ep.6 彼の立つ世界

第29話

 それからしばらくして、私が悠人との生活に慣れてきた頃。


「明日のパーティー、おまえも出席しろよ」


 夕食を食べ終わった後に突然そんな事を言われた。


 どうして前日の夜に言うのかとか、そもそも何のパーティーなのかとか、言いたい事はいろいろあるのだけれど、一番はこれに尽きる。


「なんで私が」


 一緒に暮らし始めてからも、悠人が何度か組の会合やらどこかの企業の関連パーティーやらに出席しているのは知っていた。


 けれど私に出席しろと言った事は一度も無かったというのに、ここにきて突然すぎるお誘いである。


 率直に言うと、極道の集まるパーティーなんて怖くて行けたものではない。


 もちろん、東堂組の人達が私にとても良くしてくれているのはわかっているが、それでもやはり、ただの一般高校生が行く場所ではないだろう。


「……行かないと駄目?」


 ソファで煙草を吸っている悠人の隣に座り、心では行きたくないと唱えながら尋ねた。


 そこでふと、そういえばお酒を飲んでいるところも、煙草を吸っているところも見たことがあるが、悠人が実際いくつなのかを私はまだ知らないなと思った。


 何が好きで、何が苦手で、どんなふうに生きてきたのか。知りたいことはたくさんあっても、それを訊いたことがなかった。悠人について、知っていることの方が明らかに少ないのだ。


 訊けば教えてくれるのだろうとは思うけれど、今はとりあえず、それは横に置いておく。


「私、人が多い場所得意じゃないんだよね…」

「知ってる。おまえが本当に嫌なら無理はしなくていい。ただ俺の婚約者として、東堂以外の傘下の組の奴らへの顔見せはいずれ絶対必要だ」


 宥めるみたいな、穏やかな口調でそう言って、悠人は私の頭を優しく撫でた。


「…そっか。だったらまあ、頑張ってみる」

「よし。準備は全部俺がやるから、央華は気負わずに堂々としてればいい」


 堂々と、なんて。私にはだいぶ無理のある要求だ。

 けれど悠人の隣に立つのならば、それが必要であることもわかっている。


「如月も一緒に行ける?」

「あ?」

「ひぇ…」


 突然怖い声を出すのはやめてほしい。機嫌が急降下したことがよくわかる地を這う低音に、喉奥から変な声が漏れてしまった。


 どうして悠人以外の男の名前を口に出すだけで睨まれなければならないのだろう。別に特別な感情があるわけでもないというのに。


「なんでそこで如月なんだよ。俺だけじゃ不満か?」

「や、だって悠人は向こう行ったら挨拶とかで忙しいでしょ。如月ならまだ組の人間じゃないし、くっついていられるかなって」

「駄目。おまえは俺の近くに居ればいいんだよ」

「……大勢の中で一人になるのとか、大っ嫌いなんだよ」


 誰も居ない所で一人で居るより、人がたくさん居る中で一人の方がよっぽど孤独に思える。


「……如月におまえの護衛をさせる。それでいいだろ」

「うん。ありがと、悠人」


 渋々ながら承諾してくれた悠人に感謝をこめつつ彼の肩に頭を寄せると、それに気づいた腕がすぐに私の腰に回り、そのままぎゅっと引き寄せられる。


「っ…」

「あんま可愛い事すんな。俺の理性はそんな頑丈じゃねえぞ」


 耳元で告げられた言葉が掠れて、甘さを含んでいるのがわかって。


「き、気をつけます……」


 そう答えたものの、悠人のそんな言葉が前ほど嫌じゃない自分が居た。

 悠人なら私の全部を受け入れてくれるんじゃないかと、期待する自分が。


「…央華?」

「ん、何?」

「おまえにとっちゃ居心地のいい場所じゃないかもしれねえけど、我慢してくれ」


 悠人が少しだけ表情を陰らせて言ったその言葉の意味を、まだ私は正確に理解出来る訳じゃないけれど。


「…まあ、悠人が味方なら怖くないかな」


 私の我慢が悠人のためになるなら、大丈夫だと思える。


「心配要らないからね。わざわざ面倒事に突っ込んだりしないし、巻き込まれそうなら出来るだけ逃げるっていうのが私のモットーだから」

「…ははっ!なんだそれ」


 私の言葉に笑いながら、悠人は私をぎゅっと抱きしめた。いつもより少しだけ力の強い腕の中に収められて、胸の中が甘く疼く。


 考えるよりも先に、その身体をしっかりと抱きしめ返した。


 悠人が与えてくれるのは私がずっと欲しかったものばかりだ。ひたすらに向けられる好意と必要とされている実感。


 悠人の花嫁として迎えられて一ヶ月ほどが経っている今、私は完全に悠人に囚われている。


「あー…央華抱きしめてると眠くなってきた……」

「じゃあ寝よっか、悠人」

「ん」


 答えた瞬間に悠人が私を抱えて立ち上がり、そのまま寝室に向かっていく。


 なんで短い距離をわざわざ抱えて歩くのか、という私の質問に対して、「離したくないから」という答えが返るのは、この一ヶ月の間で何度も繰り返した問答だ。


 無駄に大きいベッドの上に降ろされて、私の隣に悠人が寝そべる。


「おやすみ」


 そんな優しい声に誘われる様にして、私はゆっくりと瞼を閉じた。

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