第48話

「ったく……んで?俺が女と話してるのが、嫌だったんだな?」


 切り替えるように軽く溜め息を吐いたと思えば、また同じ質問を繰り返される。まだ飽きてくれていなかったようだ。

 ここまで来ると逆に最後まで付き合ってやる、という謎の意地が生まれてきた。


「ちょっとだけ、ね」

「嫌だった?」

「ぅ…そうだよ、嫌だったよ。ちょっとだけ」


 それでもそう簡単に素直にとはいかず、あくまでも『ちょっとだけ』を主張する。そんな私を見て、悠人は満足そうに笑っていた。


 ゆりかごのような揺れが止まる。


 膝の上に乗せられたままで、背中からつたい上がった悠人の大きな手がゆるく頸を撫でた。そのまま優しく引き寄せられて、目を閉じると唇が重なった。


 私よりもほんの少し高い悠人の体温をすぐ傍に感じて、体温が上がっていくのがわかった。少しずつ角度を変えて何度も啄まれる。


 既にいっぱいいっぱいな私とは違い、悠人は楽しそうだった。頸にあったはずの手はさらに回り込んで耳元で妖しく動き、背中に残されたもう片方の手は私の腰に降りて悠人の方に引き寄せられる。


 いつの間にか隙間がないほどに密着している。感じる壊れそうな心音がどちらのものなのかがわからなくて、私の身体の支配権がゆっくりと絡め取られていく。


 それが怖くて、助けてほしくて瞑っていた目を薄く開くと、悠人の綺麗な瞳とぶつかった。ずっと見られていたのだと気づき羞恥で踠こうとした瞬間、唇を割ってぬるりと舌が押し入る。


「待っ……はると、ちょっ…んぁ」


 絡められた舌の柔らかさと熱さに、身体が甘く震えた。耳殻を執拗に弄られ、腰を押さえ込まれて離れることを許されず、やはり呼吸はだんだんと苦しくなる。

 唇がわずかに離れた瞬間を狙い右手で悠人の背を叩いて停止を願い出るが、力の入っていないそれに悠人を止める効果は無かった。


 まだ慣れないざらついた感触や口腔内を我が物顔で舐め擦られる感覚。さらに触れられた場所から伝わる悠人の熱と、足りなくなる酸素で思考がとろとろと溶けていく。

 私の意思とは関係なく身体がピクピクと小刻みに揺れ跳ねて、止まらない。気持ちいいような、怖いような気がするが、鈍った頭は答えなど出せないまま。


 抵抗が弱まったことに気づいたのか、一方的に攻め込んできていた舌の動きが少し穏やかなものに変わった。褒めるように舌を絡め取られ、優しく吸われる。同時にそれまで耳殻で遊んでいた指が耳の中に差し込まれ、腰元の手の引き寄せる力はそのままに、ゆっくりと撫でる動きを始めた。


「ゃ…ん……ふ…んぅっ」

「は…可愛い声…」


 息継ぎの合間に囁かれた声の重く絡みつくような甘さに、もう馬鹿になっている脳みそがまたグラグラと揺れた。


 息をわずかに乱して、情欲を孕んだ目で見つめてくる悠人の表情もどこかぼんやりと、恍惚とした様子を見せている。


「ぁ………」


 その目に引き寄せられるように、大した力も入らない両腕をなんとか持ち上げて悠人の首に回す。傷口が痛いような気がしたが、そんなことは今はもうどうでもよかった。


「はると…きもちい…」

「…煽んな、馬鹿」

「ぇ…んぅ」


 一層深くなるキスに溺れそうになりながら、懸命に悠人の身体に縋りつく。悠人と触れ合う以外のことを考えられない。


「ぁう……んっ!?」


 瞬間、唐突に体勢が変化した。それまでは悠人の膝の上に居たはずが、なぜか私の背中がソファに沈んでいる。さっきまではっきりと見えたいた悠人の表情が陰ってしまった。


(逆光だ…顔見えなくなっちゃった…ん?逆光?)


 そこでようやく押し倒されたのだと気づき、慌てて悠人の胸を押し戻す。けれど直前まで骨抜きにされていた私がどれだけ力を入れても、鍛えられた身体はビクともしなかった。


「は、悠人…なに…?」


 探るように問いかければ、深い溜め息の後に言葉が続く。


「こっちは毎日生殺しだってのに、何煽ってきてんだよ」

「べ、つに……煽ったりとか…」

「してないって?あんな蕩けた顔で『きもちい』とか言っといてそれはないだろ。実際に今、俺は余裕なんてねえぞ」

「や、ちが…」


 向けられる声も視線も、身体をたどる指も、悠人の全部が弾けそうな欲を孕んでいるのが伝わってくる。誘って絡め取って、そのままぺろりと飲み込まれてしまいそうな、この上なく甘くてとても抗い難い。まるで甘美な罠だ。


 けれど受け入れたらきっと、戻れなくなる。この人無しでは生きられなくなる。自分の手から離せなくなって、きっと悠人を私に縛りつけてしまう。


「り、だよ…」

「ん?」

「…だめ、できない…」


 絞り出した声があまりにも小さくて弱いことに、密かに自嘲する。あまりにも愚かしい。私は何がしたいのだろうか。自分でもわからなくなっていく。


 それでも悠人の耳には届いたようで、押してもまったく動かなかった身体があっさりと起こされる。拒む私を見下ろしている悠人の表情は、やはり陰になっていてはっきりとはわからなかった。

 そこに浮かぶものが、批難や侮蔑を示すものでないことだけを、ただただ祈る。


「っ、悠人…」


 弁解をしようと呼んだ名は、どこからか聞こえてきた着信音に遮られた。

 その音に振り向いた悠人はゆっくりと私から視線を外し、そしてソファから立ち上がって離れていく。


 残された私ものろのろと身体を起こすと、落ち着かない気持ちを誤魔化すように乱れた髪を手櫛で整えてみたりしながら、電話中の悠人の背中をこっこりと見つめる。


 深い触れ合いで跳ね続けた心臓は、まだ完全には落ち着いていない。ドク、ドク、と脈打つそれが、悠人のものと重なっていたことを思い出すと、瞬く間に身体に熱が戻る。


 もしもあのまま身を任せていれば、きっと完全に囚われていた。いや、囚われてしまえたのだ。

 私がもっと綺麗で可愛らしい女の子であればよかった。そうでなくても、もっと屈託なく素直であれば、悠人を拒まなくてもよかった。


 どうして私は、こんな欠陥品なのだろう。

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Doting @mykn_ryo

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