●第2章:『水脈の智将 -仕掛けられた罠-』
夜明け前、城壁に最初の衝撃が走った。
「投石機の攻撃が始まりました!」
マリエル・ウィンドローズの報告に、アイリスは素早く対応を指示する。
「予想通りね。彼らは夜明けの混乱に乗じて、一気に城壁を崩そうとしているのでしょう」
アイリスは前夜のうちに、城内の各所に衝撃を和らげる装置を設置させていた。古い帆布や藁束を何重にも重ねたそれは、投石の衝撃を分散させる効果があった。
「でも、これだけじゃ長くは保ちません」
キャサリン・フロストエッジが懸念を示す。彼女の予想は正しかった。敵は投石機を十台以上展開しており、城壁への攻撃は激しさを増すばかりだった。
アイリスは机に広げられた『機関の書』のページをめくる。古い羊皮紙には、複雑な歯車と滑車の図面が描かれていた。
「この城には、反撃のための仕掛けが隠されているはず……」
アイリスの指が、ある図面の上で止まった。
「見つけた」
彼女の瞳が輝きを増す。
「レイラ、地下の第三倉庫に行きましょう」
二人は急ぎ足で階段を降りていった。湿った空気が漂う地下で、アイリスは壁に刻まれた微かな印を探していく。
「ここです」
彼女は石壁の一部を押し、複雑な機構が動き出す音を聞いた。壁が横にスライドし、その奥に巨大な装置が姿を現す。
「まさか、これが……」
レイラが息を呑む。
「ええ、古代の投石返しよ。城を守るために作られた対抗機関」
アイリスは図面を確認しながら、装置の操作方法を解読していく。複雑な歯車機構が、投石機の投射物を打ち返すための計算を可能にしていた。
「数学的には完璧な設計ね。でも、起動させるには……」
彼女は素早く計算を始めた。角度、力の配分、タイミング――すべての要素を考慮に入れなければならない。
地上では、敵の攻撃がさらに激しさを増していた。
「姫様! 西の壁が危険です!」
キャサリンからの緊急報告が届く。
「あと少し……」
アイリスの額に汗が浮かぶ。複雑な計算式が、彼女の頭の中で組み立てられていく。
「レイラ、この紐を引いて!」
命令と同時に、巨大な機械が唸りを上げて動き出した。地上に設置された開口部から、長い腕が姿を現す。
次の瞬間、敵の投石機から放たれた巨石が、まるで魔法のように軌道を変えて敵陣に向かって飛んでいった。
「見事!」
歓声が上がる。打ち返された石は、敵の投石機を直撃して破壊した。
「これで少しは時間が稼げるでしょう」
アイリスは満足げに頷く。しかし、それは始まりに過ぎなかった。
昼過ぎ、敵は新たな攻撃を仕掛けてきた。今度は火矢だ。
「彼らの狙いは、城内の建物に火を放つこと」
アイリスは冷静に状況を分析する。
「でも、それは逆に利用できるかもしれない……」
彼女は再び『機関の書』を開く。そこには、城内の水路システムについての記述があった。
「ソフィア、南門の裏にある貯水槽を確認して」
白銀の長髪を揺らしながら、ソフィア・シルバーレインが颯爽と走り去る。
アイリスの新たな作戦が、静かに動き始めていた。
「水圧を利用して、火矢を消すだけじゃない。逆に……」
彼女の唇に、小さな微笑みが浮かぶ。戦いは、まだ始まったばかりだった。
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