽量化と想像以上の駆動力が見込めるのではないかと考えたのだ。つまりフェニックスは、レンの魔力が尽きるまで、操縦席で水を補給し続けるだけで飛行できる可能性があるということだ。

「でも、本当に飛ぶのか?」

「分からない。あとでオレが試す」

 レンの質問に答えたオダマキは、煙を吐きながら足でタバコを踏みつけた。そして、エリカに降りるよう、ジェスチャーを送った。

 

 しかし、エリカはそれに気がつかず、飛行機を走らせた。

「あのバカ!」

 オダマキは飛行機と並走し、エリカに向かって止めろと叫んだ。

「あれ、どうやって飛ばすんだ?」

 エリカは適当にスイッチをいじくり回したが、飛ぶ気配はない。徐々に増すスピードに恐怖したエリカは、急いでブレーキを掛けた。しかし、数十メートル先に工場が見えており、衝突する可能性が高い。

「あぶねぇ!」

 レンは、ノーズギアとメインギアを炎の矢で撃ち落とした。すると飛行機は胴体で滑り、火花を散らしながら減速した。飛行機に飛び乗ったレンは、操縦席を覆うアクリル窓を蹴破り、エリカを抱えて飛び降りた。

 エリカを降ろすと、レンは工場へと滑っていく飛行機の前に立ちはだかった。炎を纏ったレンは、石火の如く移動していた。向かってくる飛行機は、依然として止まる気配はない。レンは両の掌から火炎を放射した。それは飛行機を包み込み、押し返している。勢いは弱まりつつあったが、レンの炎は、押してくる飛行機によって徐々に短くなっていく。

 

 とうとうレンは、機体に体当たりされ、工場の中へと吹き飛ばされた。身体の左側を窯へ強く打ちつけ、その場に倒れた。丸焦げの飛行機は、工場から一メートルほど離れた位置で静かになった。

「レン!」

 オダマキとエリカは、レンに駆け寄った。レンは左腕を押さえながら、ゆっくりと起き上がった。

「イテテ……」

 左腕から出血していた。オダマキは、工具などが入ったウエストポーチの中から包帯を取り出し、レンの腕に巻いて止血した。

「折れてるかもしれねぇ。急いでリンドウのとこ行くぞ!」

 オダマキはレンを背負い、工場を勢いよく飛び出した。その後をエリカは必死で追いかけた。


「骨折はしていない、大丈夫だ。オダマキ、すまないが包帯と消毒液を買ってきてくれ。それで治療代はチャラだ」

 リンドウは、レンの腕の関節を見ながら言った。レンへの心配と、道中に受けたオダマキの叱責によって、エリカは泣きべそをかきながらレンを見ていた。オダマキはお礼を言うと、エリカを連れて街へと出ていった。

「はぁ。もう来んなと言ったはずなんだが?」

 リンドウは嫌みたらしく言った。レンは膨れた面で無視を決め込んだ。

「まあいい。背中と肩も見るから服脱げ」

 レンは何も言わずその指示に従い、Tシャツを脱いだ。リンドウがレンの身体を調べていると、左腕の三角筋のあたりに飛沫のような傷があることに気がついた。

「お前、この傷……」

「これは今回できた傷じゃねぇぞ。生まれた時からある。兄貴は右肩に同じような傷がある」

 リンドウはレンの話を聞き、慌てて机に積み上がったカルテを漁り始めた。引っ張り出した一枚のカルテに目を通し、レンの方を向いた。


「まさか、アオイさんの子か?」

 レンは驚いた。人間界でアオイの名前を聞くとは思わなかったからだ。しかし、レンは冷静だった。人間ではないということを炙り出すための罠だと疑い、聞こえなかったふりをした。

「そうか、あの時の子だったのか。こんなに大きくなったんだなぁ。いや、二十年近く経っているにしては小柄か。まあ、それはいい。やっぱり、何だか会ったことあるような気がしたんだ」

 レンは、初めてリンドウと出会い、食事をした時のことを思い出した。やたら顔をジロジロと覗き込み、アオイやスイのことを聞いてきた夜のことを。

「あんた、何なんだ?」

「おれは、アオイさんからお前たち兄弟を取り上げた医者だ」

 レンは言葉を失った。リンドウのこの言葉は、レンにとって最も効いた鎮痛剤となった。


 二十年ほど前、お腹の大きなアオイは、ヴァイサイから人間界へ降りてきた後、街の風景と食事を楽しんでいた。泊まった宿では、布団の柔らかさに感動し、どうにか持って帰れないかと一晩中頭を悩ませた。

 人間界へ降りてから三日経った時だった。街を散歩していたアオイは、突然の腹痛に襲われた。立っていることは愚か、座ることも許されないほどの痛みで、アオイはその場に倒れ込んだ。街の人々は、アオイが妊婦であることに気がつき、街で最も大きな病院であるギアー病院へと運んだ。

 痛みを我慢しようと目を閉じていたアオイは、他の何かに意識を集中させようとした。そんなアオイに、数人の医者がコソコソと話す声は、はっきりと聞こえた。

「住民証を持っていない患者らしいぞ」

「手術代、払えるんだろうか」

「かなり若そうだし、怪しいな。私はやらないよ」

 初めて人間に触れたアオイにとって、この状況は耐え難いものだった。ラクウの言っていた人間とは、まるで異なる生物がそこにいたからだ。痛みは心まで広がった。そして、自分と子どもは一体どうなるんだろうという一抹の不安が頭を過った。

「どけ、お前ら。メスより札ばかり握ってるから、いつまで経っても二流なんだ」

 アオイに届いたその声は、とても大きく荒々しかった。その直後、声はしっかりとアオイに向いた。

「お母さん! すぐ子どもに会わせてやるから!」

 その声で、アオイはゆっくりと目を開いた。黒髪で短髪、両耳に銀のピアスをした細身の男の姿があった。陽気なお兄さんと呼ぶのが相応しいような、色々な意味で軽そうなその男は、満面の笑みを浮かべていた。アオイは、それに応えるように笑顔を作った。

「おい、リンドウ! 勝手なことするな、首が飛ぶぞ!」

「うるせぇ! 触んじゃねぇ!」

 リンドウは、肩を掴んできた医者の頬を一発殴り、アオイを連れて行った。


「アオイさん! もう頭が見えてるよ!」

 リンドウの懸命な声かけの中、アオイは痛みと戦っていた。アオイは声にならない声を上げながら、分娩台の手すりを握りしめていた。

「よし、生まれ……。んなっ!」

 リンドウがそう言おうとした時、赤子の右腕に何かがくっ付いているのが見えた。リンドウは、その赤子を取り出しながら異変に気がついた。

「腕同士が癒着してんのか。こいつは双子だ!」

 赤子の腕の癒着部は、黒い塊ができていた。リンドウは二人の赤子を取り出した後、癒着部分を丁寧に切り取った。

 そして、想像していたよりも長かったリンドウとアオイの戦いは、無事に終わりを迎えたのだった。

「あ、ありがとう……」

 アオイは、深呼吸をしながらリンドウにお礼を言った。リンドウは赤子の顔を拭きながら、アオイの方へと近づいた。

「双子の男の子だ。傷は残っちまうが、命に別状はない」

 リンドウは二人の赤子を、アオイの枕元に並べた。

「良かった……」

 右肩に傷のある子はスヤスヤと眠り、左肩に傷のある子は元気に泣いていた。アオイは双子をしっかりと抱きしめた。


「本当だ、本当にアオイだ」

 出産直後に撮ったモノクロ写真をリンドウから受け取ったレンは、アオイが語った人間界へ行った時の話を思い出していた。しかしそれが、人間界で出産をしたことだったとは思いもしなかった。それにシュピゼは、特殊な容器の中で生まれるのが一般的だ。人間のように母胎となったシュピゼは、バショウとアオイだけだろう。

「アオイさんは元気か? アージ村にいるんだろう?」

 レンは、リンドウの質問に何と答えるべきか躊躇した。アオイと接点があるとはいえ、人間ではないということも、ヴァイサイから来たということも知らない。しかしリンドウは、そんなアオイを助け、さらにスイとレンが生まれる際に一役買った人物である。何とも言い難い恩がある。レンはあれこれと考え、素性は明かさないものの、事実は述べることにした。


「死んだよ。俺の父親に殺された」

「──それはアオイさんの夫にって意味だよな?」

 レンは頷いた。リンドウは絶句していた。絶句した理由もすぐに分かった。アオイはリンドウに、配偶者の話をしていたのだ。

「対等にぶつかってくれる相手はお前しかいないと言われた、なんて惚気話を聞かされたよ。それでアオイさんはその人と結婚することを決めたって、嬉しそうに話してた」

 レンは、対等にぶつかるというのは鍛錬のことを言っているのだとすぐに分かった。強い奴と自分の強さにしか興味がないのがブロスだ。しかし、リンドウの話から、アオイはブロスの強さ以外の何かに惹かれていたのだと分かった。

「まさか殺されるなんて……。ああ、そうだ。こんな形でアオイさんの子どもに会うなんて思ってなかったけど、渡さなきゃいけない物がある」

 リンドウはそう言うと、小さな何かを机の引き出しから取り出し、レンに手渡した。

「アオイさんが、大事そうに握ってたんだ。だが、退院の時に落として行ったみたいで。街中アオイさんを探したんだが、見つからなくてな」

「これは……!」

 レンが手渡されたのは、赤い輝きを放つトリンのイヤリングだった。金属のような地味な色合いのトリンの中で、かなり希少な赤い宝石調のトリンだ。ヴァイサイの自然下では見たことがなかったが、レンには見覚えがあった。ブロスの左耳に付いていた物と同じだ。レンとスイは、過去にアオイから、無くしたイヤリングの話を聞いたことがあった。ブロスと出会った時に貰った物だと言っていた。

 レンはそのイヤリングを強く握った。

「リンドウ、遅くなってすまねぇ。包帯と消毒液を買ってきたぞ」

 オダマキとエリカは、部屋の扉を勢いよく開けた。エリカが包帯と消毒液をリンドウに渡すと、レンはベッドから立ち上がった。

「世話になった。ありがとな」

「ああ、元気でな」

 リンドウは、遠ざかるレンの背中を、見えなくなるまで見ていた。


 工場に併設する宿舎。レンは、薄暗い部屋で窓際に座っていた。今日一日で経験したことは、消化するのに相当な時間を要する気がしていた。その気配が、なかなかレンを眠りにつかせなかったのだ。レンはアオイのことを思い出していた。生まれた時からシュピゼとして生きてきたレンにとって、アオイの言動は理解できない点が多かった。しかし、人間界へ降り、アージ村で生活し、そしてアオイの過去を知っていく中で、レンは人間を知った。その結果、シュピゼとして誇りを持って生きてきたことに、嫌悪感そして羞恥心さえ覚えるようになっていた。

 さらに、ブロスに対する心境にも大きな変化があった。当初は、王になったブロスから王位を奪う、強さの証明的な存在として位置づけていた。今は違う、シュピゼとしてではなく、人間としての感情をブロスに対して抱いていた。アオイの気持ちを無下にしたブロスが、とても憎かった。

「ブロスを……コロス……」

 レンの拳は黒炎に包まれ、その手を開くと、そこには消し炭となったトリンのイヤリングがあった。


「まさか、そんな……」

 ホテイは泣き崩れた。スイは、アオイが夫であるブロスに殺されたこと、スイとレンがアオイの息子であること、全てをホテイとヨージに話した。

「なんて世界なんだ……」

 ヨージは強く拳を握った。ヨージもホテイもそれを聞いた上で、スイとレンには、人間界で暮らし続けてほしいという想いが強くなった。人間として生きなければ、やがて二人が殺し合ってしまうのではないかという不安があったからだ。王位を奪い合うだけの種族として生きることは、そういうことなのだとすぐに理解した。

 ライトは、きょとんとした顔でホテイの涙を拭い、膝枕に寝転んだ。そんなライトを、ホテイは優しく撫でた。ライトはあの時のアオイと同い年くらいだ。魔法が使えるライトは間違いなくシュピゼであり、戦闘に目覚め、強さを追い求めるようになる可能性もある。さらに、海に触れればアオイと同じくヴァイサイへ送られてしまう。ライトはその名の通り、雷光の如く活発で、瞬きをするといなくなっているような子だ。ホテイは、ライトの雷光以上に目を光らせ、そして目にかけなければならないと思った。それはスイとレンに対しても同じだ。アオイの息子たちが、ホテイを訪れたことは奇跡としか言いようがない。アオイの形見を守れるのは、自分だけだという責任感と愛情を、より一層持ったのだった。

「レンは無事だろうか……」

 ヨージは、テントの中から真っ暗闇の森を見つめて言った。虫の大合唱が聞こえるが、どこで行われているコンサートなのか、さっぱり分からない。焚き火のあった位置に、今は電灯がある。焚き火と比較すると明るさと安全性は段違いだが、色合いとゆらめきによる温かな安心感は、失われてしまったような気がした。


「ホテイ、ヨージ。明日マージ街へ行ってみるよ。おれたち本当はそこへ行く予定だったんだ。もしかしたらレンはそこへ……」

 ホテイには、その言葉が何だか永遠の別れのように聞こえ、そして胸がざわついた。いつの間にか寝てしまったライトに布団を掛け、スイに尋ねた。

「あなたたちは、どうしたいの?」

 ホテイのこの言葉は、自分でも正しい言葉なのか、はっきりしていなかった。ただこの言葉しか出てこなかった。母が殺されたこと、危険を承知で二人で人間界へ降りてきたこと、実際に人間と生活してきたこと、あらゆる経験を考慮し、且つ叔母としての親切心と心配を、彼らへ向けた結果だった。

「おれは空を飛びたくて降りてきたんだ。だから飛行機に乗りたい。飛行機に乗ってレンと世界を旅したい。レンは何て言うか分からないけど」

 ホテイは、スイが人間として生きようとしていることに胸を撫でおろした。世界を旅したいということは、いずれここから離れていくということだ。それは寂しく思ったものの、成長する子どもが独り立ちすることは当たり前であり、喜ばしいことなのだと納得した。


 空が微かに明るくなり、鳥の挨拶が聞こえ始めたが、アージ村はまだ静けさに包まれていた。

「気をつけてな」

 ヨージは、布に包んだ肉の詰め合わせと米、少しばかりの硬貨をスイに手渡した。

「いま発てば、夜には着くだろう。これで宿にでも泊まって明日から動くといい」

「ありがとう。ごめんね、洗濯とか大変だろうけど」

「気にすんな。井戸も復旧してるし、問題ない」

 ヨージはスイの背中を叩いた。その力は、背中が熱くなるほど強かった。

「レンと二人で、無事に帰ってくるのよ?」

 スヤスヤと眠るライトを抱え、ホテイは言った。スイは頷き、ライトの頭をすうっと撫でた。


 ヨージとホテイは、森へと入っていくスイの背中を見つめていた。二人は、今この瞬間が子どもの独り立ちの時のような気がしていた。しかし、嬉しさや達成感はなく、少し胸がキュッとした。


「道は単純だった。舗装された道が見えるまで真っ直ぐだって、ヨージが言ってたっけ」

 スイは、足元に咲く花や虫、鳥を眺めながら歩いた。視界に入るもの全てを楽しんでいたスイは、長時間歩き続けることを苦痛に感じてはいなかった。子どものような無邪気さで生活してきたスイにとって、あらゆる物事が楽しく思えていた。そのおかげで、あっという間に日が暮れ、マージ街まであと少しというところまできていた。舗装された道はまだ見えてはこなかったが、森の終わりが見え始めた。木の隙間から、キラキラと光る景色がちらつき、スイはその方向を目指した。


 そこは海だった。スイの視界いっぱいに、海が広がっていた。沈む夕日に照らされた水面は、赤橙と黒が交互に訪れ、それはまさに全てを飲み込んでいく溶岩のようであった。

「すごい……。間近で見たのは初めてだ」

 スイは細心の注意を払いながら砂浜を歩いた。実際に人間界とヴァイサイを行き来した経験がないスイは、どの程度海へ入ったら消えてしまうのか、想像もつかなかった。だから、スイの興味を大変そそったのだが、うっかりヴァイサイへ行ってしまうのは問題だ。スイは好奇心をぐっと抑え込んだ。

「あ、飛行機だ!」

 水平線に沿って、スイの視界の左から右へ、数台の飛行機が通った。恐らく他国のものであると、ビー玉ほどの大きさから予想できた。

「いいなぁ」

 スイが流木に腰掛けていると、再び数台の飛行機が通った。左右を行き交う飛行機の姿は、その後何度か見られた。


 スイはハッとした。辺りを見渡すと、暗闇に包まれ、波の音以外何も聞こえなかった。

「しまった、寝てしまったのか!」

 スイは、ホテイにもらったレザーのショルダーバッグから小瓶を取り出した。小瓶には、ライトの魔法で作った電気玉が入っていた。持続時間は魔力に依存し、ライトの魔力では約二十四時間ほど明るい状態を維持できた。

「明日の朝までは保つだろう」

 スイは、朝まで野宿をすることにした。ライトの電気のおかげで、瓶を置いた足先まではよく見えた。しかし、そこから先は暗闇で何も見えない。視界は不安なほど奪われてしまったが、変わらない波音だけは安心感を与えてくれた。スイは鹿肉を頬張り、改めて眠りについたのだった。

 

 スイは波の音で目を覚ました。目を開くと、雲ひとつない真っ青な空がそこにはあった。ゆっくり起き上がり、足元に目をやると、空と同じくらい真っ青な波が、空き瓶を攫っていった。

「ギィャァァァァ! 危なーい!」

 波はスイの足すれすれまで来ていた。スイは慌てて立ち上がり、腰掛けていた流木よりも後ろに下がった。その流木も、あっという間に海に浸かった。

「昨日より波が迫ってきてる。何でだ? まあいいか……」

 スイは掌から出した水で顔を洗い、米と猪肉を食べた後、舗装された道を探して歩き始めた。

 

 舗装された道を一時間ほど歩いていると、マージ街の外壁が見える位置まで来た。

「よし、あと少しだ」

 スイは深呼吸をして歩き出した。街に近づくと、民家がちらほらと道沿いに見え始めた。それらは、今にも崩れそうな状態の空き家だった。スイは、ホテイからマージ街の歴史を以前に聞いたことがあった。マージ街やアージ村は、ピック大陸上に存在し、他にも複数の国が存在している。中でもマージ街は、ピック大陸で最も大きな国だ。しかし、他国に敗戦した過去があり、今は全盛期よりも国の規模を縮小したらしい。恐らく、ここらの民家は敗戦の跡だ。住民は、縮小したマージ街へ引っ越したか、他国へ移り住んでいるかのどちらかなのだろう。

 スイが人間の歴史を感じながら歩いていると、声をかけられた。

「お兄さん。ちょっと手を貸してくれないかい?」

 声のする方を向くと、腰を曲げたおばあさんが立っていた。おばあさんが指差す先を見ると、屋根に四畳ほどの大きさの汚れた布が被さっていた。どうやらどこからか飛ばされてきたものらしく、煙突が覆われてしまい、困っていたのだとか。スイは軽快な身のこなしで屋根へと登り、布を落とした。

「ありがとうね。服と体が汚れてしまったね、どうぞ洗ってください」

 おばあさんはスイを家へ招き、釜の風呂を沸かした。その間に洗濯までしてくれたのだった。

「おばあさんは一人で暮らしているの?」

「そうよ。じいさんを戦争で亡くしてからだから、もう何十年も一人だね」

「おばあさんの名前は?」

「ええっと。あら、何だったかしら」

 おばあさんは、マージ街の訪問医の世話になっており、医療と食料の援助によって生活していた。スイの名前を覚えられないだけでなく、自分の名前も思い出せないほどの認知症を患いながらも、一人で懸命に生きていた。ただ、家事全般の動きは計算されているようなスムーズさであり、また、戦時下のことを流暢に話した。

「お医者さん、今日はずいぶん遅いわね」

 いつもはお昼ごろに医者が訪れるらしいのだが、この日は十四時を回っても戸を叩く音はなかった。スイは先を急ぎたかったが、おばあさんを一人にすることが心苦しくなり、道中に獲ったウサギの肉を分け、二人で食べた。それに、洗濯した服を乾かすには、まだ時間が必要なようだった。


「そう、お兄さんは飛行機に乗りたいのね。マージ街には飛行場があるから、行ってみるといいわ」

 おばあさんは、スイに対して何の警戒心もなかった。スイの素性を詮索することもなく、ただ会話を楽しんでいるように見えた。ヴァイサイでの生活は、ただ鍛錬をする生活ではあったが、そこには誰かがいた。そしてアージ村での生活は、常に誰かと支え合っていた。そんなスイにとって、孤独に生きる生物を見たのは初めてだった。

 このおばあさんは、医者と会っている時間以外はひとりだ。何十年もその生活を続けている。

 スイは、人間という生物の強さと弱さを同時に知った気がした。おばあさんの話は、おじいさんの話がほとんどだった。それは寂しさからくるものだということが、人間界で暮らしてきた経験から分かった。おばあさんは、おじいさんを失った悲しみに耐えながら生きている。そんなおばあさんにとって、訪問医は多くの意味で支えになっていた。誰かに燃料を入れてもらえるから、ひとりで立てる。

 人間は硬いが、脆いのだ。


「ただ、飛行機に乗っても、死なないでね」

 おばあさんの話の中で出てきたこの言葉が、スイの胸を刺した。何故だろう、飛行機に乗ることは素晴らしいことだと思っていた。人間にとっても空を飛ぶという夢は、崇高なものであると、アオイもヨージも言っていた。しかし、このおばあさんはとても悲しそうだった。その理由はすぐに分かった。

 おじいさんは、戦争で飛行機に乗っていたのだ。そして敵機の追撃に遭い、帰らぬ人となった。

 飛行機に乗るということは、ただ空を飛ぶことができることと同義ではなかった。人を殺す、国を滅ぼす、兵器としての側面を持っているということをスイは知った。おばあさんの言葉は、おじいさんと同じ道を歩んでほしくないという憂いからくるものだったのだ。

 スイは誓った。誰かを傷つけるような真似は絶対にしないと。そして、実際に飛行機に触れる前に、おばあさんと会えたことは、巡り合わせなのだと思った。

 スイは、おばあさんの手伝いをして過ごした。結局、この日医者が家を訪れることはなかった。スイはおばあさんの家で一泊し、街へ行くことにした。


 スイは、おばあさんよりも早くに目が覚めた。隣でスースーと寝息を立てているおばあさんを起こさないように静かに起きたスイは、テーブルの上に宿代を置き、外に出た。街はとっくに活動しているようで、元気に煙を立ち上らせていた。ふと、汚れたあの布を畳んでおいた庭の方を見たが、布もまた活動的なようで、どこかへと飛び去っていた。

 街の西門に差し掛かった時、白髪混じりの黒髪短髪の男とすれ違った。スイは何となく、軽く会釈をした。するとその男もまた軽く会釈をし、どこかへと走って行ったのだった。


 街へと入ったスイは、街中の人に声をかけて回り、レンを探した。有力な情報はなく、ただただ時間が過ぎていくばかりだった。

「ここは、入っていいのかな」

 街の中央に、一際大きな建造物があった。あまりにも大きく、家ではなく建造物と呼ぶのが適当だった。入り口付近には、黒の制服と軍帽を身に纏い、剣と銃を所持した男が立っている。そこはマージ街を治める王宮だった。扉に着くまでに何段もの階段があり、人間界の王というのは、さぞ足腰が強靭なのだろうとスイは思ったのだった。数段上がったところで、二人の人間が階段を降りてくることに気がついた。黒装束を着た二人の顔は、よく見えなかったが、体格差のある二人だった。そして階段を上り、扉に近づくと、近衛兵の会話が聞こえてきた。

「──ンの後を──命──」

 スイはその会話に反応した。反応せざるを得ない言葉が聞こえたからだ。

「今、レンって言った?」

 スイは近衛兵に声をかけた。近衛兵はスイを一瞬睨みつけて構えたものの、すぐに直り、口を開いた

「ああ、お前はレンの知り合いか?」

「兄弟だ」

 二人の近衛兵は、顔を見合わせた。すると先ほどよりも少し声を張って話し始めた。

「たった今、レンという子の捜索依頼が入った。自国へ帰って王を討つ旨の置き手紙が部屋にあったそうだ。レンの身が危険だということで、至急動いてくれと」

 スイは動揺した。レンがヴァイサイの王になるという夢を、とっくに捨てたと思っていたからだ。レンがまだシュピゼだということに、驚きを隠せなかった。

「君らの国はどこにあるんだ?」

 慌てるスイの肩をがっしりと抑え、近衛兵はスイに質問した。スイは言葉をつんのめらせながら答えた。

「雲の上!」

 スイはその言葉を残し、長い階段を転がるように降りて行ったのだった。


 スイは急いで門を飛び出し、海を目指した。道中、目線の左側には飛行場、そして大量の飛行機が並んでいたが、スイは目もくれずに走った。この時のスイは無意識で気がついていなかったが、水魔法で作り出した波に乗って移動していた。その甲斐あって、あっという間に海に到達した。

 崖から三メートルほど下に広がる海を目の前にしたスイは、この方法が正しいのか、本当に帰ることができるのか、あらゆることが定かではなかったが、意を決して海へと飛び込んだ。

「ドボン! ボコボコ……」

 水飛沫の音は、泡の音と共にゆっくりと消えていった。スイは目を閉じていたが、ゆっくりと水中で目を開けた。すると、視界は真っ白な世界に包まれていったのだった。


 一昨日の早朝。スイを見送ったヨージとホテイは、早めの朝食を摂ることにした。ヨージのテント前で、二人は焼きたての鹿肉を齧りながら話していた。話題はやはり、スイとレンについてだった。

「心配ね。夜までに着けるかしら」

「大丈夫だ。スイは賢いし堅実な奴だ。それに水魔法も使える。身を守れる術は持ってるし、心配することはない」

「まあ、そうよね。冷静に考えたら、スイもレンも人間離れした力を持っているのよね」

 ホテイは、彼らの能力に助けられてきたものの、無意識に人間として接していた。その所為なのだろう、過保護な自分に気がついた。そうだ、彼らは大丈夫、根はシュピゼなのだから。ホテイは自分にそう言い聞かせていた。二人はスイのことを気にかけながら、一日を過ごした。


「どうしたの? 二人とも早いね」

 翌日の早朝、結局心配で早起きをしたアオイとヨージが話をしていると、ヨージの向かいのテントがファサッと動き、眼鏡をかけながらのっそりとドイが出てきた。

「お前こそ。まだ狩猟に行く時間じゃないぞ。まさか、お前また罠を荒らしにいくんじゃないだろうな!」

「失敬な! もうそんなことしないよ!」

 あたふたするドイに、ヨージは詰め寄った。ホテイは水を一口飲み、口を開いた。

「スイがレンを探しにマージ街へ行ったの。それで心配してたのよ」

「ドイはスイと一緒にいることが多かったろ? お前も大丈夫だと思うよな?」

 ドイはヨージの問いに、すぐには答えなかった。少し考えてドイは質問を返した。

「マージ街へ行くだけなら問題ないだろうね。ところで、レンを探す手立ては教えてあげたのかい? あの街で住民証を持たないスイができることなんて、食べ物を買うか宿に泊まるくらいなものだろう」

 アオイとヨージは、顔を見合わせて言葉を失っていた。それは、うっかりしていたという胸中を如実に表していた。ドイは察して、すぐに続けた。

「はぁ、まったく。ホテイはマージ街の出身だろう? なのにそれに気がつかないなんて。外部の人間は、入国許可がなければ働けないし、病院にも行けないし、捜索願を出すこともできない」

「でも、誰も住民証なんて持ってないし……」

 ホテイがそう言いかけた時、ドイは待ってましたというような満面の笑みで割って入った。

「これが使える! 許可証だ。まあ偽造品だけどね」

 ドイはズボンのポケットから、紙切れを取り出した。ホテイとヨージはその紙切れに、崇めるような視線をやった。

「でかしたぞ! だが、お前が何でこれを持っているんだ?」

「街で闇医者をしてた時に、外部の無法者から巻き上げたんだ。こんな危ない仕事、長くは続けられないと思ったから、街を追い出されても生きていけるようにってね」

「あなた、本当に狡猾ね。でもこれで何とかなりそうね!」

 しかし、喜ぶホテイとヨージに、ドイは更なる試練を与えた。

「でも、これをどうやってスイに届ける? わたしは走るのはごめんだよ」

「確かにな……。スイを追いかけるのは至難の業だ。普通の人間は、村から街まで一日中歩いても着かないぞ」

 三人は、振り出しに戻されてしまった。スイが今日から捜索を始めると考えると、遅くとも明日の昼までにマージ街へ着いていなければ、スイがどこでレンを探しているのか、皆目見当もつかなくなってしまう。とても間に合いそうにない。スイに許可証を渡しに行ける人間、そんなことが可能な人間は、アージ村にはいなかった。


「ぼくが行くよ」

 眠そうな力のない声を出したのは、ホテイの膝枕で寝ていたライトだ。ライトはむくりと起き上がり、目を擦っていた。

「確かにライトなら、何とかなるかもしれないね」

「そうか、その手があったか!」

 ドイとヨージは、声を大きくした。まさに光明を見出した、そう思っていた。

「どこが妙案なのよ!」

 ホテイは、ドイとヨージよりも大きな声を発した。二人は驚いてすぐに黙った。ホテイは鬼のような形相で二人を睨みつけた。

「馬鹿なこと言わないで! 三歳の子をひとり、森に放り出せっていうの? そんなの了承する親がいる訳ないじゃない!」

 ドイとヨージは、ぐうの音も出なかった。二人とも何も言わずにシュンとしていた。

「ライト、いつも狩猟に出てるかもしれないけど、森はとても危険なの。三歳の子がひとりで入るなんてこと、普通はしないわ」

「でもぼくは普通じゃないよ。魔法が使えるし、動ける。大人よりも強いよ」

「屁理屈はいいわ! とにかく危ないから駄目!」

 ホテイは徐々に声を荒げていった。危険な森と知りながら、幼少の息子を、どうぞ行ってらっしゃいと送り出すことができるだろうか。できるはずがない、人間の所業ではない。ドイとヨージは、ホテイの心境がジワジワと伝わり、自分が行く、自分が何とかする、そう言おうと機会を伺っていた。

「お兄ちゃんたちも、みんな困ってるんだ。できる人がやらなきゃ。ぼくは大丈夫だよ」

 ライトは必死に説得するが、ホテイは聞く耳を持たなかった。

「とにかく駄目なものは駄目!」

 ホテイはそう言って立ち上がり、自分のテントへと帰っていった。ドイとヨージとライトの三人は、その場でホテイの背中をただ見ていた。

「どうしよう、ホテイを怒らせちゃったよ」

「まあ怒るのも無理ないよなぁ。三歳の子にこんな重労働を押し付けるなんてよ。一瞬でも舞い上がっちまったことを恥ずかしく思う」

「大人なのに何もできなくて不甲斐ないよ」

 ドイとヨージが情けなさを吐露していると、ライトは二人の背中を押すように言った。

「全然ダメなんかじゃないよ。二人ともお兄ちゃんたちを助けようとしてる。ぼく、お母さんとまた話してみる。ダメでも勝手に行くよ。その時は、ぼくの代わりにお母さんを守ってね」

 ドイとヨージは、ぎょっとした。どう考えても、三歳児から出てくる言葉ではなかったからだ。

「お、おう……。いやしかし、何遍言おうがホテイが納得するとは思えないが」

「それに、明日の昼までに着かないといけないとなると、説得している暇はないかもしれない……」

 ライトは、二人の話を聞きながら猪肉を齧り始めた。お腹が空くと、何時でもその場で食事を始めてしまうのは、やはり人間の子どもと変わらないという目で、二人はライトを見ていた。


 すると、ライトの体表を電気の膜が覆い始めた。黄色いオーラを纏ったライトは、立ち上がって指を差した。

「あっちだ。あっちの方からスイ兄ちゃんの魔力を感じる」

 ヨージは驚いていた。ライトが指差す先は、スイを見送った方向だったからだ。

「分かるのか? 確かに、スイも魔力を感知できるって言ってたが、距離があると無理だと……」

「電波的なものをキャッチしているのかな? ライトだからこそできる芸当なのかもしれないね」

 ドイは顎を触りながら冷静に答えた。

「スイ兄ちゃんから少し離れたところにいっぱい人がいる。これが街かな? この距離ならすぐ着きそう!」

 ライトが笑顔でそう言った瞬間、黄色いオーラは消え、スイの魔力とマージ街を感知できなくなってしまった。

「どうやら一時的なものらしいな」

「いつもご飯食べた後、こうなるんだ。しかもこの後……」

 ライトの話の途中、ホテイの大声が村中を包み込んだ。

「狩猟の時間だ! マタギはさっさと準備しな!」

 村の男衆は、合図と共にせっせと猟銃やら手斧やらを担ぎ、森へと入っていった。

「もうこんな時間か! どうする? 無断でライトを行かせるか?」

「それはまずいよ! わたしたちが行かせたと知ったら、村から追い出されてしまうよ!」

 ドイとヨージは、テントへ戻るか話を続けるか、あたふたとしていた。ライトは二人の間に入って言った。

「今日は行かない。明日の朝出れば、お昼には着くから大丈夫。狩りに行こ」

 ライトはそのまま走っていってしまった。ドイとヨージは、ライトの言葉をすぐに理解できずに固まってしまった。

「朝に出て……昼……? 嘘だろ……?」

 固まる二人だったが、村の慌ただしい空気ですぐに我に返り、猟銃を取りにテントへと走った。


 その日の日暮。狩猟を終えたマタギが各々のテントへ戻っていく中、ライトはドイとヨージのテントを訪れた。

「二人とも、一緒にお母さんのところへ来てくれない? ひとりだと怖いから」

 ドイとヨージは頷いたものの、気乗りはしなかった。ホテイは間違いなく、大人の二人が唆したと怒るに決まっている。誰が好んで死刑台に登るような真似をするだろうか。しかし、子どもの願いだ。しかも、人助けをしようとしている健気な子の願い。それを断れるほど腐ってはいない。二人は、気合いを入れるように鼻から息を吐き、死刑台へ登ることを決意したのだった。


「ねえ、お母さん。やっぱりぼくは行くよ。お兄ちゃんたちが帰ってくるには、ぼくが街へ行くしかないんだ」

 ホテイのテントの中、ライトは洗濯物を畳んでいるホテイに言った。ドイとヨージは、ライトの後ろに正座で控え、まるで将軍に仕える家臣のようであった。

 ドイとヨージの二人は、策略のない真っ直ぐな言葉をぶつけるライトを見た後、ちらっとホテイの方を見た。同じ言葉が通用するはずがない。子どもの説得というものが大人に通用しないのは、言葉や手段を変えることなく、何度も同じ手を使うからだ。二人は怒号が飛んでくることを覚悟するように、身に力を入れた。


「──もう。何なのよ、シュピゼって」

 ホテイは、洗濯物を畳む手を止めて呟いた。そして、ライトの目の前に座り、呆れた様子で言った。

「母が言っていたけど、シュピゼはプライドが高くて聞かん坊が多いらしいわ。まったく、あなたもその血を継いでしまったせいで、手がかかるったらありゃしない。レンもそう、勝手に出ていって。スイだって飛行機に気を取られて帰ってこないかもしれないし」

 ライトはホテイの目をしっかりと見つめていた。ヨージは武士の如く不動で、ドイは欠伸を我慢していた。

「分かった、行きなさい。あの二人を連れて帰ってこられるのは、多分あなただけだから」

 ライトとドイとヨージは、顔を見合わせて喜んだ。

「ただし、夜までには必ず帰ってくること。あと、知らない人に付いて行かないこと。あと──」

 その後ホテイは、禁止事項を何十個と挙げていたが、三人は全く聞いていなかった。


 明朝、ライトとヨージは、ドイを起こしにテントへとやってきた。

「おはようドイ。もう行くから紙切れちょうだい」

「ん……ええ、もう朝かい?」

 寝ぼけながらテントから出てきたドイは、ライトに許可証を手渡した。

「ありがとう」

 三人が森の入り口まで歩いていくと、ホテイが待っていた。不安からなのだろう、ホテイの顔は曇っていた。

「本当に行くのね。大丈夫よね。あなたはまだ三歳なのよ?」

「そうだよな。なんか不安になってきた。無事に帰ってこいよ、絶対だぞ?」

「わたしの医療キットを持って行きなさい。まあ、使わないことを祈っているけどね」

 ドイは、医療キットをレザーの小さなリュックサックに入れた。肉と水、医療キットが入ったパンパンなリュックサックを背負ったライトは、勇ましい顔をして言った。


「じゃ、行ってきます」

 ライトは三人に見送られながら、森の中へと入っていった。その背中はすぐに見えなくなった。

 ホテイは緊張のあまり、その場に座り込んでしまった。ドイとヨージは、左右からホテイの肩をそっと抱いた。

「あの子たちが無事に帰ってくるまで、気が気じゃないわ」

 ドイとヨージにも緊張が走った。ホテイの肩が震えていたからだ。ホテイの悲しみは計り知れない。ホテイの下から離れていくシュピゼは、これで四人目だ。そしてその全員が家族だ。アオイは亡くなり、レンも無事なのかどうか分からない。どう考えても、冷静でいられるはずがなかった。ドイもヨージも、ホテイにかける言葉を必死で探したが、気の利いた言葉は見つからなかった。

「おーい!」

 遠くからライトが走って戻ってきた。三人は目を丸くした。

「忘れてた」

 ライトはそう言うと、両腕を高く天に伸ばした。

 ゴロゴロ……バチバチバチ!

 ライトの両手から放出された雷は、ドーム上に村を覆った。見上げると、薄らと黄色い膜が張られているのが分かる。

「スイ兄ちゃんが防御魔法を教えてくれたんだ。これで明日までは安心だと思う。ドイとヨージは、お母さんのことしっかり守ってね。じゃ!」

 そう言って魔力を使ったライトは、ムシャムシャと肉を貪り、また走っていった。

 一瞬の出来事に、三人は目をぱちくりさせていた。しばらくして、ホテイの肩が再び震え始めた。

「わっはっはっは! 私の息子はなんて強いんでしょう!」

 ホテイは大声で笑った。ドイは、唐突な肝っ玉母ちゃんの咆哮に、ビクッとした。ヨージもホテイにつられて大笑いしていた。ドイは、馬鹿馬鹿しいと言う具合に首を傾げ、クスクスと笑っていた。

「よし、息子が頑張っているんだ。私らも仕事に取りかかろうか!」

 ホテイがドイとヨージの背中を強く叩いた。

「おう!」

 二人は力強い低音で、そう答えたのだった。


 ライトは、雷光の如く森を駆け抜けていた。動物たちは、ライトの姿を捉えることができていなかった。

「シシシ! 楽しいなぁ!」

 ライトは穏やかに笑いながら、真っ直ぐ走った。狩猟ではヨージの目の届く範囲でしか動けなかったこともあり、広い森を自由に駆け回れることが至福であった。しかし、幼児という未熟なシュピゼだからなのか、魔力の消費はかなり大きく、数十分走ると空腹に襲われた。

「ちょっと休憩。肉食べよ」

 リュックサックを降ろし、鹿肉を頬張った。口の周りについた焦げを腕で拭き取り、瓶に入った水をゴキュゴキュと飲んだ。

「お母さんが、森で立ち止まるのは危険だって言ってた。もう行こう」

 そう呟き、鹿の骨を草むらに投げ捨てると、リュックサックを背負って再び走り始めた。

 ライトの体表が黄色いオーラを纏い始める。すると、周囲の気配をビンビンと感じられるようになった。

「あれ……スイ兄ちゃんどこいった?」

 アージ村を出る際に確認した、スイの魔力を感じられなくなっていた。空腹で魔力が底をつきそうなのだろうか。急いで肉を渡してあげよう、ライトは更に使命感を強めた。


「助けてくれぇ──!」

 肉を補給しながら順調に進んできたライトは、叫びにも似た微かな声を聞いた。走りながら、声のする樹間を見た。男が二人、一人は座り込み、一人は斧を振り回している。その男たちの視線の先には狼の群れがいた。

「あ、危ない!」

 ライトは急停止し、近くまでゆっくりと歩き、木の幹に身を寄せて隠れた。狼は視界に入る数だけで五匹はいる。座り込む男の足からは、血が流れているのが分かった。絶体絶命の窮地だ。ライトは、男たちを助けようと身を乗り出した。しかし、他人の前で魔法を使うのは問題だということに気がつき、躊躇った。

 

 男たちは冷静さを失っていた。怪我をした男は泣き叫び、斧を振り回す男は目をぎゅっと瞑り、死を覚悟したような表情を浮かべていた。

 ライトは、右手で銃のような形を作り、先頭に立つ狼に照準を合わせた。

 ビビッ──!

 ライトの指先から放たれた雷の弾は、狼の首筋を捉えた。すると狼の身体は硬直し、標本のような状態で横向きに倒れた。

「あ、当たった!」

 周囲にいた狼たちは、身の危険を察知し、一斉に散った。

「なんだ……? わしら助かったのか?」

 胸を撫でおろす男の声は、まだ微かに震えていた。

「大丈夫?」

 男が甲高い声のする方を見ると、自分の膝丈くらいの大きさの男の子が走ってきた。

「なっ! これは坊主がやったんか?」

「うん、そうだよ!」

「嘘言え! 何したんだ?」

「あ、うん……お母さんがいます」

 ライトは、狼を気絶させたことが嬉しくて、うっかり魔法のことを話しそうになってしまった。動揺したライトは、男の質問に対し、的を射ていない回答をした。

「とりあえず、こいつが起きる前に移動しよう。おい、ワシをおぶってくれ」

 怪我をした男はそう言い、片足で立ち上がった。二人とも顔や手に皺のある六十代くらいの男で、斧を持った方は太っており、怪我をしている方は痩せていた。どうやらマージ街とは別の街からやってきた旅人らしい。その旅の途中、転んで怪我をしたところを、狼の群れに襲われたのだとか。


「すまないな、医療キットまで貰っちまって。本当に死ぬかと思ったよ」

「いいんだ。ぼくは使わないと思うから」

「よくもまぁ、あの狼に石を当てられたな。すごいぞ坊主! ところでお前さん、いくつだ? 親御さんはどこにいるんだ?」

「三歳。一人できたんだ!」

 二人の男は目を丸くした。痩せた男は、ライトの身体を舐めるように見た。

「三歳だって!? 確かに、言われたらそう見えなくもないが……。三歳児が一体こんなところで何してるんだ?」

「あぁ、えっと……。あれだ! 山菜を採ってくるようにと、お母さんから頼まれて」

「こんな危ない森を一人でか? なんて非情な母親だ! 命を落としたらどうすんだ!」

 太った男は腕を組んで、野太い声で怒っていた。ライトは、嘘でもホテイを無慈悲な母にしてしまったことを申し訳ないと思い、苦笑いで誤魔化した。

「で、これから帰るのかい?」

「う、うん……」

「よし! 助けてもらったお礼だ。家まで送ろう」

「そうだな、それがいい。コイツに抱っこしてもらえ」

「お前を背負いながら、この子も抱えるなんて無茶言うなよ」

 男たちはライトをチラッと見た。すると、とろんとした目で、うつらうつらとしていた。

「どうした坊主、眠いんか?」

「うん……時間なんだ……。おじさんたち、三十分したら起こして……」

 ライトはそう言うと、その場で身体を丸めて眠りについてしまった。

 ライトには懸念があった。魔力を消費し、満腹になる、これを繰り返していると、急に凄まじい眠気に襲われる、それが道中で起こるのではないかと。その悪い予感が的中した。人間の幼児の体質が、今ここで現れてしまったのだ。

「おい、本当に寝ちまったぞ」

「疲れたんだろうな。助けてもらった恩があるし、ここで見守ろう。ワシも歩けないしな」

 男たちは、そう言うと獣よけの火を起こした。


「坊主、起きろ。三十分経ったぞ」

「ん……」

 ライトが目を開けると、二人の男が顔を覗き込んでいた。ライトは、目を擦りながら身体を起こした。

「ありがとう……」

「いいさ。よし、帰ろうか」

「いや、ぼくは大丈夫。それより、おじさんの怪我を治してもらいに、街へ帰った方がいいよ」

 そう言うと、ライトはリュックサックから布に包んだ肉を取り出し、その場に広げ、三つだけリュックサックに戻して残りを男たちに渡した。

「これあげるね。おじさんたち、ありがとう、バイバイ!」

 ライトはそう言い残し、ピョンピョンと跳ねるように草むらの中へと消えていった。唖然とした男たちは、地面に置かれた肉を拾い上げた。

「すごいな、あの子は」

 細い男はそう呟き、太い男の背中に身を任せた。太い男は細い男を背負い、立ち上がった。

「ああ。ありゃ民衆を導く王になるぞ。間違いねぇ、そんな決断力と威厳を感じた。石が偶々当たったなんて言ってたが、本当は狙って当てたのかもしれねぇ」

「まさか、三歳だぞ? 泣きべそかいて寝るのが精一杯だったと思うが」

「お前と一緒にするな。兎にも角にも、いい家族に育てられてんだろうな。非情な母親って言ったこと、謝りてぇよ」

 二人の男は、ライトについて話しながら、街の方へと歩いていったのだった。


「スイ兄ちゃん、街に着いてるかな?」

 ライトは再びマージ街へ向けて走った。太陽は天高くに位置し、恐らく正午くらいだ。予定よりも少し遅れたが、順調だ。このまま止まらずに街まで行ってしまおう、そう思っていた。


 ドボオオオォォォォン──。

 遠くで何かが爆発した。いや、何かが水に落ちたようだ。森の木よりも遥かに高い水飛沫が、樹間から上空に見えた。

「何だろう……」

 最後の肉を齧り、周囲の気配を感じ取った。

「あ、スイ兄ちゃん! それにレン兄ちゃんの魔力も感じる!」

 水飛沫の見えた方向から、スイとレンの魔力を感じた。ライトは、満面の笑みで二人のいる方向へと走った。


 グオオオオオォォォォ──!!

 ──ドゴオオオオォォン!!

 巨大な獣の咆哮と、どこか遠くに爆弾が落ちたような轟音が同時に聞こえた。

「うわぁ! びっくりした!」

 その直後、上空を火球が通過していくのが見えた。ライトは、嫌な予感と嫌な魔力を感じ、急いで二人の元へと走った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る