第3話 運命を変えた出会い


 幼い頃から、アメジアは父親から魔人族グリゴリアスについて幾度となく聞かされていた。


 アメジアの父キュクヌスは、「騎士パラディン」という、魔人族や魔人族が使役している魔獣と呼ばれる怪物と戦う職業に就いていた。だからか、魔人族について詳しかった。


 いわく、人類圏ができる以前——神代からの人類の敵。


 いわく、大昔に魔神と呼ばれる存在によって創造された。


 いわく、個としての力は人間を遥かに上回り、強靭な肉体と膨大な魔力を持っている。


 いわく、見た目は人間に似ているが、その中身は残虐非道。言葉は通じるが対話は成立しない。


 そして、とにかく強く、恐ろしく、悍ましい存在。


 そう教えられてきた。



 

 



 

 そして時を経て。

 魔人族に村を襲われた日——父の口から語られた言葉の意味をアメジアは思い知ることになった。


 目の前に現れたのは、想像のはるか上をいく脅威。


 結界に守られているはずのこの人類圏内の村に、それは現れた。


 空に浮かぶその姿はヒト型をしていたが、明らかに「人」ではなかった。


 禍々しい魔力を垂れ流し、空間そのものを歪ませている。


こちらを見下ろすその瞳には、まるで虫ケラでも見るような冷たさが宿っていた。


(こんなの……どうやって戦えっていうんだよ……!)


 それまで、魔人族に対して抱いていた侮りが、アメジアの中にわずかに残っていた勇気が、一瞬で消し飛ぶのを感じた。


『星よ落ちろ』


 魔人族が振り上げた手の動きに合わせて、空が揺れた。


 そして次の瞬間、視界に映ったのは巨大な隕石だった。無から一瞬で顕現したそれが、猛烈な速度で落ちてくる。


(星を落とす……?)


 アメジアも流星群やメテオを操る魔法のイメージぐらいは知っている。


 その浪漫溢れる攻撃をアニメや漫画で何度も見てきたからだ。


 だが、それを実現するには膨大な魔力が必要だ。今のアメジアでは、どれだけ願っても魔力が足りず、到底発動させること叶わない。


 そのような魔法を魔人族は意図もたやすく発動させて見せた。


(こんなの、どうやったって勝てるわけない……!)


 心に絶望が広がった。

 母を傷つけられて燃え上がった怒りも、村を滅ぼされた憎しみも——あっという間に絶望の感情に黒く塗りつぶされていく。


 こんな化け物に勝てると思っていたなんて、滑稽な話だ。文字通り別次元の生物だ。確かにこれに勝てれば、もう凡夫ではないと言えるだろう。


 だが、これまでの13年間の努力で培ったものも、奴を前にしては何の意味もない。


 魔法も、筋肉も、戦闘技術の何もかもが通じるビジョンがまるで見えない。


 それも仕方のないことだ。


 もはや生物としての「格」が違う。文字通り次元が違うのだから。


(結局、僕は……この世界でも凡夫なままなのか……)


 見上げる空から星が落ちてくる。

 転生したこの世界で、強く特別な存在になると誓ったはずなのに。目の前に迫る隕石の魔人族の魔法が、そんな誓いをあざ笑うかのように迫ってくる。

 

 状況は最悪だ。

 アメジアの隣には、血まみれの母がいる。先ほど魔人族の攻撃からアメジアを守るために魔力を使い果たし、今にも命が消えそうになっている。


 もう一度目の隕石から身を守った防御魔法を使うこともできそうにない。そして、アメジアの使える魔法では、とても隕石に対処できそうになかった。


「ごめんなさい……母さん」

 

 できることがあるとすれば、せめてこんなに無力で意味のない自分を命がけで守ってくれた母に謝罪をすることぐらい。

 

「……大……丈……夫……母さん、もう少しだけ……頑張るから」


 すると、意識を失いかけていたレダがアメジアの方を向いて微笑んだ。


 そして、僅かに残った力で最期の魔法を発動しようとする。


 魔力を振り絞って、せめて息子を——アメジアだけでも助けるために。


「母さん!?」


 レダの最期の想いと魔力が結びつき、魔法が構築される。


 例え血は繋がっていなくても、それでも母親として大切な愛する子の命を救うために。


 少しでも遠くへ、隕石爆撃による被害の及ばない土地へとアメジアを飛ばすために——レダは魔法を発動させた。


 ただし———


「なら、せめて一緒に!」


 アメジアは気づいていた。

 それが、転移の魔法であると。


 そして、この転移の魔法が一人分のものだと。おそらくこの魔法が発動した瞬間、自分は逃がされて助かる代わりにもう二度と母と会えなくなるのだと。


 だから、どうしようもないとわかっていながら、アメジアは母レダへと必死に手を伸ばした。


「母さん———」


 けれど、その手が届くことはない。

 魔法が発動する。

 アメジアの身体だけが虹色の光に包まれて、違う座標へと飛ばす準備が完了する。


「どうか……生きて———」


 結局、アメジアはこの異世界で育て愛してくれた、大切な母親を守ることはできなかった。

 

 転生しても相変わらず、無力さを噛み締めながら見ていることしかできない凡夫な存在のままだった。

 


 

 

———母さんを助けたいか?



 

 その時だった。

 世界が止まった。

 そう表現するしかない——まるで世界が止まったような感覚に囚われた。目の前の光景が静止し、時間の流れが止まったように感じた。


———答えろ。母さんを守りたいか? 助けたいか? 


 そして、突如アメジアの脳内に直接響く声が聞こえた。


 その声の主が誰なのか、何者なのかアメジアには全く検討もつかない。

 

 しかし、その声に対する答えは明白だった。


「守りたい! 救いたい! 母さんに死んでほしくない!!」


 アメジアは反射的に叫んだ。

 今の弱い自分では何もできない。

 それでも、できることならどんな手を使ってでも果たしたい。


 まだ言い足りない感謝の言葉がたくさんある。

 まだ恩返しできていないこともたくさんある。

 だから——こんな形で、母さんと離別するのは嫌だ!


 そう強く思った。


———そうか、そうだよな。


 すると、アメジアの答えを聞いた声の主は。


———なら、少しその身体を貸せ。そうすれば、今から俺がなんとかしてやろう。


 そうアメジアに提案してきた。


「身体を……」


 提案を聞いてアメジアの中に疑念と期待が入り混じる。


 本当に体を明け渡して大丈夫なのか。


 謎の声の主が本当のことを言っているのか。


 何を望んでいるのか、何をしたいのかもよくわからなかった。


 それでも。


「わかった。母さんを助けられるならなんでもする! 貸すよ、僕の身体!!」

 

 母を助けられる可能性があるなら。

 母を救うためならば、どんな提案でも受け入れる覚悟がアメジアにはあった。


 一縷の望みにすがって、アメジアはその声の主からの提案を即座に受け入れた。


———よし、契約は成立だ。これからお前には俺に協力してもらう。その代わりに、今回は俺が救ってみせよう。これから俺のことは……そうだな”ジア”にしよう。これから俺のことはそう呼べ。


「ジア……」


 その声の主は「ジア」と名乗った。

 結局何者なのか、どれほど強いのかはアメジアにもわからない。

 だが、今はその力を信じるしかない。


 だから、アメジアは願った。


「どうか……助けて……母さんを……」


 最後にそう願いを込めて、アメジアは意識を手放した。


「ああ———任された!!」

 





 

 意識が切り替わる。


 眠りについたアメジアの意識から、アメジアに取り憑いた男——ジアと名乗った存在に身体の主導権が移り変わった。


「さて———」

 

 ジアの意識が覚醒した瞬間、世界が震えた。

 アメジアの身体に宿ったジアという存在に畏怖し、怯えるように、あるいは、その存在に歓喜し、祝福しているかのように。


「一時的な肉体の置換を実行。炉心起動。魔力の運用を開始……まずは景気良く、この世界での最初の悲劇はなかったことにさせてもらおう」


 さらに、ジアから解き放たれた膨大な魔力が渦巻いて、瞬く間に世界を塗り潰した。


 そして———


「世界よ———逆行しろ」


 ジアによって時を巻き戻すという大魔法が発動された。

 

 その魔法の力によって間も無く発動するはずだった転移の魔法も、定められていた死の運命も、刻まれるはずの悲劇の歴史も——全てがなかったことにされていく。


「ようやくだ……今度こそ、ようやく俺の願いを果たせる」


 世界の時が巻き戻る。

 母が傷を負う前に、村に隕石が落ちる前の時間に——まだ、誰も死んでいない、村での平穏な暮らしが続いていた時に。

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