第8話

「それでは、契約は完了です。──皐月、新しい自宅まで送って差し上げろ」

「はい。わかりました」


 悠人に呼ばれた青年に促され、母と姉はその場から腰をあげる。


 未だに話に着いていけていない姉は、部屋を出るまで何度か私の方を振り向いていった。母は一度たりとも、こちらを振り向くことは無かったけれど。


「──さて、おまえには部屋を教える……どうした?」


 三人が出ていき、部屋に私と悠人しか居なくなってから、悠人が元の口調でそう言った。


「何考えてるの?」


 立ち上がって手をさしのべる悠人を睨みあげる。


「なんで私を婚約者になんてするの」


 私の言葉にわずかに目を瞠った悠人は、一瞬だけ考えたかと思うと私の目の前にしゃがみこんだ。


「なんでって……俺はどうしても、おまえが欲しかったからだ」

「は…?」


 何の冗談かと思った。

 そんな風に言えば、私がその気になるとでも思っているんだろうか。


「頭おかしいの?会ったこともないのに」

「おかしくない。全部本気」

「適当な冗談はやめて」

「冗談じゃない。六年前からずっと、俺はおまえしか欲しくなかった」


 そんなの嘘に決まってる。

 けれどその声に偽りなんて感じられず、彼が本気でこんな馬鹿なことを言っているのだと知らされた。


「ずっとだ。ずっと欲しかった。ようやくそれが叶ったんだ。褒められた方法じゃないのはわかってる。それでも俺は央華以外選べねえから」

「……なにそれ」


 どうして、初めて会ったはずの彼がこんなにも自分を想っているのか。

 痛いくらいに伝わってくる感情からは、目を背けることなんて出来なくて。


「おまえに後悔はさせない。絶対に俺が幸せにしてやる。もう離さねえし離れるな」


 言い終わる前に悠人は私を抱きしめた。

 強く、本当に離さないと伝えるように。けれどその手は優しかった。


 それがなんだか縋られているみたいで、私もおそるおそる悠人の背中に腕を回した。

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