第19話 愛しい弟


「遅い」


 飛んできた叱責に綺宵は拱手で答えた。

 叱責をした張本人——凌峯は龍賢が倒れたことで混乱しているのか顔を青白くさせて、落ち着かない様子でうろうろとあたりを歩きながら眼光鋭く綺宵を睨みつける。


「凌峯どの、そのようなことは言わないでください」


 綺宵を守るように玉麗が前に進み出た。


「わたくしが呼びにいくのが遅くなったから、彼は悪くありませんわ」

「いいえ、こいつの仕事は彩王さまの眠りを守ることなんですから、呼ばれたら寸秒で来なければいけません」

「まあ、そんなことをおっしゃるのですか? 彼は道具ではないのですから、そうやって無理難題を押し付けないでくださいませ」


 玉麗は腰に手をあてて、上半身を前屈みにさせた。他者を叱責する際の彼女の癖だ。


(久しぶりに見たな。玉麗は相変わらず凌峯を尻に引いているのか)


 懐かしい光景は、思わず笑ってしまいそうになるが綺宵は気を引き締めた。


「許しも得ずに会話することをお許しください」


 勝手に拱手を解くと凌峯の名を呼ぶ。

 綺宵が見つめると、凌峯は舌打ちして視線を逸らした。


「彩王さまはどこにおられるのでしょうか? 微力ながら、あのお方の不安を取り除けるように尽力する次第にございます」

「……こっちだ。ついてこい」


 案内された一室は多くの者が集まっていた。

 その者たちを見て、綺宵は驚いた。集う者たちは皆、蒼詠の側近たちだった。


「凌峯、彼が件の宦官かい?」

「君は会ったことなかったか。彼がそうだよ」


 老齢の女官の問いかけに、年配の宦官が答えた。


「本当にこの子がいたら彩王さまは安らげるのか?」


 庭師の男は不思議そうに首を傾げる。

 その隣で年若い娘が「本当よ」と声を張り上げる。顔立ちからして、老齢の女官の孫だ。蒼詠の時に会った記憶がある。


「みんなも知っているでしょう? この子が来てから彩王さまは夜も眠れるようになったのよ」

「怪しい術でも使ったんじゃないだろうね。あの方になにかしたらタダじゃおかないよ!」

「もうっ、お婆さま。そんな意地の悪いこと言わないで」


 年若い娘が声を張り上げた時、



「——うっ……ぐぅ……!」



 房室の奥から苦しそうな声が聞こえた。

 周囲は揃って息を止めると眉を顰めて帳の奥を見つめる。そこに龍賢がいると知った綺宵は人混みを掻き分けるようにして奥へ進もうとした。


「すみません。みなさまは外で待っていてもらえませんか?」


 綺宵の頼みにすぐさま反感が返ってきた。宦官風情の偉そうな態度に怒りを露わにする者、胡乱うろんげな目を向ける者、攻撃的ではないが納得がいかない者。前世から彼らをよく知る綺宵は(だろうな)と思う。

 彼らの性格上、忠誠を誓った主人を放っておくなどできないのは、自分がよく知っている。


「はいはい、すんませんね」


 張り詰めた空気を緩めたのは、輪を裂くようにして現れた墐章だった。


「墐章さん、どうしてここにいるの?」


 綺宵は上背のある墐章を見上げた。墐章がここにいるということは、臥室を守る者がいなくなってしまう。


「ちょっと、な。代役捕まえたから、そいつに頼んできたのさ。それで、話は分からないが綺宵は自分以外に出ていって欲しいんだろう?」

「え、うん。できればだけど」


 ちらり、とかつての側近たちを盗み見る。まだ、綺宵じぶんへの不信感は拭えていないようで射るような眼で睨みつけていた。説得しようにも骨が入りそうだ。危険は大きいが、このまま綺宵が対象しようと考えた時、墐章が深く頭を下げた。


「こいつは彩王さまを傷つけようだなんて微塵も考えたことはありません。そんな腕力もないし、誰かを傷つけて平然とできるようなタマじゃない」


 地面に額を擦り付けながら、大きくはっきりとした声音を発する。


「みなさま方が不安に思うのも当たり前です。けど、少しでいいんで、綺宵に時間を与えてやってください」

「それを、信用しろと?」


 年配の宦官が言った。

 墐章は頷く。


「もし、綺宵が彩王さまに害を成すっていうのなら俺が斬ります。その後、罰も受けます」


 背筋を正しなさい、と玉麗が命じた。


「少なくともわたくしと凌峯どのは、綺宵を信用しているつもりです。ねえ、凌峯どの」


 凌峯は答えない。無言で綺宵を睨みつけたままだ。

 はあ、と玉麗は悩ましげにため息をつく。


「現に彩王さまと二人きりでいても彼は一度も傷つけようとはしませんでした。害はないと判断してもいいでしょう」


 湖面に石を投げ入れた時のように周囲にさざめきが広がった。龍賢のわがままで始まった添い寝は、いつしか定番のものとなったが彩王としての評価を下げないため一部の者しか知らされていない。龍賢が宦官を妃嬪代わりに寵愛しているという悪趣味な噂は、所詮噂だと思い込んでいた者たちは驚きに目をいた。


「けれど、この状態の彩王さまをお一人にするわけにはいきませんわ。十五分一刻、それ以上は許しません」

「十分です。ありがとうございます」


 不服そうな者たちの背を押すようにして、凌峯と玉麗は去っていった。


「失礼します。彩王さま」


 一人残された綺宵は、断りを入れてから帳を捲る。

 褥で横たわる偉丈夫を見て、綺宵は眉根を寄せた。滝のように汗をかきながら、自らの首を絞めている。はくはくと口が開閉しているが、首を締め上げる手のせいで満足に酸素を取り入れることはできないのだろう。顔を赤くさせながら悪夢に魘されている姿はあまりにもいたわしい。


「彩王さま、どうかされましたか」


 龍賢の手に触れた。体温は火傷しそうなほど高い。

 力では敵わないと知りながら龍賢の指を首から剥がそうとした。


 ——無理だった。指は更に首を締め上げる。


「彩王さま、それでは息ができませんよ。首から手を離してください」


 それでも龍賢は離さない。

 仕方ない、と綺宵は唇を開く。自分の身の安全よりも、龍賢を苦しみから解放する方が優先すべき事柄だから。



「——龍賢」



 あの頃のように可愛い弟の名前を舌に乗せた。


「僕の言葉が聞こえるかい? そのままじゃ、苦しいだろう。いい子だから手を離しなさい」


 自傷を繰り返す手がぴたりと止まる。汗ばんだ額に張り付いた前髪を払いのけると、恐怖に慄く瞳が顔を覗かせた。


「そう、お前は本当にいい子だね」


 目尻に溜まる涙を親指で拭い、頬に滑らせる。


「……蒼詠にいさま」


 その手に、龍賢は自らの頬を擦り付けた。


「俺は、あなたを殺した」

「うん、そうだね。よく覚えているよ」


 記憶が蘇ってから時間が経つにつれ、綺宵の記憶は朧げになり、かわりに蒼詠の記憶が鮮明になっていった。自分を殺そうが憎いだなんて思わない。蒼詠の中の龍賢はいつまでも可愛くて目の離せない末っ子でしかない。


「あなたが、後宮ここにでてくるのは、俺が憎いからだ。探した。ずっと、謝りたかった。それなのに、どこにもいなかった」

「僕は誰も恨んではいないよ。そうやって、勝手に思い込んで、自分を追い詰めるのは龍賢の悪い癖だ。こんなに大きくなっても、まだ直っていないんだね」

「なぜ。俺はあなたを殺した」

「……それは、僕を救うためだったんだろう? あの火傷では、どうせ僕は長くはなかった。お前に残酷な決断をさせてしまったね」


 ごめんね、と謝罪する。

 龍賢はまなじりから涙をこぼしながら首を振る。


「俺は、彩王にはなれない。蒼詠にいさまじゃなきゃ、彩王は務まらない」

「ずっと僕との約束を守っていてくれたのは知っている。あの国がこんな豊かになって、人々が幸せそうな姿を見ていたら分かるよ」


 綺宵は龍賢の瞼を手のひらで覆った。


「ほら、もう眠るんだ。ゆっくり眠れば、きっといつも通りになるから」


 龍賢は抵抗するように唇を震わせたが、しばらくすると肩から力が抜け、深い吐息とともに眠りへと堕ちていった。

 それを見届けた綺宵は、龍賢の髪を優しく撫でた。長きにわたる悔恨かいこんを忘れて、今は眠りの中へと溶けてゆくようにと願いながら。

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