第4話
手足をジタバタと動かして訴えると、男の足がピタリと止まった。
鍵をかけさせてくれるのかと思ってその端正な顔を見つめると、なぜか彼は眉をひそめて私を見ていて。
「この状況で心配すべきは家の鍵じゃねえだろ」
それはそう。もっともだ。
普通こんな状況で真っ先に心配するべきは我が身の安全だろう。まず誘拐とかそこらへんの犯罪を疑うべきだと私も思う。けれど、
「わざわざ私を誘拐する理由が無さそうだなって…思って…」
私の咄嗟の勘はなかなか当たる。
十六年生きてきた中でもとびきり理解不能な状況ではあるが、詰まるところ人間が最後に信じるべきは己のみ。その私の勘が、この人から悪意を感じないのだ。
「へぇ…おまえ誘拐とかされんなよ?」
なぜか真剣味を帯びた表情で、幼子に向けるようにそう言われた。今、この状況で、この人が言えたものではない気はするが、変に反論するのは少し怖い。
「は、はぁ…」
取り敢えず曖昧に頷いた私に向けて、何故か静かに微笑んだ男のその表情がやけに優しく見えたのは気のせいだったのだろうか。
すぐに元の感情の読めない顔に戻ってしまったのでよくわからない。
私がそんな事を考えている間に男はその長い脚でボロい階段を降りきったらしく、顔も良くてスタイルも良いなんてすごいなと多少現実逃避なことを考える。
けれど、男はそのまま足を止めずに歩き続けた。私を降ろす気配もない。
気になってチラリと視線を動かすと、なぜかボロアパートの前には不釣り合いな黒塗りの高級車が止まっていた。
閑静な住宅街では恐ろしく浮いているそれ。
どう考えても危ない仕事の人が乗ってそうなそれに、あろうことか男は私を抱きあげたまま迷う事なく乗り込んだ。
「真山、出せ」
「はい」
車内には男の運転手が一人。乗り込んだ男の一言で高級車は静かに進み出した。
「あ、あの」
「ん?」
「離してくれますか?」
車が動き出してからも彼が私を離す様子がない事に気づいて、おそるおそるそう告げる。
「……わかった」
断られるかと思っていたのに案外あっさりと承諾した彼は、そのまま私を自分の隣に座らせた。
「央華」
「…なんですか」
「いや…やっと会えたと思ってな」
「…はい?」
そんな事を言う彼の表情は柔らかくて、私の頬は勝手に熱くなる。
こんなに整った顔の人は、いくら男子の多い高校だっていってもそうそうお目にかかれない。芸能人だと言われても納得するレベルの美形なので仕方ないのだ。
そんなことよりも、彼の言葉からして、私は彼とどこかで会った事があるのだろうか。こちらにはまったく覚えがないのだが。
気になることはまだある。
「えっと……」
「
「は、悠人さん、…あの」
「悠人。敬語も要らない」
「……悠人」
どう見ても年上の男の人を呼び捨てにするのはどうにも居心地は悪かったが、ほとんど強制的に呼ばされたそれに彼ー悠人は満足したようだった。また柔らかく笑って、私の髪をそっと撫でる。
「あの、聞いてもいい?」
「どうぞ」
「私はどこに連れて行かれるの?」
撫でられ慣れていないが故に込み上げてくる言いようのない気恥ずかしさをなんとか無視しながら、呼び方の問答を終えてようやく聞けた。
兎にも角にも、それが一番知りたかったのだ。
「着いたらわかる。あと少しだ」
けれど返ってきた答えはそれだけで、悠人は指先で私の髪を弄び始めてしまう。これ以上は今は教えてくれそうにない。
「…わかった」
私の勘と悠人のこの様子から考えてみても、命の危険が間近に迫っているわけではないと思うのだが、とりあえず悠人に悪意が無いのは確かだろう。
ただ、だからといって不安が無い訳じゃない。
「……」
「……」
話す事が無くなり、車内に沈黙が降りる。
家の鍵は結局かけられなかったし、ゲームだってそのままにしてきてしまった。
私のゲーム機は選択肢で止まってスリープモードに入るまで既読パートをスキップし続けるだろう。あのゲームは最初の選択肢までのテキストが多い。
母や姉が帰ってくるまでに、果たして私は家に帰れるのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます