第32話
THE・日本家屋といった風情の廊下をもこもこのスリッパで歩いていると、何度か組員の人たちとすれ違った。
その度にビクリと肩を揺らしてしまう私に対し、彼らは皆一様に立ち止まり、深々と頭を下げる。その様子にどうにも慣れない。丁寧な対応をされすぎると、逆に怖いような気がしてきた。
そんな事を小声で如月に訴えてみたけれど、返ってきたのはやはり綺麗な微笑みだ。
「若の婚約者なんだから当たり前だよ。それもあの悠人さんの」
慣れるしかないよと言われてしまえば、もう何も言える事はないのであった。
それからまた少し歩くと、広い部屋に通された。
お香だろうか、懐かしいような良い香りがして、少しだけ緊張が和らいだのも束の間。
そこかしこに大量に広げられている、見るからに高級とわかる着物たちを見た瞬間、緊張は今日一を記録した。
「お待たせしました、恭子さん」
隣に立つ如月が部屋の中に立つ和装の女性に向かって声をかけると、彼女はこちらを勢いよく振り向いた。少し距離があってもわかる。とんでもない美人だ。
その美女は私と目が合うや否や、凄まじい勢いで駆け寄ってきた。
「もう、遅いわよ!待ちくたびれちゃったじゃないの!ささ、央華ちゃんは着替えましょうね〜♡」
「は、はいっ…!」
答える前から脱がしにかかられていた気がするのだが、それは気にしないでおこう。
目の前の女性は間近で見てもやはり美人だった。濡れたような艶のある漆黒のショートボブに、切れ長のアーモンドの瞳。黒地に大輪の花が咲く着物がとてもよく似合っている。
何よりその独特な視線の強さは、悠人に似ているような気がした。
「さぁて、どの着物が似合うかしらね〜」
「恭子さん、たぶんそんなに時間は無いので…悠人さんの機嫌が悪くなるまでにお願いしますね」
如月が申し訳なさそうに告げた言葉に、恭子さんと呼ばれた彼女は頬をぷくっと膨らませ、可愛らしく不満を露わにする。
「来るのが遅かったのはあの子なのに!」
そう言って勢いのままに如月を退出させると、恭子さんはにこりと美しい笑顔を見せて、パン!と一度手を叩いた。
「さ、選んで選んで!」
強引に仕切り直され、腕を引かれてたくさんの着物の前に連れられる。
ひとつひとつ着物の説明をしながらも、煌びやかな着物と私を交互に見ては瞳をキラキラと輝かせる恭子さんは、失礼かもしれないがすごく可愛いかった。
「央華ちゃんだと、この桃色とか可愛くなぁい?あら、でも黒も捨てがたいわねぇ…」
「あ、どっちも可愛いです…」
「可愛くなぁい?と言われても、自分に似合うものがわからないんです」とはさすがに言えない。
自分に似合う色を知らないばかりか、着物を着る事自体が七五三以来かもしれないのだ。
もちろん似合うかどうかは抜きにして、着物は本当に綺麗で可愛いものばかりだった。
けれど今はそれ以前に、よく知らない人と二人きりにされてる状況だけでもいっぱいいっぱいだ。
自分の社交性の無さが本当に嫌になる。
「あ、あの、どんな色がいいのかわからなくて…。でも、ピンクはやめてもらえると嬉しい、です…」
心臓をばくばくさせながら、なんとかそれだけは伝える事が出来た。
たったこれだけに全身の体温が上がっているのがわかるほど緊張しているなんて、本当に情けないが、仕方がない。
これが現状の私なのだ。
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