第2話:鉄の精神

 かつてのテニス界の女王の座に君臨していたマルチナ・ナヴラチロヴァのこの言葉が黒田鉄心は好きだった。

「練習のプログラムを、試合よりも数倍厳しくすれば、本番が物理的にも精神的にも楽になる。世の中には天才型と努力型がいます。しかし、もし、天才が努力を惜しまなければ、最強になれます。」


 黒田は小学校の時に将棋に初めて触れ夢中になり、14才で奨励会三段リーグを突破する頃には、あらゆる最新定跡に通暁し、四段となってプロになって稼ぐようになってからはその稼ぐお金のほとんどをAI研究に投じ、序盤研究の第一人者の呼び声高く、序盤で築いた優勢を拡大させて勝ち切るというスタイルで破竹の連勝街道をひた走っていた。ストイックとは彼のためにある言葉とも言われ、将棋以外のことには脇目も振らずに「将棋に全振り」という生活で自らを厳しく律していた。よく名は体を表すというが、鉄心とはよく名付けたものだと、畏敬の念を以て評される天才と努力家を掛け合わせたような棋士であった。真面目な高校生でもある黒田の将棋研究スタイルは、精神集中と己に課した厳しい規律と克己心による凄まじい研究量と努力による自らの脳内へのインプットであった。当然、彼女などもいない。その心にはまさに鉄のカーテンが引かれており、つけ入る隙はまるでないという、およそ17歳の若者らしからぬストイックさは、煩悩を断ち切った修行僧、武芸に打ち込む武士に通ずるものがあった。黒田は終盤、勝ち筋が見えると武者震いをする癖があり、それを見た相手が観念して投了することも多々あった。投了した棋士の中には「剣を構えた武士と念仏を唱える僧が同時に見えた」と言った者もいたとか。勝率9割1分5厘を誇る高勝率をひっさげて若き天才も遂に棋聖戦の挑戦者決定戦まで名乗りを上げていた。


 そんななか、一つの衝撃的ニュースが棋界に走った。1年前に、10年ほど前に将棋の一大ブームを起こし、タイトル通算獲得を70期まで伸ばしていた第一人者がチェス界への参戦のため2年間の将棋界休業を宣言したために、再び棋界には群雄割拠の時代が訪れていた。さらに現棋聖位を張っている中堅の名棋士が燃え尽き症候群発症により突然の引退を表明。規定により棋聖戦挑戦者決定戦が新棋聖を決める5番勝負へとその舞台が格上げされることとなった。

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