第14話

(あ、やばい)


 そう思ったときにはもう遅く、次の瞬間には私の左手は悠人の右手にがっちりと捕まっていた。


「な…何…?」

「俺へのお願いはどうやってするんだっけ?」

「……………あ」


 悠人の言葉の意味を理解した途端に一気に熱が頬に集まる。


 ついさっきのことだというのに、もう頭の隅に追いやられていた。私はどれだけ記憶力が乏しいのか。いや、もともと記憶力は悪くはないのだ。ただ少し、都合の悪いことや面倒なことを後回しにしてしまう癖があるだけで。


「お願いあるんだろ?早くキスしろよ」

「恥ずかしいから無理!ていうか、悠人もう機嫌直ってるからいい」


 顔を真っ赤にしながら拒否する私を見つめ、悠人は愉しそうに笑っていた。


「ほら央華、キス」


 掴まれた左手の上を悠人の指が撫でるように動く。目を細めて耳元で囁かれてしまうと、私はその言葉を拒否しきれなくなってしまう。


 出会って一日も経っていないのに、悠人は私のことを知り尽くしているみたいだった。


「……」


 ちゅ…と、意を決して悠人の頬に唇を寄せる。

 触れたのはほんの一瞬で、すぐに離れた。


「っ…これでいい?」


 絶対に首まで赤いとわかってはいるが、恥ずかしがったら負けたような気がして、隠せはしないことは承知の上で、それでも強気に尋ねると、きょとんとした悠人と目が合った。


「そこじゃねえ。こっちだ」


 そんな呆れたような声と共に後頭部に大きな手が回される。そして気づけば、あっという間に悠人の方へ引き寄せられてしまった。


「んっ……」


 唇に触れた自分とは違う体温が、頬にキスした時よりも熱く感じる。


 突然すぎて頭はまったく着いてきていないが、重なっているのは確かに、間違いなく、私と悠人の唇だった。


「んんっ…んーっ!」


 息苦しさに声を漏らす。


 思えば誰かとキスなんてこれが初めてで、つまり俗に言うファーストキスということになるのだろうか。


 だから当然キスの仕方なんてものは知らないし、息をするべきなのかもわからない。


 角度をゆるゆると変えながらも、唇を食むようにして触れ合う自分とは別の温度。


 訳もわからず目を強く閉じてしまったので、触れ合っている場所の感覚が更に研ぎ澄まされてしまう。


 頭の中に浮かぶのは意味を成さない悲鳴のようなものばかりだ。


 逃げようにも後頭部はしっかりとホールドされている。そしていつのまにか私のうなじから右耳にかけても反対の手で固定されていた。


 無理だ。これ以上は死んでしまう。


 命の危機だとできる限りの力を込めて悠人の胸を押せば、案外簡単に唇が離された。


「は、はぁっ、はぁっ…」

「おまえ…息は止めなくていいんだよ馬鹿。大丈夫か?」


 肩で息をする私に対し、悠人は眉根を微かに寄せて困惑と心配を同時に見せていた。


 馬鹿だと言われても、経験が乏しいのだから仕方ないだろう。初心者には優しくしてほしいものである。


 初めてのことを最初から上手くこなせる人間の方が少ないはずだ。絶対に。


「う……だって…したことない…」


 こんなことを言うつもりではなかったのに。酸素が上手く脳に行き渡っていないのか、思考が少しぼんやりとしている。


 ここは毅然として、いきなりでびっくりしただけだから、とか、そんなふうに言う方がよっぽど私らしいだろうに。


 だけど息苦しさから生理的な涙が溢れて、息を止めていたせいで全身が上気している。


 たぶんきっと、いや絶対に顔は真っ赤だ。

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