9 ご存知か

 神様に呼び出された。なんというか恐ろしい。親にさんざん「全ての行いは神様が見てるんだよ」と言われて、小さいころは怖くて鼻をほじることすらできなかったのを思い出す。まあ自分がいま呼び出された神様はそういう神様ではないけれど。


 あんずさんがスヤァと寝ているので、ほわぁんと空中を浮いて天界に向かう。神様は面倒そうにハナホジしていた。怖がって損した。


「お前、記憶を消した人間に思い出されそうになってるぞ?」


「はあ……」


「はあ、じゃねんだわ。マジやべぇんだわ。お前は秩序をぶっ壊そうとしてんだぞ」


 秩序。

 この神様のいう秩序というものは、どれくらいの尊さのものなのだろう。

 神様のいう秩序がどれだけ正しくても、あんずさんを守れるのは自分1人なのだし、自分はあんずさんが好きだ。そして自分のくだらない命を投げ出した。それ以上に尊いことはないのではないか。


「お前、転生する気ない?」


「なににでござるか。あんずさんの子供に生まれて殺人鬼と心中するのはごめんでござるぞ」


「あの最終回は賛否両論だったからな……それはともかく、真面目に現状がヤバいのよ。バレたらお前は消滅するんだからね? 輪廻転生も天国の幸福もない、ただただ無に還るだけの消滅だよ?」


「自分はそれで構わんでござる」


「はあ????」


「だって自分は生きてる価値がなくて、唯一価値を持ったのはあんずさんを助けて死んだときだけでござるぞ。ならば消滅してもなんの問題もないでござる」


「禅か」


「うちの親はクリスチャンで自分は無神論者でござる。まあ目の前に神様がいるのに言うことじゃないでござるが」


「親がクリスチャンならわかるだろ。人間は等しくみんな罪人だ。お前の価値はそこにはない」


「そうでござろうか。あんずさんには未来があるでござる、もし仮に自分が高校を卒業して、そのあと社会人になったとて……あのとき以上に人の役に立てたでござろうか?」


「生きるのは尊いことだぞ?」


「自分のような人間の命のなにが尊いのでござるか? 自分の葬式を見たでござるがクラスメイトはあんずさんに自分のことを『チー牛』と言ったでござるぞ?」


「チーズ牛丼おいしいのにな……」


「それはそうでござるな……」


「まあとにかく注意はした。これ以上バレそうなことをしたらまた呼び出すから、そこんとこしくよろ」


 そんな塩梅で下界に引き戻された。あんずさんはなにやらうなされている。


「うーん……うーん……パッドじゃないから……生乳だから……嘘じゃないから……」


 あの篠沢とやらのせいであんずさんがうなされているでござるぞ。自分は守護霊スマホを取り出し、「安眠」のアイコンをタップする。するとあんずさんは穏やかにすうすう寝始めた。

 許すまじ篠沢と思ったものの、篠沢を土壇場で役立たずにしたのは自分なのであった。

 あんずさんが心穏やかに暮らすには、本当に愛してくれる人と巡り逢うには、自分が頑張るしかないのだ。


 あんずさんが寝返りを打ったところで、スマホになにか着信があった。あんずさんは驚くほどの速度で目を覚ましてスマホを取った。


「篠沢さんだあ……」


 あんずさんはうれしそうな、でも緊張した顔をした。

 しかしメッセージのやり取りで緊張する相手と、どうえっちしろというのか。ボノボだったら自慰するでござるぞ。


『もう寝たかな?』


『だいじょうぶ、起きてた』


 大嘘である。大丈夫なのでござるか、そうやって束縛してくる相手と付き合って。

 眠そうな顔でポチポチとメッセージをして、あんずさんはずいぶん遅くまで起きていた。


 翌朝あんずさんはのろのろと8時くらいに起きてきた。

 いちごさんが茶の間で宿題をしながら、「ちいねえ、もう朝ドラは終わったです」とあんずさんに声をかけた。


「朝ドラってそんなに面白いの……?」


「そりゃもう、皆様の受信料で制作されているですから。一流の俳優、一流の脚本家、一流の音楽、一流の」


「わかったわかった。朝ごはんある?」


「ちいねえは遅く起きてきたから朝ごはんは抜きなのです。……うそなのです。はい」


 朝ごはんはスクランブルエッグとロールパンとコーヒーというシンプルなメニューであった。

 あんずさんは眠い顔をして、もぐもぐ……とロールパンを口に押し込んでいく。


「はあ……ねむ」


「顔にクマできてるわよ」


 りんごさんが呆れ顔であんずさんを見ている。あんずさんは1発あくびをした。


「夜遅くにメッセージしてたから……」


「やめなさいよ、そういう馬鹿みたいなことは。あんた、もうちょっとマシな男と付き合いなさい」


「だって嫌われたくないし……」


「メッセージの返事が夜になったくらいで嫌いになる男はそもそも付き合う価値がないの!」


「そうなん? みんなこーゆーことしてるよ?」


「ちいねえはなにかを間違えているのです。恋愛というのはそもそも互いを思いやることなのです。ちいねえは「賢者の贈り物」をご存知か」


 いちごさんがいきなり「ナートゥをご存知か」みたいに言うのでちょっと笑ってしまったでござる。


「ああ、プレゼントのすり合わせが足りなかったカップルの話ね」


「ちいねえの言うことには夢がないのです。あれは相手のいちばん大事なものをさらに素敵にするものを、自分のいちばん大事なものを投げうって手に入れた美しい物語なのです」


「よくわかんない」


「要するにちいねえの付き合っている男に対して、ちいねえは全てを投げうてるのですか?」


「……」


 あんずさんは黙ってしまった。それから頭痛を催した顔をして、「なんか……あたし、大事なことを忘れてるんだよね……」とつぶやいた。(つづく)

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