第13話 マクスウェルの悪魔 2.凍るしせん

     2.凍るしせん


 私は死ぬタイミングをみつけた。

 偶々訪れた他校で、導かれるように屋上へとつながるドアを開けた。そこはカギもかかっておらず、スムーズに屋上にでられたのだ。

 これは私に〝死ね〟ということ……。

 私は高い金網へと歩み寄った。越すのは大変そうだけれど、あれを乗り越えれば死ねる……。

「キミは……他校の子か?」

 不意に声をかけられ、びくっとした。恐らく、彼が屋上にでるので、カギを開けたらしい。

「え、えぇ……。ごめんなさい、開いていたものだから……」

「気にする必要はない。好奇心は如何なる状況でも正義だ。特にまだ中学生なら、尚更といってよい。もっとも、ゾンビ映画では、まずそういう人間がゾンビに襲われるけれどね」

 彼はそういって笑う。同学年? でも、中学生としてはいやに大人びて、大人から嫌われるタイプかもしれなかった。


「私は……美田 杏綬」

 自己紹介は嫌いだった。何しろ、知っている人はすぐ「子役の?」とか「あのアンちゃん?」などと、こっちは知らないのに、まるで親戚のように気安く声をかけてくるからだ。

「オレは籟之目 叡智。二年だ」

 意外なことに、彼は私の名に聞き覚えがないようだ。私もホッとして話しをする。

「ここで何をしているの?」

「屋上は、色々な情報を伝えてくれる。風向き、そこに含まれる微粉塵や、日照量、時間もそうだ。地球環境を知る上でもよいし、ここからの眺望は、それこそ町の変化においても様々な情報を知れる」

 本気でそんなことを考えているのかしら? でも、奇を衒ったわけでもなく、また何かを誤魔化そうというでもなく、本気でそう語っていることは、彼の目が爛々と輝くことでも知れた。


「色々と難しいことを考えていると、こうして思考を解き放って考えたくなるときもあるんだよ」

「難しいこと?」

「量子のふるまいに、この世界にあるすべての事象を説明するだけの、論理性はあるのか? とかね」

「量子のふるまい?」

「量子論さ。熱力学や運動方程式などは、すべて量子によるふるまいの、マクロ的な観測によるもの……ということは、逆からみれば量子の動きすら把握すれば、世界のすべての事象を説明できるはず……となる。まさに、それはマクスウェルの悪魔なんだよ」


「マクスウェルの悪魔?」

「世界のすべての事象を説明できるものさ。量子的なふるまいを知っておけば、未来のことを知れる……というね」

「未来視――」

 彼は私のつぶやきに、興味をもったようだ。

「SF好きかい? 未来視――なんて、すぐでてくる言葉じゃない」

「……ちがう。私は……未来が見えるの。人の死ぬ姿だけ、だけど……」

「ほう?」

 彼はさらに興味をもったように、私のことをじろじろと眺める。

「人の死ぬ姿限定……か。それも未来視の一つだが、そこに限定するとなると、話は別だろうね」

「…………別?」

「君が見たいものか、見たくないものか……。いずれにしろ、キミは未来に対して何か、特別な感情があって、それがキミに未来を見せているんだ」

「私が……人の死ぬ姿を見たいって?」

「もしくは、自分の死ぬ姿を見たくない、あるいは、それは人の死を傍観したい……という裏返しか」


 傍観……。そう言われると、確かに自分はそうしてきたことに気づく。人の死が見えても、私は何もすることがなかった。何もできなかった。それをズバリ、言い当てられたような気がした。

「私は……死にたいんです。今日ここに来たのも、死ねるかな……と思って……」

「死に場所をさがすような奴は、死なないよ。後一押しをかけて欲しい……と思っている間はね」

 その通りかもしれない……。子役としてチヤホヤされ、今はただの人――。死にたいとは思っても、今は死ぬほどの不幸……というほどでもない。私はそうして人の死を傍観することで、自分の死を回避しようとしていたのか……?

「私、どうすればいいの?」

 初対面の相手に、そう訊ねたことに自分でも驚いていた。

「死にたいと思うのは自由で、勝手だ。でもそれは過去に納得しなかったり、未来に希望をもてなかったり、そういうものだろ? キミのそれが何かは知らないが、それを解消するか、昇華するしかない。そこに手助けが欲しいのかい? そうじゃないだろう。キミの顔には、自分のことが大好きで、自分で何とかする……。そう書いてあるよ」


 私は、自ら死にたいとは思わなくなった。

 不思議な人だったけれど、妙に説得力があった。

 私は「死にたい」と思うのを止めるために、過去に拘らなくなった。今の私を見て欲しい。

 過去の私は、過去の私として受け止めて、そのときの返しが上手くなり、TV番組にも少しずつ呼ばれるようになった。何しろ、知名度があるからだ。

 元々バラエティ志向だし、頭が悪くてセリフ覚えは苦手でも、立ち回りだけは得意だった。

 でも、私には困ったことが続いていた。

 それは人の死が見える、未来視が続いていたことだ。

 それは一過性で、心の悩みが解消すると、消えると思っていた。でもそうはならなかった。

 ニコニコ笑ってヒナ段にすわっていても、出演者や番組スタッフのそれが見えてしまえば、笑顔も凍る。

 困るのは、VTRに登場する一般人のそれが見えてしまうと、ワイプで抜かれていても表情が曇った。

 私はもう一度、頼ろうと思った。そう、籟之目 叡智に――。

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