第2話 太陽と月

「ふふ、雪見だいふく。せんせいにもいっこあげるね」


 筑波祢つくばね 真昼まひるは、そら豆みたいなカーブを描く独特の容器のふたをぺりぺりとがしながら、大量の花に囲まれた店の中でレジスターの前に座り、ぼんやりと頬杖ほおづえをつくに声をかけた。


 季節柄、ポインセチアやシクラメンの鉢植えが目立つ店内。可愛らしいリースや色とりどりのモールにぴかぴかのベルなど、飾りつけもそれっぽくなっている。


 耳に心地よく届く、静かに流れるジングルがちょうどよい子守歌になったのか、客足が少ない事もあり、せんせいは微睡まどろんでいたようだった。



「せーんせ!」


 ピンク色のピックに刺したまんまるの白い雪見だいふくを、むぎゅっと頬に押し当てると、せんせいは目をだいふくみたいに丸くして、まるでしっぽを踏まれた猫みたいな慌てようでとび起きた。



「ぴゃんっ!? ご、ごごごめんなさい! ねてません!」


 肩にかかる、やんわりとウェーブのかかった栗色の髪が、ところどころぴょんぴょんと跳ねている。



「せんせい、おはよ。はい、雪見だいふく」


 真昼が雪見だいふくを口もとに差し出すと、せんせい、と呼ばれた佐倉さくら 美咲みさきはぱくりとくわえ、口だけでもぐもぐと器用に食べ始めた。



「ありがとう、真昼ちゃん。おこしてくれて。あと、雪見だいふく美味しい」


 寝ぼけまなこではむはむと口を動かす美咲の髪を、真昼が小さなくしで整える。



「また寝ぐせついてる。もう、もっと気を使いなよ」


 いくらいてもはねまわる難敵に、真昼はすぐに音をあげた。



「せんせいももう年頃なんだから、ちゃんとしないとダメだよ。女子は見た目でめられたら終わりなんだからね」


「うぅ、ごめんなさい。真昼ちゃんって、なんだかお母さんみたい」


 年下の真昼にしかられ、わかりやすく肩を落とす美咲。


 真昼は呆れたようにほほ笑んだ。



「せんせいってば、頭はいいし、お料理とか家事はすっごく得意なくせに、身の回りの事となるとホントにだめなんだから」


 美咲は、この小さな田舎町ではかなり貴重な国立の有名大学の出身だった。それも聞くところによると、なかなか優秀な成績で卒業したらしい。

 そのわりに大手企業に就職したり、研究者の道を歩む事なく、こんな地元の小さな生花店でパートで働いていたりする。


 花嫁修業だといって、料理をはじめ家事全般はもちろん、書道に舞踊にお華におことと、まさになんでもござれの才女であるが、どうにものんびりというかずぼらな性格が災いして、いまだ浮いた話のひとつもなかった。



「今日の分の課題やってありますから、あとで見ておいてくださいね」


 真昼はそう言って、自分の分の雪見だいふくを指でつまんでぱくりとくわえた。


 課題、というのは、美咲が真昼のために用意した問題集のことである。美咲と同じ大学を目指したいと、少し前から中学校の帰りにこうして勉強を教わりに来ている。


 真昼は才女である美咲の目から見ても、間違いなく優秀な教え子だった。初めての分野や難解な問題であっても、自分なりに理論を立ててそれを噛みくだき、飲み込んで理解するまでが極めてはやい。


 勉強を教えると言っても、最近ではこうやって問題を与えておいて勝手にこなしてもらう、ただそれだけになりつつあった。



「ふぁい。……あれ、もう帰るの? 最近はやいのね」


 美咲は雪見だいふくを食べ終わると、すでに帰り支度をすませ、靴をとんとんといている真昼に声をかけた。


 いつもならすっかり日が暮れて、なんなら仕事終わりの美咲と夕食までともにしていた真昼であるが、ここ最近はまだ日がある時間に帰っていく。



「真昼ちゃん、もしかしてデートだったり。彼氏できた?」


 からかい半分、悪戯いたずらっぽく美咲が言う。

 その問いに、真昼は実にあっけらかんと、こう答えた。


「あ、はい。実はそうなんです。これからデ・エ・ト、です」


「ええぇっ!?」


 歯を見せて笑う真昼に、美咲が驚いて口をぽかんと開ける。



「あ、ただ彼じゃなくて、彼、ですけどね!」


 美咲は真昼の突然の告白に言葉を失い、開いた口がふさがらなかった。



「そんなに変ですか? 今どき珍しくもないでしょ。せんせい、これからは多様性の時代ですよ、た・よ・う・せ・い!」


 真昼は食べかけの雪見だいふくをはさんだまま指を立てると、「じゃあ、また明日きますね」と言って去って行った。



「……今の子って、進んでるのね」


 きらびやかな店内にぽつんと残された美咲の耳に、楽し気なジングルが寂しく響いていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 美咲が働く生花店ラストーチカ。


 ラストーチカ、というのはツバメという意味の北方の国の言葉である。幸運を運ぶ渡り鳥の名をもつその小さな花屋をとびだして、真昼は勢いよく駆けて行った。


 肩口できれいに切り揃えられたおかっぱの黒髪がさらさらと揺れ、赤と緑のクリスマスカラーのタータンチェックのマフラーが風になびいている。

 うっすらと日焼けした小麦色の、ほどよく筋肉のついたしなやかな手足が躍動し、まるで短距離走の選手のようにぐんぐんと加速していく。

 意思の強さを思わせる太眉ふとまゆの下では、きらきらと輝く瞳がまっすぐに進むべき道を見据えていた。



 実のところ、真昼は運動も得意であるけれど、特定の部活動には所属していない。



 ――― 



 運動だろうが、勉強だろうが、それ以外のどんな事でも、努力してあっという間に人並み以上に習得してしまう。


 それだけに、何かに熱中し続けるという事が難しい。


 しかし、今の真昼には、他のすべてを投げうってでも優先したいと思う大切な存在があった。



 風のように商店街を駆け抜け、真昼が向かったその先は、住宅街に差し掛かる少し手前、今は喫茶店になっている、むかし消防団の詰め所だった建物の近くにある、そう大きくない公園だった。


 その公園に走りこむと、遊具が並ぶ、その少し先の植木の近くに、青いコート姿の少女がしゃがんでいるのが見えた。


 真昼の凛々しい顔に、やわらかな笑みが浮かぶ。



「ルゥ! おまたせ!」


 手を大きく振って、声をかける。

 すると、青いコートの少女ルゥナーが立ち上がり、駆け寄ってくる真昼に向かって小さく手をあげた。


Добрыйどーぶらい деньぢぇん(ごきげんよう)、マヒル。今日はこないのかと思っていたところよ」


 ルゥナーは、彼女の母国語を交えた日本語でそう言うと、コートのはしをつまんで可愛らしく挨拶をした。



 それは小柄な少女だった。

 まるで陶磁とうじのような白い肌に、宝石みたいな藍色あいいろの瞳。顔立ちは繊細せんさいで美しく、足もと近くまである長い髪は、くすみひとつない白髪で、かたむき始めた陽光を浴びてきらきらと輝いていた。


 ふわふわとした青いコートに、もこもこの白い帽子をかぶり、コートの裾からピンク色のリボンがついた可愛らしいスノーブーツがのぞいている。


 そのブーツに一匹の黒い仔猫こねこが目を細めてからだをり寄せていた。



「マヒル、この子にあげる食べ物とかナニカないかしら」


 少し舌足らずな声。見たところ十代前半、もしかしたらもっと幼いのかもしれなかった。



「もちろん! 猫ちゃんの分も、それからルゥにもね」


 真昼はそう言って、かばんの中から猫用のおやつと、たべっこ動物の箱を取り出した。



Яやー тебяてぃびゃー люблюりゅぶりゅー(だいすき)! マヒル!」


 歓声をあげ、真昼に抱き着くルゥナー。

 勢いあまって抱き着いたまま二人一緒に倒れこみ、そのまま可笑しそうに笑い合う。




 ルゥナーとは、彼女の国の言葉で、лунаルゥナー(月)を意味する。



 全てを照らす太陽のように明るく強い少女、真昼。

 神秘的で美しい、ミステリアスな少女、ルゥナー。



 やがて来る地獄のようなを前に、太陽と月、二人の少女はいつまでも笑い合っていた。




 つづく

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