インタールード

第20話

 夜。

 広いダイニングの中央にどんと構えたソファに寝そべって、星越朔良は一人脳内反省会を開催していた。


 ──し、私服、可愛いね。うん、すごく似合ってる。イメージどおり、みたいな。


「なああおああぁあぁぅぅぅ」


 クッションを抱いて悶える。

 あきらかに挙動不審なうえにちょっと、いやかなりキモい。イメージどおりってなんだ。なにを勝手にイメージしていたんだ、星越朔良。


「ああ、あぁあぁぁ……」


 でも。

 可愛かった。

 瞼を閉じると浮かんでくる。ふんわりガーリーなサマーニットに薄鼠色のキュロットスカート。今にも春の空に溶けてしまいそうに儚げな女の子。

 佐古瑪瑙、ちゃん。


 昔から、後輩に慕われる性質だった。

 母譲りの淑やかな容姿に相反して、朔良は天性の目立ちたがり屋だ。より正確には、慕われたがり、と言うべきだろうか。

 だから常に「いい先輩」であろうとしてきたし、努力に見合う成果も手にしてきた。

 慕ってくれる後輩はいじらしく、寄せられる信頼は心地よかった。自慢ではないが、男女問わず告白された回数は両手の指でも足りない。

 これまで誰かと特別な関係になった経験がないのは、まあ、縁だろう。

 友達も後輩も、勝手にそばに寄ってきた。人間関係において何かを自ら求めたことはない。それでも孤独とは無縁だった。

 だから苦労も苦悩も、その打開策も知らない。

 星越朔良は、そういう人間だ。

 ──そういう人間、だった。

 クッションに額を埋める。

 

「……どうしよう。キモい先輩とか思われてたら……」


 びたんびたんと足で座面を打つ。

 いくらなんでも気にし過ぎだと自分でも思う。後輩の前でいい格好をしたがるのは朔良の習い性というかもう本能みたいなものだが、それでも失敗する姿を見られたのは初めてというわけでもなく。

 そもそも今回、失敗と呼べるほどの失敗はなかった気もする。

 なのに、反省が止まない。

 理由は、なんとなくわかっていた。

 多分自分は、失点の回避ではなく、加点を望んでいるのだ。

 仲良くなりたい。慕ってほしい。そう思っているから自己採点が厳しくなる。

 それはつまり──


「……いやいやいやいや」


 鼻先を布地に擦り付けて、浮かんだ答えを否定する。


「違う違う違う……たぶん……」


 もがもがしていると、不意に呆れた声が降ってきた。


「何してるの、姉さん。打ち上げられた魚の物真似?」


「れっ──うわっ!」


 落ちた。ソファから。

 起き上がる。

 湯上がりでほかほかしている妹の視線は、相反して氷点下だ。


「玲奈。お風呂、出たなら言ってよ……」


「だから言いにきたんじゃない。そうしたら姉さんが気色悪い動きしてたから」


「言い方」


「事実よ。まったく、動画にして高校のグループチャットに投げてやりたいわ」


「やったら家族の縁切るからね」


「恥ずかしいことをしてる自覚があるなら部屋でやって」


 玲奈は冷蔵庫から牛乳を取り出した。最近妹は牛乳をよく飲んでいる。背を伸ばしたいのだろうか。そんな妹に向けて、


「……美綴ちゃんって、どんな子?」


 うっかり尋ねてしまったのは、きっと無意識のせいだった。

 玲奈が怪訝な顔で振り返る。


「美綴?」


「仲、良いんでしょ」


「そうね」


 玲奈は視線を宙に向けた。


「美綴は……シブースト」


「へ?」


「浅く煮た林檎のシブースト。そういう感じの子」


「シブースト」とは、パリのサントノーレ通りで生まれたケーキの一種だ。パイ生地にカスタードクリーム(厳密には違うが)と甘く煮た林檎を挟み、表面を焦がしたキャラメリゼで覆いかける。

 甘く滑らかなクリーム、爽やかな酸味を残した林檎、そして割れ物みたいに繊細でほろ苦いキャラメリゼ。異なる味と食感が、口の中で玄妙な三重奏を奏でる。パリが産んだ傑作ケーキのひとつだ。

 朔良は玲奈を生暖かい目で見た。


「……玲奈。三年生になったんだし、そういうのはそろそろ卒業したほうがいいってお姉ちゃんは思うな。後で苦しむのは玲奈だよ?」


「中二病じゃないわよ!」


 空の牛乳パックが飛んできた。受け止める。たとえシャツ一枚でソファに寝転がっていても、朔良は運動もできるタイプの優等生だ。


「だいたい、なんで姉さんが美綴を気にするの。あげないからね」


 いらないし、いつから玲奈のものになったんだ……というのはさておき、気になっているのは事実だった。

 佐古美綴。瑪瑙の義理の妹。同じベッドで寝て、確か──ええと、あれがあれで。

 さすがに唇同士ではないだろうけど、それにしたって随分と懐いている。親愛の表現にしては過剰だと思うのは、偏見だろうか。


「姉さんも少し話してたじゃない。どう思ったの?」


「……いい子だと思ったよ。明るくて、元気で、可愛らしい」


「そうね」


「玲奈が心配してたのもわかるよ。あんな子が夜歩きしてたら、友達としては不安になる」


「…………。」


 玲奈の眉間に皺が寄る。

 変なことを言っただろうか? 疑問を抱いた朔良に向けて、玲奈は呟くように告げた。


「少し違う。必ずしも『いい子』じゃないから、心配してるの」

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