第14話

 宮殿を離れ、クラリッサは足元悪い中馬車の揺れに身を任せながら夜の雨空を見つめていた。


 イリアナが誘拐されて以来、状況は混沌としている。彼女は本当に王子暗殺を企てたのか。それとも誰かに嵌められたのか。その答えを出すのは難しかった。しかし、クラリッサの心の奥底には別の感情が渦巻いていた。


「……クラリッサ様」


 突然、馬車の御者台の影から低い声が聞こえた。クラリッサは窓のカーテンを少し開け、顔を覗かせる。そこには、くすんだ茶色のフードを被った男が馬車と並走していた。


「ご伝言です」


 男は周囲を警戒しながら、小さな封筒を馬車の窓からクラリッサに手渡した。彼女はそれを慎重に受け取り、そっと封を切る。


『兎が罠にかかった。次は兎を美味しくいただくために、晩餐の用意せよ。お前にはその才能があると信じている。期待しているぞ。』


 短い文章だった。しかし、その内容はクラリッサの胸を締めつけた。彼女の手が震える。しかし、逆らえない強制力があった。


 イリアナを陥れろ。


 その命令の意味を理解したクラリッサは自然と握り締められた。


イリアナ。誰もが彼女を称賛し、彼女を慕った。才色兼備で、気品があり、誰からも愛される存在。


「……彼女ばかり」


 思わず呟いた。クラリッサがイリアナと出会った時、貴族の息女たちが集まる寄宿学校だった。幼いころからクラリッサはその寄宿学校で教育を受け、育ち、ずっと寄宿学校でも注目される存在であった。 

 そこに中途入学という形で入ってきたのがイリアナだった。ロムスロイ伯爵家の養女として、彼女のことを身分違いとみるものも少なくなかったが、クラリッサはその彼女を優しく接した。


 何も知らない雛鳥を助けた自分というものを思い描いたのかもしれない。慣れない彼女を手助けし、最初の友人となった。しかし、その雛鳥はいつしか自分より輝く淑女なのだと気づいた時には、彼女の周囲の評価は不動の物となっていた。

 養女とはいえ、有力伯爵家の娘であり、それに負けないほどのふさわしい技量を持ち合わせている彼女の存在は注目の的となる。

 

 クラリッサがいつしか彼女の影になっていった。


 彼女は何をしても評価される淑女としての振る舞いと才能。

 

 比べられるたびに、クラリッサは胸を痛めていた。


 しかし、それだけならまだよかった。イリアナが持っているものを羨んでいるだけなら、まだよかった。


「でも……なぜ彼女だけが、すべてを手に入れるの?」


 それが、嫉妬へと変わるまでにそう時間はかからなかった。


 公爵の指示に従えば、イリアナは罪に問われる。もう二度と、誰からも称賛されることはなくなるだろう。そうなれば、ようやく自分は彼女の影から抜け出せるのではないか。


 クラリッサは唇を噛み締める。


 不安で潰されそうな息苦しさが彼女を支配した。


「……そんな甘いことを言っていられる立場じゃない」


 すでに始まってしまったのだ。いま命令に逆らえば、今度は自分が狙われるかもしれない。ましてや、イリアナは既に疑いの渦中にある。彼女が追い詰められるのは時間の問題。


「……やるしかないのよ」


 クラリッサは封筒を握りつぶし、ゆっくりと馬車の座席に身を沈めた。彼女の目には、もはや迷いはなかった。


 馬車は静かに夜の闇へと消えていった。

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