海に沈むジグラート 第29話【海の国の伝説】
七海ポルカ
第1話 海の国の伝説
その日はフェリックスにとって、とても嬉しい日になった。
朝日がサッ、と差し込み世界が黄金色に輝くと、待っていたように立ち上がり、彼は寝床にしていた倉庫から出て来た。ゆっくりと歩いて来て、騎士館の入り口の前を塞ぐようにそこに腰を下ろす。
食器を片付けて歩いていた騎士が、ギョッとして一瞬こちらを見たが、フェリックスは黄金色の瞳を丸く開いたまま、彼ではなく、どこか、建物の奥の方を見ていた。
「見ろよ。フェリックスが来てる」
「ホントだ。入り口破壊してからしばらくは来なかったのに、何で今日いるんだろう?」
「不思議だよなぁ。ホントに人語を聞いてるみたいな反応することあるよな」
「……あれだろ? ネーリ様が負傷した時もあれ、フェリックスの規律違反なんだろ?」
「らしいな。結局ネーリ様ってどこで刺されたんだ?」
「最初あの干潟の家だと思われていたけどどうやらトロイ隊長の話じゃ違うらしいんだよな……」
「全くあそこ襲撃場所と関係ないらしいぜ。団長が言ってた」
「そうなの?」
「ああ。フェリックスが、助けたネーリ様を運んだ場所ってことになるらしい」
「団長には話してるらしいが、ネーリ様があんまり話したがってないって」
「そりゃそうだろ……ネーリ様は画家だぞ。俺らは別に顔も知らん奴らに敵意向けられることも刃向けられることもあるって慣れてるけど、民間人にとっては知らない奴に近距離から刺されたなんて記憶、思い出すだけで恐怖に決まってる」
「元気になったとは聞いたけどなあ……大丈夫だろうか」
「フェリックスが一人で飛ぶとはな。本当に驚く」
「あれってネーリ様の危機をこいつが察知した、ってことになるのかな?」
「……そういうことになるな」
「初めて見せた規律違反の日がネーリ様が深手を受けた日なんてどう考えても偶然にしては出来過ぎてる」
「なんでそんなことが出来るんだろう」
「一説には竜って【竜道】っていうあいつらしか見えないし通れない道を通って移動することがあるっていうよな。それで戦場ではぐれた竜とかがちゃんと神聖ローマ帝国に帰って来るらしいぜ」
「神話じゃ、竜は精霊の亜種で、竜が不思議な行動取る時はこの精霊の動きがかなり理由になってるらしい」
「精霊の動きを感じ取るって確かに言われるもんな」
「精霊と竜は切っても切れない関係性で、つまり竜のいるところに精霊が必ずいるし、神聖ローマ帝国にしか竜はいないから、やっぱ竜からすると、特殊なものを感じる、大地自体があるんだと。だから遠くにいても『竜道』を通って国に帰って来るし、はぐれ竜でも神聖ローマ帝国に呼び寄せられるらしい」
「不思議な生き物だよなぁ……」
「精霊が多くいると、そういう、見えない道を作ったり、見えない守りの力を構築したりすることがあるとか言ってたなあ。士官学校の教授が」
「確かに戦場とかにいても、動物の本能が危険を察知するとか、他の動物にもあるけど、竜の勘ってずっとそれより鋭い感じがする」
「けどそれで言うと、今回のネーリ様のことには何らかの精霊の動きが関わってるってことになるぞ」
「それなんだけどさ、北の騎士館の奴から聞いたんだけど、フェルディナント将軍があの夜、夜中に突然起きてきて、フェリックスのことを聞いたらしいんだよ。なんか、声が聞こえた気がするとか言って、実際起きてきて驚いたってそいつが言ってた」
「それってフェリックスが、もう駐屯地出た後か?」
「そう。出た後」
「本当に?」
「あんなこと初めてだったらしいぜ。けどフェリックスは干潟の家にいたんだろ? さすがにこいつの咆哮でも寝てる将軍を叩き起こす距離じゃないだろ……あともしそんなすごい咆哮なら駐屯地の夜警もみんな聞いてるはず。他の竜だって隊長騎のフェリックスがそんな本気で咆えて、駐屯地全体が叩き起こされるようなものならギャアギャアもっと騒ぐはずだぞ。でも将軍は起きたけど、他の竜は寝てた。だから不思議なんだよ」
「フェリックスが初めて規律違反して一人で飛んだ日に、団長がそれに勘付いて起きて来るってすげえ」
「だからなんかあるんだろうな……言葉で説明難しいし、単なる勘とはまた違う、もっと根拠があること……。竜は何か、人よりも少し、感じ取るものが多いんだと思う。
それは人には見えないものだけど、確かにある。
しかも、中には竜の方から竜騎兵にそれを伝える力を持ってる奴もいるのかもなあ。
団長のことも関わって来ると、中には竜騎兵の中で、そういう竜の『声』みたいなのを聞き取れる人がいるのかもしれない。逆に言うと、そういう相手には、竜は話しかけることがあるのかも」
「なるほどなぁ……」
「しかしだな……仮に団長にどこかで危険が迫り、それをフェリックスが察知して助けに行くというのなら、まあそれもびっくりするんだが百歩譲れば分からんでもない。騎竜と竜騎兵ってのはそれくらい、固い信頼関係で結ばれて初めて成立してるからな。ただ、ネーリ様をフェリックスが助けに行ったっていうのはどう考えてもおかしい……。確かに団長に縁のある人だし、フェリックスも懐いてるけど一般人だぞ。長い時を重ねて、絆を築く騎竜と竜騎兵とは明らかに違うだろ。やっぱフェリックスはネーリ様に特別な何かを感じてるんだと思う」
「まあ今日もここにいるのおかしいもんな。最近いなかったのにさ」
「なんかこう、フェリックスはネーリ様の動きだとか、状況が分かることがあるのかもな」
「これもあれなのか? 『刷り込み』効果の成せる業なのか? だとしたら竜の刷り込みってのは威力がすげぇんだなあ」
「まあ親と思ってついて回るっていうからな。親の危機を察知して駆けつけたのかと思えば……」
「そうか。フェリックスはネーリ様を親だと思ってるのか」
丁度、中の方から拍手が不意に湧き上がった。
中で待機していた騎士たちが立ち上がって、拍手している。
二階から、ネーリがフェルディナントに付き添われて降りて来るところだった。
左手の肩は、動かさないようにまだ固定されている。どうやら下で騎士たちが待っているということはフェルディナントは秘密にしていたようで、廊下から出て来るなり拍手で迎えられ、ネーリは一瞬立ち止まって驚いた。
答えを求めるようにフェルディナントを見て、彼が、優しい笑みでこちらを見てくれていることで、安心させてくれた。
ゆっくりと階段を下がって行く。
下ではトロイ・クエンティンがまず彼を出迎えた。
「順調に回復されていることは、団長から聞いていましたが、実際ネーリ様の明るい表情を目にすると、安堵いたしました」
大勢に迎えられ、少し恥ずかしそうにしつつも、ネーリは嬉しそうだった。
「みなさん、本当にご迷惑とご心配お掛けしてすみませんでした。
フレディから……えっと、フェルディナント将軍から、軍医の方もすごく必死に僕を治療してくれたことも、駐屯地の皆さんがここに僕を運び込んでくれて、心配してくれたということも聞きました。起き上がれない間も、フェルディナント将軍や皆さんで身の回りのことを助けて下さって、本当に感謝しています」
彼が深く騎士たちに頭を下げて感謝を示すと、温かい拍手が起こる。
「ネーリ様には縁も所縁もない所から来た我々に、祈りの場を整えていただいたり、駐屯地に素晴らしい絵を飾って下さったり、ヴェネトの歴史の講義をしていただいたりしています。心配するのは当たり前のことですよ。明るい顔を見せて下さるだけで充分です。
……ああ、そうだ。
ネーリ様が回復されるのを心待ちにしていたのは我々だけではないのでした。よろしければ、彼にも特別声を掛けてやってください」
そういってトロイ達が身体を左右に避けると、騎士館の入り口にお行儀よく座っている姿があった。射し込む朝日に照らされた中に佇み、金の瞳をぴかぴかさせている。
「フェリックス!」
ネーリが目を輝かせて、駆けていく。
走り出した彼をフェルディナントが心配したが、ネーリはフェリックスに駆け寄ると大きな顔にしがみついた。
普通の人間はまず、フェリックスの顔にしがみつくことなど怖くて出来ないので、それを見て、相変わらず剛胆なことをする画家の青年に、騎士たちがどよめき、それから笑いと拍手がまた起きた。
「待っててくれたんだね、ありがとう」
「クゥ」
「もう元気になったよ!」
「クゥ!」
「すごいなあ明らかに会話してるな」
「フェリックスよ……お前そんな可愛い声を出せたんだな……」
「俺ら一度も聞いたことのない声出してるぞ」
「甘えてるな明らかに……将軍はこの声聞いたことありますか?」
「まあたまには……。だが明らかに俺よりネーリに懐いてることだけは分かる」
フェルディナントが腕を組んで、ネーリの呼びかけにいちいち頷くように首を動かして、甘えた声を出している愛竜を複雑そうな顔で眺めつつそんな風に言うと、騎士たちは笑ってしまった。
「あれ? ……なんか入り口、変わりましたか?」
フェリックスを抱きしめていたネーリが遅れて気づき、きょろきょろ入り口を見回した。
大きくなっているのだ。前はこの半分ほどの扉だったけど、今は左右に二枚分ある。普段は片方の扉を閉めてあるが、開けるようになっている。騎士たちが今、もう片方の扉も開けてくれた。すると二枚の扉が中央で大きく開き、広々となった。トロイが苦笑する。
「実はネーリ様が療養していらっしゃる間に、フェリックスが前の扉に挟まりまして……」
「えっ」
思わずフェリックスの顔を見たが、彼は大きな金の目を子供みたいにぱちぱち、として小首をかしげている。
「よくは分かりませんが、貴方がこちらに運び込まれてから、この扉の前でよく寝ている姿を見ました。人の出入りが出来ないほど寄るので、もう少し離れなさいと言い聞かせても扉を塞ぐので、みんな聖堂の方の入り口から出入りしていたくらいなのですよ。貴方を心配しているのかなと思って諦めていたのですが、そうしたらある日、唐突に入り口にめり込みまして」
「驚きました。俺すぐそこで洗い物してたから見てたんだけど、おもむろに立ち上がったかと思ったら明らかに入って来ようとして」
「えっ」
「首が入ったから入れそう! と思ったんですかね。身体は抜けましたが完全に入り口が崩れ落ちて、壁もこの辺まで崩れてしまったので、どうせならと思って広くして新しく付け直したんです」
「そうなの?」
「クゥ」
フェリックスは全く意に介していないような雰囲気でネーリの問いかけに声で応えた。
竜の声は分からないけれど、ネーリにはどう考えても「そういえばそんなこともあったかもねー」のように聞こえた。
「貴方は毎日ここにいる時は会いに来てくれていましたから、会いたかったのかもしれませんね。竜とは本当に、時々犬猫というより人間の子供みたいな発想をすることがありますよ」
自分が上にいる間にそんなことが起きていたのかと、ネーリは吹き出してしまう。
「すみません。僕が笑っちゃダメなことですよね……」
笑ってから「あっ」という顔をして慌てて背を伸ばしたが、フェルディナントは首を振った。
「いや。ネーリ。それは笑っていいことだ」
「えっ」
「クゥ」
「俺も竜については詳しいつもりだったが、竜の『刷り込み』というものがこんなに凄まじい威力を持ってることは、ここに来て、お前とフェリックスを見て初めて気づいた。
『刷り込み』というものは、動物が本能的にその人を親や庇護者だと思い込むことで発生するものだが、俺は竜はもう少し冷静でプロフェッショナルだと思い込んでた。
親だと思うものの為には規律違反をしたり、思わず突飛な行動に出て喜びを示したりする。そういう生き物だとは思ってなかったよ。愛情深さも持っているんだなって分かった」
「確かに、そうですね。一度心を開いたら忠誠心の強い生き物だとは思っていましたが、こんなに愛情で行動が左右されることもあるんだということはここに来て初めて知りましたね」
「お前だけの特徴なのか、竜全体の特徴なのかは分からんが……」
フェルディナントが歩いて来てフェリックスの額に触れると彼は目を細める仕草をした。竜は不機嫌な時にも目を細めることがあるのだが、不思議なことに、厳めしい顔をしているが故に表情が読みにくい竜だったが、今は心地良さそうに目を細めたことが分かった。
「不思議と今日のフェリックスからは幸せそうな感情が伝わってきますね」
「だなぁ」
「ネーリ、元気になったようで安心しました」
聖堂の方からミラーコリ教会の神父がやって来た。
「怪我を負ったと聞いた時には驚きましたよ」
「神父様」
久しぶりに神父の顔を見て、ネーリは安堵したような嬉しそうな表情を見せた。
「これから、皆さんで礼拝をするのですよ。今日ばかりは貴方の快癒を神に感謝する雰囲気で、礼拝を行いましょう」
さぁこちらへ、と神父が招き、騎士たちが道を作り、聖堂の方へネーリを導こうとした時、服を引かれた。見るとフェリックスがカプ、と服の裾を噛んで引っ張っていた。
「こら! フェリックス! 放しなさい。服に穴が開くだろ!」
フェルディナントが叱ると、フェリックスはネーリの服を歯に挟んだまま、胴体だけをぺそ、とその場に寝かせて完全に「もっとここにいてくれないとヤダ」のポーズを取ったので、ネーリは笑ってしまった。
「分かったよ。一緒に礼拝受けよう。礼拝の最中、側にいてあげるから。聖堂の扉は広いから君も覗き込まないでも聖歌を聞けるよ」
許された雰囲気が伝わったのだろうか。
ひょこ、とフェリックスが顔を上げ、ようやくネーリの服を放してくれた。
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