第11話

「…ねえ、悠人」

「んー?」

「そこに顔うずめるのやめて…っ!」

「無理」


 抗議も虚しく、正面からベッドに座ったまま抱きしめられて、悠人の顔は未だ私の首元に埋まったまま。何にも守られていない首筋に、悠人の吐息が触れるたびに体温が上がり、髪が触れるたびにくすぐったくて身を捩る。


 昨日から薄々勘づいてはいたのだけれど、悠人はかなりの甘えたなのではないだろうか。


「…あ。いいこと思いついた」

「え」


 悠人の言う『いいこと』は果たして本当にいいことなのか。私の勘は絶対に違うと叫んでいた。


「…何?」


 今ばかりは勘が外れてくれることを願いながら、おそるおそる問いかける。


 その問いに対して、悠人は心底愉しげに不敵な笑みを見せた。


「これから俺にお願い聞いて欲しいときは、央華からキスするってことにするか」

「は?なん、…何考えてんの!?」

「よし、決定。これから楽しみだな」


 私を抱きしめたまま耳元ではしゃぎだす悠人は子供のように笑って、とても楽しそうだった。


 一方で突然の決めごとに私は未だ話の流れに取り残されている。


 拒否権なんてものがもともと与えられていないみたいだ、と思ったが、同時にそれが当然だろうとも思った。

 そんなの当たり前だ。私は悠人に金で買われたも同然の婚約者なのだから。対等であれるはずがない。


『央華がずっと欲しかった』


 あの言葉が本当だったとしても、きっとそれだけですべてが平らになるわけではないだろう。

 どうしたって、私と悠人の間には二億という巨額の金が存在するのだから。


 悠人の言葉をすべて鵜呑みにして甘えられるほど信用出来てはおらず、たぶんそうするべきでもないはずだ。


「央華?」

「え、何?」


 また思考が旅立ってしまっていたようで、そこに打って変わって真剣な声音で呼ばれた名前に動揺する。

 普段よりも少しだけ低い、訝しんだ声。


 呼ばれるがまま視線を合わせると、こちらを射抜くようなその美しい漆黒の瞳にも、さっきまでの浮かれた雰囲気は微塵も無かった。


「おまえ今、何考えてた?」

「や、別に大した事は…」

「言え」


 ついさっきまで子供みたいにはしゃいでいたくせに、急にこんな顔をするのは狡い。


 抗うことを許さない、命令しなれた人間の持つ独特の圧力を感じて、おそるおそる口を開いた。


「………悠人がどんな提案をしたとしても、買われた立場の私には拒否権なんて無いんだろうなあ…って、考えてた、だけ」


 視線を外した状態で私が言い終わると共に、悠人はわざとなのか大きく溜め息を吐く。


 そして次の瞬間には、顔を両手で挟んで無理矢理視線を合わせられて、逃げ場は無くなった。


「あのなあ、央華。確かに俺はおまえを金で買ったようなものだ。だけどそれはこの状態に至るまでの過程であって、今はもうまったく関係無い」

「…そう言われても、そういう風に考えちゃうよ。……悠人がお姉ちゃんじゃなくて私を選んだ理由もわかんないし」


 まっすぐに私を見て話す悠人の言葉には、やはり嘘は無いのだろうと思う。


 けれど私の思考回路が基本ネガティブなのは今更変えようのない事実であり、腑に落ちない所があるのも事実だった。


「麗華じゃなくて央華を選んだ理由?」


 そんな私に、悠人は心底不思議そうな表情を浮かべ、眉を顰めて呟くと、


「俺は央華が好きなんだぞ?麗華を選ぶ理由が無いだろ」


 至極あっさりとそう言った。それがさも当然と言うに。


「…でも、お姉ちゃんの方が可愛いし。スタイルもいいし、女の子らしいでしょ?多少の癇癪持ちだけど」


 小さくそう言うと、瞬間、再び悠人に正面から抱きしめられる。


「っ…悠人?」

「央華が一番可愛い」

「…は?何言って…」


 突然の言葉に戸惑う。儚いものを呼ぶみたいな声で、可愛いなんて、言われたことはない。


「おまえしか可愛くねえよ。央華以外は誰でも同じだ」

「……同じな訳ないでしょ…」


 小さく、反射的に反論したが、じわじわと胸の辺りが温かくなった気がして、やっぱり悠人の言葉を嬉しいと感じる自分を自覚する。


「同じだよ。おまえしかこうしたいと思わねえし、キスしたいとも思わねえ。もちろん抱きたいとも思わねえからな」

「わ、わかった、わかったからもういいよ…」


 嬉しいのだが、耳元で囁くように真剣な声で繰り返されるとだんだんと恥ずかしさが強くなってくる。耐性が無いのだ。頭も顔も異常に熱い。

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