第62話 執念深い女ですもの

 すごい勢いで時空の切れ目に身体が吸い込まれていった次の瞬間、鈍痛と酷い寒気に襲われた。


 思わずブルッと身震いをしてしまうほど寒いのに、背中ごしに誰かの息遣いと体温を感じる。

 うなじに唇が当たっている感触。まるで生命の息吹を分け与えるかのように温かな吐息がかかる。それに何だかお腹もあったかい。

 そっか、誰かが大きな手でお腹を温めてくれてるんだ。

 そういえば、先ほどから耳元で何かをささやかれているような気もする。



「デルフィーヌ。聞こえるか? 君にまだ、伝えていない言葉がある。目を覚ましてくれ、デルフィーヌ――」


 あぁ。懐かしい、リシャール殿下の声だ。

 応えようと思うのに、喉がかすれて、思ったように言葉が出てこない。

 けれど、伝えたいことがたくさんあって、声にならない音をどうにか紡いでいく。


 リシャール様。

 わたしね、冥界でレオナルド殿下に会ったんです。

 想像してた王子様と全然違ってて、なんだか男版のわたしみたいな方でした。

 それで、現世での成績表? みたいなものを見るなり、私に『不合格だ』っておっしゃって。

 そのまま送り返されてきちゃいました。


「……そうか」


 落第点が2つもあったんですよ。

 ダンスと、あともう一つは何だっけ……忘れちゃいましたけど。


「そうか」


 その課題をクリアするまでは、あちらの世界には行けないんですって。


「そうか」


 リシャール様、さっきから「そうか」しか言ってませんね? どうしたんですか?


「そうか?」


 ほら、また言った。ヘンなの。


「奇跡を目の当たりにすると、言葉は……出てこな……ものなんだな…………っ、デルフィーヌ、おかえり……」


 リシャール様? 

 目覚めたいと思うのに、瞼が重くて持ち上がらない。

 

 ポタポタと頬に温かな雫が落ちてくる。

 彼が泣いているんじゃないかと心配になって、腕を伸ばそうとしたら、ギューっと抱きしめられた。


 あぁ、懐かしい。リシャール様の匂いだ。

 人肌の温もりをからだに直接感じる――同じようなことが、前にもあったっけ。

 たしか、王家の黒い森にある一軒家で一夜を過ごしたときだ。


「心配するな。ダンスも、もう一つの課題も、俺が全て教えてやる」


 わたし、やるからには満点を目指したいんです。


「まかせとけ。今度レオに会った時、驚かせてやろうな。だから、他の奴には頼むなよ?」


 はーい。リシャール様にすべてお任せいたします。


「約束だぞ」


 私の顔が大きな手で包まれたと思ったら、おでこに、まぶたに、鼻先に、頬っぺたにと口付けが落とされていった。そして互いの存在を確認し合うかのように鼻と鼻をくっつけ合うと、自然に唇が重なり合った。

 触れるか触れないかぐらいの距離で私の唇をなぞっていく彼の動きが心地良くて、そのまま身を任せていたら、ものすごい冷気が一気に部屋に流れ込んできた。

 

 バンッ!!

 

「殿下っ!? デルフィーヌ!!!!」

「ミシェル夫人――」


 唐突に扉が開かれる音がしたと思ったら、義母と殿下の声が交錯する。

 急に周囲が騒がしくなってきた気配を感じながら、再び眠りについたのだった。

 

――翌日。


 最期に殿下の瞳を見てから数日後。

 仮死状態に陥っていた私は、奇跡的に意識を取り戻した。

 ベッドの傍らに腰かけたソフィーが、失われた数日間の出来事を教えてくれる。


「それでですね、お嬢様が殿下に愛の告白をした後、聖女リリーってば、何を言ったと思います?」

「ちょっと待って! 『告白』って、何のこと!?」

「覚えてないんですか!? もし生まれ変わったら、ただのリシャールと恋したいとかなんとか言ってましたよ? 思いっきり殿下のこと、呼び捨てしてました」

「嘘でしょ!? ど、ど、どうしよう。今さらだけど、すっごく恥ずかしい!」


 だってそんなの、全っ然覚えてない。

 仮に、百歩譲ってそう言ったとしても、死を目前にした女の戯言だと一蹴いっしゅうしてほしい。

 それに、破廉恥な夢も見ちゃったし。

 ご都合主義っていうの? 殿下に抱きしめられてキスされて、俺が課題を教えてやるとか何とか言ってもらって……。


 私ってば、超現実主義者だったのに、いつの間に頭の中がお花畑になっちゃったんだろう?


「瀕死だったし、意識も朦朧としてたから、“記憶にございません”で通すしかないわよね……」

「責任追及をかわす老害議員じゃあるまいし」

「うら若き乙女の恋煩いを、初老ボケした政治家の逃げ口上と一緒にしないでくれる?」

「認めましたね? 殿下に恋してるって!」

「そ、そうだけど。悪い? どうせ、私は執念深い女だわよ。ひっそりと片思いしてるくらい、良いでしょう?」

「素直に認めちゃえばいいのに。別に良いじゃないですか、振られちゃったって。2回目だから免疫はあるでしょう? あ、蜂刺されは2回目の方が重篤になるんでしたっけ? 失恋に効く薬は、さすがのドミニクさんも持ってないですよね……」

「なぜかしら。すごくイラッとするわ」

「あ、それ血圧に悪いからやめてくださいね? それに、侯爵ミシェル夫人も聞いていましたよ? お嬢様の愛の告白」

「うっそぉ!? はぁぁっ。もう、いやだぁ」

「お嬢様が倒れてからというもの、侯爵夫人の殿下に対する風当たりがすっごいキツイんですよねぇ。そういえば、侯爵夫人の独身時代の異名、ご存知ですか?」

「知らないわ。……もしかして、元祖“強気MAX令嬢”とか?」

「そんな可愛いもんじゃないですよ。『女帝』、だそうです。『女帝』!」

「違和感ゼロなのが、却って怖いわね」


 待って。

 もしかして――あの「王命に近い命令」を発したのって、お義母様だったんじゃない?

 どんだけ権力持ってるのよ……。


「それより、リリー嬢が何ですって?」

「そうそう! 彼女、瀕死のお嬢様を横目にこう言ったんですよ。『殿下、おでこは大丈夫ですか?』って!」

「……安定のズレっぷりね」

「あの時、あの場にいた全員が気づいたと思いますよ? こいつ、聖女の資質ないなって」

「ようやく?」

「でもまさか、カロリーヌ妃殿下がご自身で毒杯を煽るとは思いませんでしたけれど」

「ほんとうにね」


 陛下の尋問により過去の悪事を暴かれ、廃妃となることが決まったカロリーヌ妃は、将来を悲観して毒杯を煽ったという。

 カロリーヌ妃は全身に麻痺が残ったものの、一命を取り留めた。

 陛下は彼女の名誉を守るため、実家の領地にある屋敷に生涯幽閉することを条件に彼女を死んだことにする決定を下した。


 そして3日前。

 王都にある大聖堂で、しめやかに形だけの葬儀が執り行われた。霧雨の降る中、陛下とリシャール殿下も参列したという。

 彼女の死因について、王室からは心臓の病による突然死と発表された。

 そうして、「カロリーヌ妃」と呼ばれた一人の女性は、実質的にも形式的にもこの世を去ることとなった。



「ブリジット夫人は、あれからどうされているの?」

「ガブリエル隊長が志願して、幽閉先のある公爵領の邸宅まで連行したそうです。生涯そこを出ることは許されないと聞きました」

「そう。じゃあ、リリー様もいよいよ自立せざるを得なくなるのね」

「これからは、少しずつ変わっていくんじゃないですか?」

「何が?」

「殿下を取り巻く勢力図」

「そうね……」

「お嬢様?」

「ううん。あの、殿下なんだけど。その、お見舞いには来てくれていたのかしら?」


 耳元でずっとささやかれていた言葉の主。

 あれは本当に、リシャール様だったのかな。それとも、私の願望が見させた妄想?


「昨日までは、一日に何度も来てくださっていましたよ?」

「『昨日までは』って、どういうこと?」

「現在、謹慎中ですので」

「どうして?」

「王命に近い命令だそうです」

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