第9話【ご都合主義とワカメサラダ】3


 さて、色々な意味で忘れられない出来事があった金曜日の翌日。

 つまりは学校が休みの土曜日。


 学生寮で一人暮らしをしている俺は、ストックが無くなった日用品を買うために海沿いにある商店街へ向かって歩いていた。


 本来なら、本州――俺の地元にあるような何でも揃う大型のショッピングモールに行きたいところだが、ここ澄凪島すみなぎじまは文字通り離島であり、良くも悪くも田舎である。


 だから当然、モールなんて便利なものは無く、その代わりに人情溢れる個人が営むお店が立ち並んでいる商店街で買い物する必要があった。


 だが、そんな面倒も目の前に広がっている景色を見れば、そう悪くないと思ってしまう。


 青い空、白い雲、そして夜には星を映し出してしまうほど波が少ない穏やかな海。

 海と空の境界線を感じさせないその光景は、俺が前に住んでいた場所では到底見られないものだ。


 記憶にある過去の景色とは雲泥の差がある。


 ただ歩いているだけなのに、こんなにも気持ちが良いのは離島の……それも田舎だからこそだろう。


 そしてなにより。

 そんな景色にプラスして、目の前を歩いているそれはそれは可愛らしい”女の子”が視界に入っていれば、気分はご機嫌という一言に尽きるだろう。


「よっ!」


 俺は目の前を歩いていた”女の子”に後ろから話しかける。


 すると――普通に嫌な顔された。

 まぁ、分かっていたことだけどね。


「……ストーカー?」


 ごく自然に俺との距離を取り、警戒を隠さない汐海。

 昨日あんなことがあったのだから当然である。


「違うって。偶然。ほら、買い物袋」


 手に持っていた袋を汐海に見せる。


 出くわしたのは本当に偶然だ。

 そう偶然。少しだけ道を変えて後はつけたけど偶然である。


「何してんの?」


「ちょっと……散歩」


「ふーん。決まった予定は無い感じ?」


 自然に隣にポジションをつけると、にこやかな笑みを意識する俺。

 意味が合ってるかどうかは知らないけど、千里の道も一歩からだ。

 少しでも汐海からの心象を良くしたいしね。


「予定は無い。けど、八木に付き合って”もらう必要”は無いよ」


「え~。暇なら一緒にどっか行こうよ」


 グイグイという言葉を体現する俺。

 本当に拒絶しているなら、少しは遠慮するところだけど……汐海の様子が少し気になった。


 いつも通り可愛い。

 可愛いけれど、どこか変。言葉の節々に違和感を感じるのだ。

 多分だけど……これは何かに困ってる感じかな。


「別に平気」


「そんなこと言わずにさ。お昼ご飯はもう食べた?」


「食べてない……けど、”大丈夫”だよ」


「ふーん。そっか」


 うん。これは困ってるわ。


 いつもなら拒絶することを隠さない汐海が「大丈夫だよ」ときた。

 

 俺は汐海のバックに目を向ける。 

 最近買ったと思われる、見たことの無いバック。

 そんでもって普段とは違う汐海の様子。

 

 俺の中で一つの仮説が浮かんだ。


「もしかして……財布忘れた?」


「うグっ」


 声にならない声とはまさにこのこと。

 なんて分かりやすいのだろうか。


 こりゃ確定だ。

 そして多分だけど……忘れたのは財布だけじゃねーな。


「バックを変えたはいいけど、荷物は前に使ってたバックに入ったまま……とか?」


「……なんで分かったの?」


「んー、バックがいつもと違うからかな? それに様子がちょっとおかしかったし」


「私がバック変えたの分かったんだ。キモイね」


 グサっと心にくる鋭いナイフ。


 しかし、そっか。

 前に使っていたバッグに荷物を入れっぱなしにしちゃって、中身を入れ替えずに出掛けちゃったのか。

 

「キモいは酷いよ」


「普通にキモいでしょ」


「俺にも心はあるんだけど。でも、そっか。荷物を忘れたって鍵とかスマホも?」


 ゆっくりと渋々頷いて見せる汐海。

 これで納得がいった。

 言葉の節々に感じた違和感はこれだ。


 もし一緒に飯でも行こうものなら、財布のない汐海の支払いは俺がすることになるだろうし、どこか店に入るにしても俺の奢りになる。


 だから大丈夫だとか、付き合ってもらう必要は無いとか言ってたのだろう。


 遠慮なんていらないのになぁ。

 こちとら一緒に出掛けられるだけで幸せだってのに。


「財布とか忘れたことに気付いて一回家に戻ったんだけど、家族はもう出掛けてて。鍵も無いから……」


 締め出された……と。

 案外おっちょこちょいなところがあるんだな。


「それじゃ、さ。一緒にどっか行こうよ。家族が帰ってくるまで暇でしょ?」


「暇だけど……迷惑かけるし、それに昨日あんなことがあったのに誘えるってどんな神経してんの?」


「だからこそって考えもできるじゃん。お詫び的な感じでさ」


 俺はそう言うと、汐海が持っていた問題の荷物が入っていないバックを取り上げる。

 ちょっと強引だし、しつこいかなとも思ったが、俺の本能がこうしろと叫んだのだ。


「ちょ、返してよ!」


「女性のバックを持つのは紳士の嗜みってやつだから遠慮はなしだ」

 

 うん。軽い。

 マジで何も入ってない感じがするわ。

 

「まずはそうだな。飯でも行くか!」


 俺はそう言うと汐海の先を歩く。

 そしてバックを人質にされ、追いかけるしかない汐海。

 

 元々は買い物するだけだった土曜日の休日。

 それがどうしてこんなにも素敵な休日になったのだろうか。


 汐海にとって荷物を忘れたことは不幸そのものだ。

 しかし、俺にとってその不幸は幸運と呼べるもの。

 さて、いまから始まるのはウキウキ、ワクワクなデートだ。


 俺は頭の中で澄凪にある良さげなレストランを検索すると、次に向かうべき場所に目星を付けるのだった。

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